律花高校吹奏楽部・短編小説集

これは青春のすべてを吹奏楽に捧げる者への賛歌である。

<外伝> 安全装置

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 


梅雨時のどんよりした雲、黄ばんだ太陽。

コロナ禍で活動できないのが、なんとも、しんどい。ここ1,2ヶ月の間、大学受験準備のため、早期退部をする者が何人も出ている。どうにかしたいが、自分一人の力では何ともできない。この息苦しさ、やるせなさ。

生暖かい湿った風が肌にまとわりつく。

 


DMのリホは、自宅窓から梅雨空を恨めしく見ながら、去年の秋、前DMの先輩から申し伝えられた場面を思い出していた。
それは、パレーディング帰りの雑木林の小径を歩いていた時のことだった。

先輩は、問いかけてきた。

「…唐突やけどな、リホ。吹部、誤った方向へ進みだした時、だれが、最初、声を挙げるべきや思う?」

  「みんなで総監督に折衝に行って...」

「だめやろ。気付いたとき、もう、身動きできひんようになっとるやろ。」

  「ほな、部長が..」

「部長こそ、だめや。バランスと運営第一に考えてまうから...」

  「ほな、だれが、旗振り役を...」

先輩は、ウチの鼻先に、人差し指を向けた。

  「えっ..」

「そや。ジャンヌダルクになれるんはDMや。覚えときや。先頭きって、未来の部員のための、吹部の肥やしになれるんは、飾緒付けたDMの'特権'や。こら、大昔から代々のDMが、密かに申し伝えてきたことや。―――ま、討ち死にしいひんに、こしたことはあらへんけどな。DMは、そのくらいの気構えでおらなあかん、ちゅうこっちゃ。ははは…」

その先輩は、自身の大学受験も先送りし、最後の最後まで、吹部のために尽くし通した。ある意味、人生の一部を捧げたのだった。

 


コロナの休校明け、練習再開の初日。

今日の総監督は、いつもと違って、真っ赤なネクタイをつけている。

何だろ..。


総監督が集合をかけ、口を開いた。

「みんな、全国行きたいやろ!」

  「はいっ」

「わしも、や。…これまで、団結の名のもと、融和第一でやってきた。せやけど、それがどうや。全国大会いけへんくなってもうてから、もう何年経つんや。毎年毎年、コンテスト会場のホールのロビーの片隅で、延々と、泣き続けている。もう、たくさんや。ええかげん、目え覚すんや。ぬるま湯は、もう、止めや。コロナで大会のうのうたのを機会に、今年度から、競争原理を導入する。」

部員の顔色に、「えっ」という動揺が走る。

「まず、一人ひとりを細う評価する。具体的には、演奏技術、振付技術、部への貢献度などだ。吹コン、マーコン等の出場メンバーは、そないな個々の評定と、全体とのバランスを考えたうえで決める。学年は、関係あらへん。役職も関係あらへん。ちゅうか、同評定やったら、下級生のほうを選ぶことになるやろう。」

突然の発表に、部員の顔色が強張る。

「こら、運動部なら、常識や。うちは、仲良しクラブやあらへん。出場に漏れた者は、たとえ、相手下級生であろうと、選抜メンバーに対しては、心からの笑顔で、フォローにまわるんや。それが、部のためや。練習中は、悔しい気持ちは出してはいかん。ほんまに悔しいなら、陰で練習を積んどくんや。…ま、これからは、いわば、毎日毎日、瞬間瞬間が内部オーディションや。その意味では、瞬間、瞬間がチャンスでもあるんや。」

確かに、総監督は、間違えたことは言っていないし、げんに、全国金賞の高校では、当たり前だろう。
でも、今までの部の伝統とは、何かが違う...。

「頑張ることは、あたりまえ。言われてできるようになることも、当たり前。それが一定のスピードでクリアーしていけへん時点で、すでに他校に負けとる。いや、他校の全国進出に、むしろ協力しとる利他行為や。そやさかい、部全体の進化のスピードについてこれへん者は、即座に練習の場から外す。―――間違うとること言うとるか?言うとらへんやろ?こら強豪校、どこでもやっとることや。…ただし、聡明な君たちに対しては、わたしは、決して、野蛮に怒鳴ったりせえへんし、その意思もあらへん。風通しのええ吹奏楽部の伝統は、守るつもりや。」

でも、これも、なんか、変だ―――リホは思った。
怒鳴る、怒鳴らないではなく、生徒目線で共に汗をかき、共に泣き、そして共に笑う、という熱いハートが、少しも感じられないのだ。
たとえ、時に怒鳴ることがあっても、それは、苦労の末、一段高い段階にともに達することのできた感動と喜びとを生徒とともに分かち合おうという、指導者としての「真心」の表れのはずだ。だからこそ、怒鳴られた自分たちのほうとしても、その熱いハートが心に沁みて、いっそう互いに支え合い、みんなで工夫しあって克服していこうとする、内からのパワーが沸き起こるのだ。そして、その団結し合い、互いを信じあえる力が、演奏演技の輝きとなって表れているのが、うちの吹部の伝統だったはずやないか...。

それがどうだ。
生徒目線に下りず、一方的な指導と一方的な管理の強化により、心の醸成期間などという'非効率'は徹底排除し、個々の競争心を煽ろうというものだ。統率とスピードが命。冷たい、あまりに冷たい...。


周りに目を配る。

下級生の1、2年生は、たんたんと聴いている。

今度は3年生に目を向ける。

皆、目線を下にむけたまま.....。

だめや。

では、部長のナナは..

ニコニコしている!

みんな、なぜ気づかないんか!!


その刹那、カチッと、何かの封印が外れた。数か月前の先輩DMの言葉が蘇った。

―――ウチしか、おらん。

 


「総監督、質問があります。」

  「DM、何や?」

「ウチん部の輝きの源は、どこや思うとります?」

  「『輝き』って、何や?」

「すり替えないでください。生徒の内発的な心の輝きは、どっかから出てくると思われますか?」

  「そんなもン、幻想や。」


 聞いていた部長の笑顔が止まった。

 総監督は続ける。

  「心の輝きだけで全国金をとれるのなら、苦労などいらん。そないな幻想、甘えの温床となるんや。そやさかい、強豪校並みの管理が必要なんや。なんで、わからん。」

「総監督には、熱い思いは、ありませんか?そないに、泣くこと怖いですか?」

  「言うとる意味が、わからへん。熱いのなんの言うとる間に、突っ走らんかい。部の進化スピードを邪魔するのんは、利他行為いうたはずや。」

「総監督、わたしたちといっしょに、心から悦びながら、練習を積んでいくことができますか。」

  「それは、君たちの努力による。スピードアップして、上手くなっていってくれれば、私としても嬉しいが...。」

「総監督…。もう一度、伺います。『輝きの源』は、どう育まれていくとお考えですか...」

  「くどい。」 

部長はじめ、3年生の目つきが険しくなった。

「総監督、『生徒の団結』って、何ですか。」

  「…だから、評価項目に『部への貢献度』入れといたんや…。」


今度は部長のナナが、口を開いた。

「総監督、この吹部は、誰が生かしていますか。」

  「それは、君たちの心がけ次第や。」

「『心がけ』って?」

  「指導方針に従うて、努力を積み重ねていけば、すばらしい吹部になるはずや。君たちも全国の舞台に立てるようになるはずや…。」

 

気付くと、3年生は全員うなだれ、涙を流している。

それを見たのか、見ないのか、総監督は、こう言い放った。

  「来年度以降が勝負や。1、2年生、気張りや。」

DMは、こぶしを震わせながら言った。

「総監督、再考願えまへんか...?」

  「まだ、わからんか。甘えの旧体制を引きずられては困るんや...1週間、練習から外す。」

それを見ていた部長も

  「私も謹慎します。ありがとうございました。」

他の3年生たちも、全員、同時に、頭を下げた。


 コーチは、その様子を見ていて、慌てて総監督に近づき、何やらささやいた。
 二言、三言、小声でのやりとりがあり、総監督は数秒間、なにやら考えたのち、口を開いた。

「みんなの気持ちは、わかった。本日の話は、後日あらためる。…謹慎も無しや。」

 そういうなり、総監督は練習室を出ていった。

 

練習終了後の下校時。

DMのリホと部長のナナは連れ立って、駅へ向かう。
途中、ファーストフード店に入った。

「今日、ホンモノのDM見たわ。何も言えんかったウチ、部長として恥ずかしかったわ。」

「ううん、ウチも心臓バクバクもんやった。」

「で、どないすんの。」

「そやな...。うちらの代のことは二の次にして、まず、未来の吹部のことを考えようやん。」

「賛成や。」

 

二人が話し合っている隣の席で、コーヒーを飲んでいる老紳士がいた。

しばらく新聞を眼前に広げて読んでいたが、丁寧にたたむと、おもむろに二人に話しかけた。

「君ら、○○高校の吹奏楽部の部員はんたちかいな?」

「はい、そうですけど……あっ!松本先生!」

隣にいたのは、なんと、吹部創始者にして名誉総監督の松本先生だったのだ。


「悪いが、聴かせてもろうた。事情は、よう分かった。未来に生きる君ら部員、創部の精神を守ろうと腐心してくれとるのんは、じつに有難い。たまたま君たちの隣に居合わせたのも、これもなんかの導きに違いあらへん。…総監督には、わしから言うとく。安心して練習に専念したらええ。」

「おおきに、おおきに。」
二人は席を立って何度も何度もお辞儀した。

「ところでDMの君。」

「はい。」

「先輩からの申し送り事項、忠実に守ったなあ。」

「え、何でそれを??」

創始者の仕掛けといた、'アンゼンソウチ' や。」


松本先生は、ニッと笑った。

 

その事件以降、総監督は、何事もなかったかのように、指導している。
相変わらず、音作りの指導はうるさいが、以前にも増して、生徒の自主性に任せる場面が多くなった。誉める場面も次第に増えていき、最近では、自分や部長がよく呼ばれ、生徒の状況や、指導に対する生徒目線からの感想を聞かれるようになった。部としても、以前より、まとまりが強くなったと思う。

リホは、それが良かったのかどうかは、わからない。

賞というものは、その時々の先輩たちの最高到達点であり、現役部員がはじめから持っている実力ではない。総監督の指導力に依存してしまい、魂をなくし、創造力を失ってしまうと、部員は、たんなるコマに陥る。…そう考えていくと、自分たちが、生徒として未来の吹部員に残せるレガシーは、演奏の工夫以上に、自分たちが体を張って守ろうとした、'部の魂'なのだ。

そう、魂の伝達―――部の歴史というのは、そうやって紡がれていくのだ...。

...えっ、ひょっとして、総監督は...

 

 

数日後、ファーストフード店に入っていく総監督の姿があった。

「やはり、先生、こちらにおられましたか。」

「その後、3年生の様子はどうなんやな。」

「はい、お陰様で、コロナ禍のショックは乗り越え、元気に卒業していけそうです。退部もストップし、全体も、より強うまとまりました。」

「よかった、よかった...。あんたはんも、少し、大仕掛けやりはったな...。」

「すんまへん、御心配おかけしてもうて…。これも先生のリフレッシュ・ボタンのおかげです。」

「いやいや…」

「ほかにもボタンはあるのですか。」

「フォッ、フォッ、フォッ…。…このハンバーグの隠し味は、うまおすなあ......あ、さっき、DMと部長に会うたから、ハンバーグ食べさせたったわい。」

「なんや、あいつら...」

「フォッ、フォッ…あの子たちは、部の宝や。部員が力強く、まっすぐに生きとるのは、部が健全な証拠や。あんたはんには、これからも、宜しゅう頼んだで。フォッ、フォッ、フォッ…。」

松本先生は満足げに店から出ていった...

総監督は、今の話を反芻し、ぼーっしている。

それから、ふと、何を思ったか、レジへと注文に向かった。

「わしにも、ハンバーグ、一つ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アキ先生

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 

「4年生のみんな、吹奏楽部の見学にきてくれて、ありがとう。顧問の西山アキです。アキせんせって呼んでな。
わたしたち北小学校吹奏楽部は、音楽に夢中になれる、たのしいクラブです。
みんなも、好きなことに夢中になっとるとき、時間があっちゅう間に過ぎていくやろう?
そして、ああでもあらへん、こうでもあらへんと、いろいろと工夫を加えたってるうちに、気づいてみたら、えらいうまなっとったって、あるやん。
楽器演奏も、おんなじです。
最初から、うまなろうとしてはだめ。
いろんな楽しみ方を工夫していくうち、気づいてみたら、演奏がうまなる練習になっとった、ってわけです。
先生は、その楽しみ方の'案内係'をしてます...。
…はい、前置きはこれくらいにして...では、これから5、6年生の団員の皆さんが登場します。拍手~~!」

通学グループが同じからなのか、遠慮がちに小さく手を振りあう、団員と見学の4年生もいる。

「ありがとう。ほな、まず、団員のみなさん、いつもの練習。最初にやること...知っとるな。イチ・ニ・サンでやってもらうで。」
なぜか、ニヤニヤする団員もいる。
「はい、イチ・ニ・サン!」

とたんに、団員全員が、笑い始めた。
それを見ていた4年生は、はじめのうち、あっけにとられていたが、数秒後、つられて笑いだし、教室全体が、笑いに包まれた。


「はい、ありがとう、ありがとう…。これが、笑う練習。べつに、みんなを、むりやり楽しゅうさせようってわけやあらへんで。口の周りの筋肉をほぐすウォーミングアップです。...はい、少し、落ち着いたところで......今度は、楽器をふくときの口の形を安定させる準備運動を行ないます。ほな、始めよか。…せーのっ」

「あー、いー、うー、べ~~、あー、いー、うー、べ~~、あー、いー、うー、べ~~…」

とくに、全員で一斉に「べ~~」と舌を出すところが面白いらしく、またまた見学の4年生たちも笑い始める。なかにはまねして「ベー返し」をする者もいる。
一人の男子団員が、「べ~~」のところで、頭を横に傾げ、わざと寄り目をした。
教室は、またまた大爆笑に包まれる。
アキ先生は、そんな様子を見て、本当に楽しそうに、ニコニコ笑っている。

 

―――この指導法が、新卒2年目にして、いきなり吹奏楽の府大会での金賞か...

笑い声に惹きつけられて、音楽室入口ドアの窓から中を窺っていた校長は思った。

―――ここまで崩しておいて、ベテラン教師以上にまとめ上げられるのは、アキ先生の人柄が、まず、子ども本来の明るさと好奇心とを引き出しとるからやろな...

校長は、なにやら微笑みながら、そうっと音楽室から離れていった。


      *


アキ先生は、子供たちと楽しく音楽をしているとき、ふと、思い起こすことがある。
それは、律花高校の吹部時代のことだ。

 

当時、自分は、パートリーダーとして、DMとともに指導に当たっていた。
みんなができるところで、一人、できずに、足を引っ張っている1年生の新入部員がいた。Nといった。
Nは、体が硬い、運動神経が人並み以下、のみ込みも悪い、おまけに、泣き虫ときている。

「どうして、できひん!」

「ヒー、ヒー」

「泣いとる暇あったら、1回でも多う、練習したらどうや!1ミリでも前進しようと思わへんか。もういっぺん!」

当時、吹部は、全国大会出場を目指していた。そのあせりからか、語調が、つい、きつくなってしまう。

「ヒッ、ヒッ …はい、…ヒッ…」

Nは、何度も何度も、できないところの練習を、べそをかきながら繰り返すのだ。


Nは泣き虫だが、人並みのガッツはあった。だからこそ、切り捨てがたいのだ。支え合いが律花の伝統でもあるし...。
だが、そのいっぽう、全国行きという目標達成のための部全体の運営効率を考えると、焦りから、どうしても強い言葉が出てしまう...。


そんなNが、入部して1か月たったころ、練習中、初めて、一瞬、笑顔をのぞかせたことがあった。

「N、どないしたん?何かええこと、あったんか?」

「毎日、ラジオ体操やって、甘いもん控えとったら、体がよう動くようになってきたのに、今、気づいたんです。体重も4kg落ったんです。」

「えらい!ウチもうれしいわ。続けてえな!」

「はいっ!」

「ウチも見習おうかな...」

私の言葉に、Nは満面の笑みを浮かべた。

それからというもの、Nは、練習に夢中になり、加速度的に演奏技術が改善されていった。誉める機会も増え、他の新入部員の技量と遜色なくなった。
というより、むしろ、Nは自分が苦労しただけに、他の人の苦労もみえるようで、さかんに周りに声をかけるようになり、いつしか、周りから慕われる存在、ムードメーカーになっていた。

定期演奏会終了後、Nが1年生を代表して、DMに感謝の言葉を述べたことがあった。
内容は忘れてしまったが、最後に、Nは、こういった。

「DMの○○先輩に、お願いがあります。これは1年生の総意です。」

「なんや...?」

「元気いっぱいに、大笑いしてください!」

DMは、一瞬、絶句した様子だったが、すぐに柔和な顔に戻ると、突然、ぷっと吹き出し、笑い始めた。その笑いが、自分自身おかしかったと見え、一段と笑いのボルテージがあがった。

3年生はニヤニヤ見ていたが、1年生は、鬼のDMの大笑いに、はじめ、強張った表情を見せていたが、心の底からの笑いとわかると、自分たちも、なにやらおかしく感じはじめたようだった。

1分後、DMと涙を流しながら抱き合うNがいた。
「ありがとう..」
DMが言った。

そのNの様子を見ていて、アキは思った。
人というのは、こんなにも変われるものなんだ..。

 

今、振り返ると、自分たちの指導が正しかったのかどうかは、わからない。Nを苦しめてしまったことも、多々、あったろう。
けれど、Nは、いまだにOGとして、律花吹部の手伝いに行っているらしい。
それが、当時のうちらの指導に対する、彼女なりの評価なんやな...有難いことや...
Nには、指導のあり方を教えられた..。


                *


はい、4年生のみなさん、お待たせしました。では、5、6年生によるミニコンサートを始めます。


いきなり、ドカンと演奏が始まった。

先ほどまでのお笑いとは打って変わり、中学生の演奏を思わせるような、メリハリのある演奏。
4年生のつい、今しがたまで緩んでいた顔が、一瞬、強張る。
だが、次の瞬間、幸せそうな笑顔に変わり、やがて、ほわーっとした、憧れの色が顔に滲みだしてきた。
5、6年生の団員が、心から楽しみながら、美しいハーモニーを奏でている証拠だ。

見学の4年生は、演奏者の心の鏡。そして、演奏者は、ウチの心の鏡や...。

全国出場を狙って鍛え上げようとは、今は思わない。
もっと効率よく時間管理し、統率を強化すれば...、という気もしないではないが、音楽を通じての人格形成のほうが、今は、はるかに大事ではないか。そのための、刻む時間のテンポもあるのではないか。
だいいち、うち自身、人間的にも技量的にも熟していない。
やけど、今の方法は、地に足の着いた確かな方法だと信じている。もっともっと子どもたちをよく見て、彼らから進むべき方向を教えてもらおう...。


そう思いながら、アキ先生は、窓を全開にした。

心地よい薫風が音楽室に吹き込んできた。

 

 

<外伝> 復活への序曲

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

  

響子は、母親の運転する車で、音大の推薦入試に向かっていた。11月も下旬になるというのに、今日はいやに暖かい。楽器の演奏には、助かる。

車中、彼女は、顧問の中松先生の言葉を思い出していた。

「上手う吹こうとしたらあかん。試験官から見れば、ボーン始めて数年の腕前なんて、文字通り、児戯に等しい。県で個人1位なんて、邪魔モノ以外の何物でもあらへん。勝負は、始めの10秒が大切や。あとは聞かへんでも、将来輝く原石かどうか、試験官にはわかってまう。音符に遊ばれるな、心で吹け。その心で、聴く者のハートを、始めにギュッと、掴むんや!」

練習量積んできたから、あとは、自信と丁寧さやな...などと考えていた、その矢先、ドカンという衝撃が体全体を襲い、一瞬、体が宙に浮き、次の瞬間、「ガシャーン」という音が耳に入ってきた、気がした。

はじめ、何のことか、分からなかった。


数秒後。

視界に入ってきたのは、割れたフロントガラス、プラスチックの焼けた臭い、油の臭い...。
そして
運転席に座ったまま、動かない母親。

「お母さん!お母さん!!」と呼びかけた。
その声に、母親も、初めて我に返り、後部座席に乗っていた響子を振り返った。
次の瞬間、母親は、目を大きく見開き、驚愕の表情に変わった。

「響子、あなた...」

「えっ?」

その時、はじめて、制服の前に血が飛び散っているのに気づいた。
そして、口の周りがぬるぬる血だらけなのに気づいた。
とたんに、痛みが襲ってきた。

「ともかく、外に出ましょ。」


あとのことは、よく覚えていない。
気づくと、病院のベッドの上だった。

CTスキャンによる脳への異常はなかった。
しかし、衝突のさいの衝撃で、口輪筋が断裂し、前歯も3本飛んでいた。

ぶつかってきた相手側に10割の過失があった。

ショックの大きさから、漠然と(音大入れないのか...)という思いしか、起こらなかった。いや、起こせなかった。
そこから先のことは、思いを及ばすことすら怖かったのだ。
視界には、無機質な病室の薄ら明るい天井が広がるだけだった。

 

吹奏楽部顧問の中松は、知らせを受け、呆然とした。
よりによって、なんで響子が...。しかも、入試の大切な日に...


数秒後、我に返った中松は、慌てて音大に連絡を入れる。そして、翌日、改めて音大の入試責任者の教授と会った。

「特例を認め始めると、きりがありません。お気の毒ですが、再試験は行なっておりません。」

「こら、本人の不注意からのものやおまへん。」

「いくら不可抗力といっても、いろんな種類がある。際限がない..。」

「…これご覧になってくれへん。」

中松が内ポケットから大切そうに取り出したものは、丁寧にたたまれた紙。ゆっくり開く。と、中から土と血のついた前歯が1本出てきた。無残にも歯根の途中から折れている...。

中松は、その歯を見ながら

「昨夜、懐中電灯をたよりに、事故現場、這いつくばって、探しまわったんや...。もう2本あったはずやけど...3本の前歯が、一瞬にして失われてまいました...。彼女は、口から頬にかけ断裂......将来のプロを夢見とった彼女の無念さ考えると...ウッ」

ポトリと紙の上にしずくが落ちる。


「...わかりました...。しばらくお待ちください。」

教授は、いったん、応接室から出ていった。

(15分後)

「お待たせしてすいません。今回は特例として、これまでの実績を実技試験に勘案致します。」

「おおきに。ほんま、おおきに。」

中松は、何度も頭を下げた。

「いや...今、学部長・学長とも話してきたのですが、本学の建学の精神は、音楽を通じての人格形成にあります。この度、鈴木響子さんは、演奏家として大きなハンデを背負われてしまい、誠にお気の毒としか申し上げようがありませんが...、ある意味、普通の人には経験できないような、すばらしい人格形成の機会を得られたのかもしれません。...筆記試験の方は、大変、優秀な成績だったようです。今は、合否は申し上げられませんが、きっと、他の学生の範となってくれることでしょう。」

教授は、そういうと、にっこり微笑んだ。

中松は頭を下げたまま...
床には、ポトポトしずくが落ちた。

 

 

3か月後。

響子は学内で、久しぶりにトロンボーンを手にしてみた。

口には、まだ、痛みが残るが、なじんだ重さが、しっくりと、手に吸い付く。
忘れかけていた演奏の歓びが、ふつふつと沸き起こってくる。
なんだか、すぐにも、以前のように吹けそうだ。

???

なんや、この音?
イメージとは全く異なる音に、衝撃を受けた。
他人の音?これでは、中学生が吹部入りたての音だ。
何回もやってみた。
でも、どうあがいてみても、以前の音のカケラすら出てこない..。

事故のショック以上に、自分の音を失ってしまった衝撃による悲しみの方が、はるかに大きかった。
音こそ、自分の歩んできた人生のそのもの、生きてきた証し。それが、無残にも打ち砕かれてしまった...
あまりのショックに呆然とした。
ただただ、涙がとめどもなく流れ下る...。


1時間後。

涙が涸れ果て、頭が空っぽになった。
しばらくして、響子は、気づいた。

中松先生はじめ、自分に影響を与えて下さった先生方は、音作りの技術だけ教えて下さったのではないということを。
音楽を愛する心、音楽に対する情熱こそが、指導の核だったということを。

その核があったからこそ、どんなに厳しい指導にも愛がこもっていたし、また、人格形成とともに、音も向上していったようにも感じる...。

そう思い至ったとき、心は決まった。
自分も、中松先生と同じ、音楽指導者としての道を歩もうと。
次の世代の子たちに、これまで自分が受けてきた音楽への情熱の、恩返しをしよう、と。

いつの間にか、教室は、金色の夕陽で満たされていた。

こうして、響子は、指導者としての道を歩みはじめた。

 

 

教員採用枠は、欠員が常にあるわけではない。
ましてや高校音楽科の枠は少なく、今年、1名の募集枠に15名が受けた。
国立の音大出やら、浪人組も大勢おり、響子は、残念ながら、現役合格がかなわなかった。
しかし、有難いことに、とある公立高校の校長から、ぜひ、臨時任用教員に、とお呼びがかかった。


こうして響子の高校音楽教師、そして吹奏楽部顧問としての第一歩が始まった。

 


中松は、遠方からはるばる祝いに駆けつけてくれ、自分のことのように喜んでくれた。

「心配させやがって、アホヤロウ。」

「すんまへん..」

「いや、わし、嬉しいんや。お前、出来すぎや!」

「...おおきに..」

「な、響子。このタクトはな、幸運のタクトや。全国金賞5回経験しとるタクトや。これ、やる。」

「そんな大切なものを...」

「アホ。このタクトで、ワシを返り討ちにしてみい。そのくらいの恩返しが出来へんで、どうする。」

「...ほんま、おおきに!」

 

10年後。

大阪キャッスルホールのアリーナ入口に、マーチング衣装につつまれた吹奏楽部員を引き連れた、響子がいた。

「先生、泣いとるの?」

1年生部員が、怪訝な表情で顔を覗き込む。

「あはは..。武者震いや。ちょい、フライング涙やったな。もう、前向いて、突っ走るしかあらへんで!」

「はい!!」

屈託ない生徒たちの、明るい声が響いた。

   

 

キング

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 


「うわあ、真っ白なお部屋。レースのカーテンもかわいーーー!いいなあ。あこがれちゃうなあ...あ、まっ白い電子オルガン!すっごーい!!」

うちのアップライト---それもママのお古---に比べれば、超立派!
中学の吹奏楽部でドラムをたたいているミユウの姿しか知らなかったので、意外。

「ミユウ、電子オルガンやるの?」

「うん、ちょっと...」

「スペースウォーズのテーマ弾けちゃったりして..」

「うん、まあ...」

「ええーっ、すごーい!弾いて、弾いて!!」

「じゃあ、リノンだけ、特別ね...。」

「わあ、有難う!!! めっちゃ、うれしー!!」

ミユウが電子オルガンに向かう。その姿勢からして、なんだか違った。
そして、数秒後...。

いきなりファンファーレが鳴り響き、ミユウの部屋が、グオーーーーッと、スペースウォーズの世界に変わった。
トランペット、ストリングス、ホルン音と続く、ドラマチックなオープニング。

続いて、キラキラ音にピッコロ音が小さく重なって、部屋は、今度は、星がきらめく果てしない宇宙空間になった。

それからストリングスが不気味なうねりをはじめて、ペダル鍵盤上を足が激しく動く。打楽器の連続音やブラス音が、反乱軍のテーマを高らかに奏でる。そしてティンパニが激しくリズムを刻むなか、今度はマイナーに転調。うー、なんか怖そう...。部屋に、いまにもダークベイザーが入って来そう。

そして弦楽器とティンパニが不安なリズムを刻むなか、今度はホルンとバイオリンが反乱軍のテーマを奏でる。マリンバやらブラスとかが、戦闘の激しさを表現する...


気づくと、演奏が終わっていた...。

リノンは、圧倒的な音の洪水の叙事詩に、しばらく放心状態だった。

頭が真っ白。言葉が出てこない。


「…リノン…、リノン…」

どこからか、自分を呼ぶ声が聞こえる。
腕を揺さぶられているのに、気づく。

「あっ..」

ようやく、はっと、我に返った。

「すっ、すごい!ミユウ、すごいじゃない。すごい、すごーーーい!」

「たいしたこと、ないよ...」

「ううん、ぜったい、すごーい。もう、めっちゃ感動!!ドラムなんかやってるの、もったいないよ!」

「私も、最初、そう思った。でも、ちがう..。」

「ちがうって...、何が...?」

「親友のリノンだから話すけど...、電子ピアノばかりやってきたから、一人でオーケストラできちゃうと思い込んでたの。でも、それって、ウソ。機械にバランスとか、メリハリとか、ぜーんぶ、助けられてるの。」

「それでも、すごいよ..。」

「ううん..。本当なら、いろんな楽器や演奏者の個性が互いにぶつかりあうところから生み出されるはずなのよ。それが、ホンモノなの。みんなで、色の出し方を探っていく中で、本当の感動演奏が生まれてくんじゃないかって....。そういうの、いい意味で、体験したくて、一部員として頑張ってるんだ...。」

「へえー。なんか、かっこいい。」

「それに、何より、みんな一緒に同じ方向に進んで、みんなで達成できたほうが、一人よりも、喜びが大きいしね。その喜びが、聞きに来てくれるお客さんも幸せにするって思うんだ。」

「うん、うん。100パーセント同意!」

 


自宅への帰り道、日野川の土手を歩きながら、リノンは、ミユウの言葉を反芻していた。

吹奏楽で大切なことって、何だろう...。
音作り、基礎体力づくり、暗譜、練習時間の確保...朝一で登校し、職員室に音楽室の鍵をもらいに行って...。
でも、そんなことは、みんな、ふつうにやってる。

まず、ちゃんとした技術があること。そして、心の動きを素直に表現した結果が、聞く人に感動を与えられれば、どんなに素晴らしいことだろう。美しいことだろう。

圧倒的なミユウの才能には、かなわない。でも、自分には、パーカッションだけは、だれにも負けないって気持ちがある。

頭で理解した音を叩くんではなくって、心の底から自然と沸き起こる感情の細やかな動きを、そのままリズムとして表現できる。当然、「揺らぎ」がある。「遊び」がある。譜面には表せない絶妙な「間」もある。そういったものが、自然と演奏に潜みこんでしまう...。

合奏の時は周りの空気に気をつけながら、その場その場で求められる適切な音、適切なバランスを考えて叩いてはいるけど、それでも時々、自分の色が頭をもたげてしまうことがある。ティンパニをたたいているときなんか、とくにそうだ。そんなとき、きまって指揮をしている顧問が、キッと視線を投げかけてくるのだ。

べつに、顧問の指揮と張り合う気持ちはないけど、自分の音の世界観と周りとが、本当にひとつになった演奏を一度でもいいからしてみたい。ミユウのような、圧倒的な音の世界を周りといっしょに作り出し、感動のオーラを広げたい...。

リノンは、そんなことを考えていた。

 


そんな折、勉強の合間にインターネット動画を見ていた時のことだった。
「おすすめ」で、律花高校の演奏を、偶然、目にした。というか、目に入れてしまったのだ。

そこには、個々の楽器の叫びの見事なハーモニーが現出されていた。
各パートごとの様々な個性が、いかんなく発揮され、そのうえで互いに影響しあって、感動演奏のハーモニーにまで高められていたのだ!

バランスの取れた"美しい"演奏のために個性を捨てる...という価値観が根底から覆され、そこでは、逆に、個性を出すことが、大感動を生み出していたのだ。リノンは、とめどもなく流れる涙をぬぐおうともせず、何十回と繰り返し見た。

リノンは、そこに、理想郷を見いだしていた。
団員たちは、皆、天国に住む、意志を持った妖精たちだ。
繰り返し繰り返しみるうちに、いつしか、意識では、自分も、妖精たちの中に入って演奏していた。

そして、互いに尊重しあって個性をぶつけ合い、より高次元のハーモニーにまで高めていける喜び!
聞きに来てくれた人を、感動のオーラで包み込んでしまう喜び!

もう、あとは、現実に、そこに身を置くことしか、見えなくなっていた。

 


ママは、現実的だった。

「そんな余裕、うちには、ないわよ。律花高校まで100km以上離れているし、朝練習も考えると、通学は無理ね。」

「どうしても、律花で吹奏楽続けたいの。律花でないと、私の青春をかけた吹奏楽が、死んだままで終わっちゃうの。律花でないと、だめなの。ママ、お願い!」

それまで、難しい顔をしていて聞いていたパパが
「リノンが言うのだから、本当だろう。ここまで真剣なリノン見るのは、初めてだし、リノンには並外れた才能があると思う。オレも高校の頃、捨ててしまった夢があったからなあ...。せめて、娘の思いは、かなえさせてあげたい...。俺、逆単身赴任でもいいからさ、ママ、どうだろう..。」

「…パパがそこまで言ってくれるんだったら...。わかった。あとはなんとかするから、受験勉強しときなさい。」

「リノン、良かったな...。」

「わああ、有難う。大好き!」

リノンは、満面の笑みを浮かべ、飛び込んでいった。

受け止めたのは、ママ。

その様子を、パパは目を細めながら見ていた。いくぶん、口をポカンと空けて...。

 


翌日、部室でミユウに声をかけられた。

「リノン、高校どうするの?」

「私、律花にしたの」

「ええーっ、親のOKもらえたの?」

「いいって。」

「いいなあ...。私がもし管楽器とかやってたら、リノンと同じことしてた...。」

「ミユウ、どうするの?」

「鍵盤でしょ。だから音高狙い。でも、たぶん、リノンと、目指すところは同じと思う。」

「気持ちよく演奏して、みんなといっしょに楽しくなりたい...」

「そうね。そうなのよ!見解の一致!さすが、大親友!!」

 

翌月、ママは、京都支店への転勤の辞令をもらってきてくれた。ちょうど欠員が出ていたのが幸いした。職場の上司に相談したさい、夫婦仲を心配されたと、笑いながら話していた。

ともあれ、こうして、京都での母子二人でのアパート暮らしがスタートした。

入試も無事、乗り越え、晴れて律花吹部のドアを叩いた。

 


「パーカス希望やて?中学の時、やってたン?」

「はい、やってました。」

「ほな経験者なら、この楽譜、叩いてみてくれへん?」

「はい。」

ドラムの16ビートの楽譜だ...。バリエーション・パターンもけっこうあるな。2・4拍目が崩れているところも。テンポに注意しなくちゃ..。
全体の構成は...前半は、バランスを考えて叩こう。後半のうちの半分は、自分の色がつけられそう...。そして最後の主旋律がもう一度出てきたあたりからは、もう一度、バランスに注意しつつ、歌うように叩こうか...。

「難しいか?」

「いえ。一部、裏拍とってもいいですか。」

「あ、自由にやってもろうて構わへんで。」

「はい、ありがとうございます。」

タカタカタカタカ...

......


演奏は終了した。自分としては、まずまずの出来だ。

「ご苦労さん。じゃあ、次。ホノカさん。」

え、何も言ってくれないの...??

 

ホノカが叩き始めた。

全くの譜面通り。一切、アドリブがない。それはそれで、すごい技術だ。

それでいて、よくはわからないが、なんとなく、まとまりを感じる。

「うん、よしよし。...ところで、リノンさん、いまの分かった?」

「正確に...ってことですか?」

「違う..。ホノカさん、今度はアドリブいっぱいいれて、叩いてみて。」

ホノカのスティックの持ち方が、変わった。

.........

超絶、超絶。
それでいて、バランスがよくて、まとまりごとの色が出ている。だいいち、一打ごとに、異なる色がある。
また聞き終わってからの、満たされた心地よさ...
そうか、楽譜の裏にある'気持ち'を、瞬間に理解してたんだ...。
すごーい!!

嫉妬心よりも、こんな素晴らしい人と、仲間としてやっていける喜びのほうが大きかった。
ミユウの電子オルガン以来の衝撃だ。
直感的に、ホノカとは親友になれそうな気がした。
京都まで出てきて、よかった...

ニコニコ笑顔のリノンが、そこにいた。

 

「何のために、京都まで出てきたのよ!あなた、悔しいと思わないの?」
夕飯時、興奮気味に嬉しそうに話すリノンに、ママはあきれた表情をみせた。

「いまは、悔しい気持ちと、嬉しい気持ちと、半分半分。親友になってくれそうな、すごい人がいる場所に来られたことが、私、まず、それがうれしいの。」

「...そっか...、そのくらいの度量も、まあ、必要ね...。ママ、信じているから。」

「ありがとう!私、頑張る。」

 

翌日。部室で。

「ホノカさん、すごいね。」

「リノンさん..ありがとう。わたし、久しぶりのライバル現れてくれて、うれしくて、うれしくて。ぜひ、友達になってくれへん?」

「こちらこそ。ありがとう。本当にうれしい!ホノカが親友になってくれるんじゃないかなって、なんとなく予感してたんだ...。お互い頑張って、吹部を盛り上げていこうね!」

ハイタッチの音が、部室に響いた。

 

1週間後。

「1年、集合!」
パートリーダーの声だ。

「1年生、いいか。何の楽器から始めるか、発表するで。」
「シンバルは、○○さん、△△さん、□□さん、シロフォンは...」
「ドラムはホノカさん。ホノカさんは、ドラマー専属で、ほぼ決まり。」
「最後にリノンさん。リノンさんには...じつは揉めたんやけど...一通りやってもらうで。」

「はい..。」

リノンは、ホノカとドラマーで競い合う夢が打ち砕かれ、暗然とした。しばらく、その場で立ったまま、動けない。
これで、ドラムともお別れか...
ショックのあまり、涙を流す余裕すらない。フェード・アウト...


「…リノンさん...」
どこからか、自分を呼ぶ声が耳に入ってきた。パーカスのパートリーダーだ。
「ちょっと、こっちへ...」

皆から離れたところへリノンは連れ出された。

「話が途中やったな...ほんとはな、『一通りパ―カス楽器をやってもらう』ちゅうんはな、将来のパートリーダーの指名の合図なんや。ウチも、1年の時、そう言われたねん。」

「…え?」

「ウチらも、ドラムで、リノンとホノカと切磋琢磨させようか考えた。やけど、1週間、様子を見ていて、リノンには、音楽性を含め、全体を見る力と、みんなを巻き込む力があると感じたんや。いろんなパーカス楽器やる中で、ひとりひとりの部員との絆を深め、一人一人の個性や生の感触を通して、演奏時のバランスや、ダイナミズムをどうすれば上手く生み出せるのかを、考えていって欲しいんや。」

「......ありがとうございます...」

あとは、大粒の涙が、とめどもなく溢れてきた。

個性のぶつかり合いから高次元のハーモニーに高める、まさに、そのコーディネイターとしての重責を任されるのだ。

ああ、やっぱり、ここは私の理想郷だった...。

神様は、確かにいる。

 


5月。新緑がまぶしい季節になった。

「ねえ、ホノカ。前々から聞きたかったんだけど...ホノカって、ドラム叩くとき、譜面の裏の気持ちわかるの?」

「スコア・リーディングのこと?中学時代、ドラムの先生から、いちばんやかましゅう言われてきたことやん。作曲家、なんで、その打楽器を選んだのか..そのフレーズでは、その打楽器でどないな気持ちを表現したかったのか、つねに考えたらええのにと...。」

「うん、わかる、わかる。私も言われた。リズム・キープも大事だけど、曲の背景や、場面ごとの効果考えろって。それは、テクニックの遊びではなくって、その効果をどうしても使わなければならなかった『必然性』があるんだから、それを見極めろって...」

「さすが、リノン!思うとった通りの人やった...。よかった...。ほな、正直に言うと...、うち、突っ走ってまうか、譜面通りにしか、どちらかしかできひんの。周りとのバランスの加減、自分では、なかなかわからへんの..。」

「ホノカ..。私、バスドラやってあげる。ホノカはスネアやって。バスドラで、曲のノリをコントロールしてあげる。」

「じゃ、うちはスネアで、曲のアクセントや表現、装飾をする。リノン、全体のコントロール、お願い。うちら、たとえていうなら、リノンがピアノの左手なら、うちは右手や。」

「二人で一心同体!!」

ふたりはニッと笑い、それぞれ右手と左手で、ハイタッチした。

この瞬間、律花吹部の演奏のダイナミズムの核が誕生したのだった。




2年生になった。

リノンはサブ・パートリーダーとして、活躍していた。

「ここは、後半に向け、盛り上げるところ。ただ、スーザやトランペットとのバランスで、シンバルだけが突出できないし、会場の残響も大きいから、その点、コントロールして叩いて。バスドラがリズム・キープする。」

「この部分はスネアの見せどころやから、その前は、少し抑え気味にしとこうか。直前の8小節の装飾音も、控えめに...。」


また、他パートに初めて声をかけたのは、スーザにだった。

「パーカスへの希望ってない?どうすれば音を乗せやすい?」

「正確にテンポを維持しさえしてもらえれば...」

「じゃあ、聞き方、変えるよ。メロディーラインを引っ張る管楽器が、スーザの存在感を感じているところって、どこ?たんに、音を増やしているだけ?」

「ちゃう思う...。」

「どこが?」

「......」

「作曲者が、スーザでなくちゃだめだ、って考えた、その理由を、トランペットの人も交えて考えてみようよ。」


つぎに、トランペットにも聞いた。

「トランペットにとってのパーカスやスーザって、何だろう?たんなる引き立て役?」

「そうちゃう。」

「どこが?」

「うーん......」

「一度、パーカスとスーザの人交えて、スコアー・リーディングしてみない?」


翌日、リノンのもとに、スーザとペットの各リーダー,サブリーダー、学生指揮者、ドラムメジャーが集まった。そこへ副顧問も顔を出した。

 

ペットのサブが口火を切った。
「…ある意味、自分の楽器の引き立て役となっとる楽器は、それが、当然のことと感じとるかもしれへんけど、ほんとうは、縁の下の力持ちのほうが、うまく調整してくれとる証拠かも..。」

「結局、ダイナミズムを積極的に生み出すには、どないしたらええか、やろな。」

「うん。すべてが強調・強調の連続やと、お客さん、飽きてまうやろ。クライマックスわからへんくなってまう。崩し方も大切やな。」

「そうや。緊張の高まったなかでの弛緩、たんたんとしたリズムの中での一閃、わざと小さな音を入れての静寂表現...いろいろあるわな..。」

「わたし、たたき台、作って来た。」
リノンが、書き込みのあるスコアーを配る。メロディーライン、オブリガード、裏拍、装飾音のそれぞれに囲みが加えられている。

リノンが続ける。
「3回目に出てきた主旋律部分。副旋律とのセットが崩れているけど、どう思う?演奏の仕方、同じでいいかな?」
「81小節目から88小節目にかけて、ユーフォニアムを目立たたせているのは、何の目的だろう?」
「出だしは、ペットとボーンが、パーンと入ってきて、そのあとの膨らませ方が...」
「チューナーに合わせて合奏するんじゃなくて、出ている周りの音に合わせてやっていかないと、とくに120小節目の転調するところからが...」
「普段あまり吹かない高音とか、使わないトリルとか、どうしてる?」

5時間が経過した。
はじめのうち、副顧問は何か言いたそうだったが、結局、黙って一言も発しなかった。

「じゃ、3日後、合わせて見ましょう!宜しくお願いします!」
リノンの言葉で閉会したころは、午後7時を回っていた。


3日後。

顧問は、初めて聞いて驚いた。
たぶん、グダグダな解釈で、聞くにも堪えないものだろう...と思っていたのが、見事に裏切られた。
音楽理論からすれば、やや、荒削りの部分もあるものの、逆に、瑞々しい解釈で、目から鱗が落ちた。
音大の学生では、かえってこういう解釈はできないだろう。
まして、副顧問が一切、発言しなかったいうのだから、驚きだ。
こんな能力が、彼女たちに隠されていたとは...
自分が与える指導に比べ、演奏者自身の'内発的な気づき'のほうが、どれだけ劇的変化をもたらすものか...。
そして、その'核融合'の中心には、リノンがいたという..。

うん、よし。これなら、全国、行ける!!!

顧問は、確信した。



2年生の1月になり、新体制に移行した。

パーカスのパートリーダーには、ホノカがなっていた。

そして、リノンは、100人からいる部員のNo.3、吹部の頭脳である学生指揮者になっていた。バスドラム出身の学生指揮者は、極めて異例だった。

そして、マーチング・コンテスト。
律花は、6年ぶりの全国金を受賞した。
その土台を作ったのがリノンであったことを、だれもが認め、敬意をこめ、皆、彼女のことを、こう呼んだ。

―――キング。


気づいたら、'理想郷'のキングとなっていた。

  


ここに、一枚の記念写真がある。全国金賞受賞時のものだ。
彼女はDMのすぐ横で、晴れ晴れした笑顔で写っている。
手放しで喜びを爆発させていないのは、それ以上に、きっと自分を育ててくれた、周り全てへの感謝の念でいっぱいだったからだろう。
そこには、とことん理想を追い求め、頂上を極めた者だけが満たされる「至福の静けさ」があった。

 

 

 

kaleidoscope

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 

「ええーーーっ! 万華鏡フォーメーション展開しながらのパレードやなんて、できるわけあらへんやろ。」

「そうや、ローズは、後ろからバイクで追い立てられるんやで。静止しての演技は不可能や。」


コロラド通りの大観衆の度肝を抜きたいんや。先輩たちが大絶賛を浴びた、律花にしかできひんダンシング・アンド・マーチング。それに、肩を並べる、マーチング革命をしたいんや。6年前の先輩、出場前に言うたように、「先輩を超える!」って宣言したいんや。」

「ヒナ、なんで、あんた、そうまでして、万華鏡にこだわるン?」

「うちな、中3のときな、律花の動画見た。そのとき、演奏しつつ、万華鏡のように次々と展開するの見て、えらく感動したんや。律花なら、これ、パレードで絶対、できると...。いや、律花にしかできひんと..。」


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心地よい薫風のなか、宇治川の土手を歩くと、川面のきらめきがまぶしい。まるで、光の一粒一粒が、音のダンスをしているかのようだ。

ヒナは、自分がローズパレードで、トップDMとして出場できる誇らしさと幸福をかみしめながら、同時に、それまでの長い長い道のりを切り拓き、また営々と伝統を維持し、後の世代に伝承してきてくれた歴代の先輩たちや先生方への感謝を感じていた。

たしかに、マーチング・コンテストで万華鏡のような動きを取り入れている団体はある。しかし、ホールの中で展開するという話で、パレードで全体が動きながら...という話は聞いたことがない。小節ごとの五八の刻みの緩急の調節だけでは解決できないのだ。


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夕食時、食卓でそんな話をぼそっしたところ、「あー、できるやん」という声が返ってきた。
えっ、と顔を上げると、兄がニコニコしている。
兄は、大学でレーザー工学を学んでいる。

「プロジェクション・マッピング、知っとるか?」

「うん...」

「あのプロジェクターを体育館の天井に取り付けて、あとはコンピューターと結びつけて、光の粒を動かせばええんや。風車、回転しながら散開していく...なんてのも可能やで。」

「ええっ!!」

見慣れた兄の顔が、光輝いて見える。

「おにいちゃん、作って!」


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1か月後、作業着を着た兄とともに、学校の体育館にいた。どこかの電気工務店のにいちゃんみたいだ。

照明を落とす。プロジェクターが動き始める。

音に合わせて光の粒が散開し、流れていく。放射状の線が回転しながら流れていく。

しかし、ヒナは、見ていて悲しくなった。ゴハチの緩急だけでは解決できそうにない。ステップの革命が必要なのか...。

そのとき、ひらめくものがあった。

「おにいちゃん、テンポをゆっくりにして」

「うん...」

「もっと、ゆっくり!」

「こうか?」


みえた!みえてきた!!

3回みた。1回目は小さく頷きながらリズムを執って。2回目は小刻みに足を動かしながら。3回目は、さらに上半身を少し動かす所作も加わった。そして4回目。ヒナは、ついに光の粒の中に躍り出て、一緒に動いた。ヒナのステップは、常に、生き物のように動き回る同じ一つの光の点上にあった。

「今度は、少し早く...。」

こんどは、クラリネットで演奏しながらだ。音の調子とのタイミングを確認しているのだ。そして...

気づいたときは、元のテンポに戻っていた。周りの光の輪の中には、何人かの同級生の姿も加わっていた。

突破口は、開かれた。


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顧問は、一部始終を見ていて、気がついた。

吹奏楽のマーチングでは、アンブシュアを安定させるために、音のリズムと所作とを連動させるのは当たり前となっている。呼吸の安定のために体幹は、常に維持されるべきものである。そのため、体幹は硬直化する。上半身と下半身とは、別々に動かすことは、まずしないし、できない。

ところが、律花の吹部員は、体幹が柔軟になっている。じっさい、彼女たちが演奏しながら踊っているさいの 'ベルトの動き' に注目すると、ほぼ、全体がそろっている。それはちょうど、マラソン選手たちの頭の動きと似ている。上半身と下半身の体幹とがフレキシブルに結びついている証拠だ。

それだけではない。これまで、何曲ものダンシング・マーチングを繰り返し、音のリズムと振付のリズムとを融合させる術を、体にしみこませている。ダンスの拍と音の拍とを、それぞれ別個のものと認識しながら、見事に融合させることができるのだ。

さらに団結力と持久力、そして笑顔が加わり、世界で唯一無二のマーチングが可能となるのだ...。


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律花のパレードが、SwingSwingSwingを舞いながら、特設ステージのあるコロラド通りに入ってきた。

カラーガードは、最後尾を仕切る隊と、中央部との二手とに分かれている。そして、センターにはDMのヒナ。

ヒナの笛で、一瞬、隊列の動きが止まる。観客が、静まり返る。
次の瞬間、トランペット隊のファンファーレが鳴り響き、パレードしながらの万華鏡フォーメーションが始まった。

同心円状の散開、いくつもの風車の回転、多重四角形のぐるぐる、そして、その緩急の間をフラッグをもったカラーガード隊が、疾風のごとく縦横に駆け回る―――しかも、一人一人の部員たちは、演奏しつつ踊りながら、全体として統率のとれた、流れるようなフォーメーションが展開され、パレードは進んでいくのだ!

特設ステージは、一瞬、静まり返る。
そして、つぎの瞬間、これまで見たこともない高次元のパフォーマンスに、コロラド通りは興奮の坩堝と化した。賞賛と歓喜の嵐は、いつまでも続いた。またしても、律花が、マーチングの革命を成し遂げたのだ。


後輩が、先輩を超えた。

今後とも、感謝の念がある限り、見事な「恩返し」は続けられ、マーチングの変革の旗手として、律花はどこまでもどこまでも変化しながら輝き続けていくことであろう。めくるめく、美しい万華鏡の世界のごとく...。

 

 

 

部長の矜持

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

  

練習室には、1、2年生が集まっている。さきほどまで、今後のことを話し合っていたのだ。

これまでなら、「頑張って...」という語を使えば、いくらでも夢を描けた。明るい未来を膨らませることができた。自らの発する言葉に高揚し、沸き起こるエネルギーに酔いしれることもできた。

しかし、新型コロナのため、コンテストはすべて無くなり、イベントも無くなり、「頑張りようがない」。
やがて、話し合いは袋小路に陥ってしまい、まとめようがなくなってしまったのだ。

どの団員も肩を落とし、胸には悲しみのインクが広がり、虚無感から、皆、黙りこくっている。

いつもは明るいはずの練習室はどこかしら薄暗く、重低音が響いているかのようだ。


そう、皆、何かを待っているのだ。

やがて3年生が登場しさえすれば、何らかの方向性が示されるかもしれない。今、前進するための一縷の望みは、それしかない...。

 

と、そのとき、ドアが開いた。3年の部長だ。

「みんな、待たせた。3年の話し合いが長引いてな。かんにんな。」

それが、なんとしたことか、「満面の笑み」なのだ。

1、2年生は、なにか、不思議なものをみるかのように、皆、無表情に、部長の顔へ視線をなげかける。

 

「たぶん、3年生が方向性を示さな、皆、動きようがあらへんやろ思うて...。」
「3年生は、決めたで。」
「その前に、皆、なぜ律花吹部に入ってきたか、あらためて考えてほしい。なんで律花でなければならへんかったのかを。」

――― 「律花が好きやから」

「ほな、具体的に、律花のどこや。なぜ、他校へ行かへんかったんか。」

――― 「一人一人が、輝けるし...」

「ほな、どうやって、輝くんや。」

――― 「……」

「答えは、この部屋に書いてあるで。」

下級生たちの視線は、しばらく宙を漂い、数秒ののち、五線譜黒板の横に注がれた。
そこには、「笑顔・元気」と書かれた紙が掲示してあった。


「そうや。つねに、元気に笑顔を持ち続けることが、輝きを生み出すんや。」
「輝きは、最初から、そこにあるもんやあらへん。一人一人、態度として持ち続けることで、たとえ、どないしんどい練習のさ中にあっても、輝きの集団の練習になるんや。」
「吹コン、マーコンは、その輝くための手段のひとつや。」
「勝敗だけで言えば、悔しいけど、ここ、数年、全国行きを逃しとる。やけど、皆も知っての通り、動画再生回数、つまり、世間の人気ぶりは、ダントツ全国一や。有難いことや...。こないな吹部、あるか?こら、ゴールド金の常連校どすら、できひんこっちゃ。そういった、普遍的価値を生み出してきたのは、代々の先輩たちが守り通してきた、このスローガンなんやな...。」

 

「…もう、どないしたらええか、わかったやろ。」
「まず、律花吹部らしくあること。これが、まず基本や。」

下級生たちは、大きく頷いた。

 

部長は、一通り下級生たちを見まわすと、おもむろに

「そのうえで、や。...、3年生からの"お願い"や。来年度のコンテストでゴールド金、取ってくれへんか。」

―――『えっ』と、少し、驚きの表情。

「唐突すぎて、なんか、言うとること、一貫性あらへんように聞こえるかもしれへん。」
「みんな、『陳腐(ちんぷ)化』ちゅう言葉、知っとるか?」
「いまは、先輩たちの遺産が、まだ、生きとる。せやけど、もう何年かしたら、御利益(ごりやく)無うなる。うちらやっとることは、新味がのうて、飽きられてまう。集客力がななったら、お呼びが、かからへんくなる。一地方の一高校の一部活になってまう。吹奏楽は、感動してくれはるお客さんがおって、なんぼの世界や。」
「それに、地域での安定評価が長期間定着するには、ステイタス、つまり、タイトルも必要なんや。タイトルないと、だんだんお呼びがかからへんくなってまうし、たとえ呼ばれても、パレード順位が下位になってまうんや。それやと、先輩に申し訳あらへんし、栄光の律花の看板に傷がつく。」

下級生たちは、飲み込むように頷く。

「コンテストが閉ざされた、うちら3年生にとって、残り半年間、愛すべき部のために最後にできることは、自分の輝きを強めることよりも、吹部を全国金賞レベルに育て上げて、未来へ続く変革の先頭に立つことや。」
「そのために、まずは、尼崎マーチングフェスティバルのレベルにまで、早急に1年生の技術を引き上げることや。これが、短期的な目標。」

―――「はいっ!」

1、2年生に、生気が蘇ってきた。

「そのために、3年生がマンツーマンで、1年生を特訓で鍛えたる。」
「それから、ええ意味で、互いに高めあういろんな機会を作り出そう。個人発表会なんてのもあってもええかも...。みんなからも、どんどん、アイディア出してえな...。そないな自己表現の場をふやし、つねに音作りの志を高う持ち続ける限り、道はどんどん拓けていくはずや。ほんで気づいてみたら、部全体ステップアップしとった、となるはずや。これが、もう一つの柱や。未来の律花吹部員にも、『一人一人が輝ける...』て言わせたいんや。」

―――「はいっ!!」

「ありがとう。皆、ありがとう。」
部長の笑顔がまぶしい。


そのとき、一人の1年生が、気が付いた。
部長の笑みのほっぺたに、白い筋の跡が、かすかにあったのを。

1年生は、視界がだんだんと滲んでいくのを感じながら、そっと目線を落とした。
真心が心に沁みる。

これが、ウチん部長や。本物の律花の部長や。

 

 

 

 

美しき継承

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 去り際の美しさ―――というものがある。


 もう、ふた昔も前のこと。出町柳で五山送り火を見ていたとき、近くにいた、いかにも生粋の京都の女(ひと)のつぶやきが、いまでも耳に残っている。

  「消えゆくんが、ええんやわあ...。」


 パレードもそうだ。

 多くの吹奏楽団体は、去り際の後ろ姿を、あまり意識していないように思われる。
 しかし、律花高校は違った。
 とくに、最後尾を飾る、フルート隊の妙技は、見る者の目を最後まで惹きつけて離さない。

 フルートを激しく斜め上に振り上げたかと思うと、次の瞬間、今度は斜め下に大きく振り下げ、激しくジャンプし、空中で音を出すのだ。律花のかわいらしさ、元気さ、笑顔を爆発させ、隊列を見送る者へ夢をふりまきながら、綺麗に余韻を残しながら去っていくのだ。
 常識を超えた、無重力の中の妖精たちのダンス――――心を奪われぬものなど、おらぬだろう。


 フルートという楽器は、初心者なら、ちょっとした向かい風で、すぐに低音アウトである。また、右手小指と左手人差し指の付け根、そして唇の3点支持で不安定だ。しかも、右手の甲が水平の方がキーを押しやすく、そのため、右手側を、やや下げて演奏するというのが常識なのだ。だから、ジャンプしながら激しく上下に振り回しながら空中で音を出すと聞けば、開いた口が塞がらない。できるわけがないのだ。だが、それを、いとも簡単に、やすやすと、心からの悦びとともに演奏演技してしまうところに、律花フルート隊の凄さがある。常人を超えた、妖精たる所以がある。

 

 さて、その彼女が2年生の1月になったとき、あれほど賑やかだった律花の大フルート隊が、彼女1人になってしまった。同級生の親友と唯一の下級生は、他のパートへ転出してしまったのだ。

 たった一人のフルート隊。最後の生き残り...。

 しかし悲しんでなんかいられない。
 パレード最後尾を飾り、綺麗に余韻を残して去っていく―――その重責を担うフルート隊としての矜持と喜びとを、なんとしてでも、次の世代につないでいかなければならない、その卓越した技術とともに...。
 
 彼女の演奏の確からしさ、そしてジャンプ力や元気さは折り紙付きだ。そして、彼女には、何といっても「花」があり、「品」があり、そして「芯」があった。それゆえ彼女の演奏演技は、一人でも十人前の輝きを放った。
 たった一人で、「かくあるべき」伝統の律花フルート隊であり続けようとしたのだ。
 そして、彼女は見事に、それをやりぬいた。


 次年度、5人の新1年生が入ってきてくれた。

 ブラスエキスポまで1か月。
 この1か月間で、何としてでも、「律花のフルート隊」に仕上げなければならない。技術も、そして、魂も。

 ふつう、ジャンプしながらの演奏は、アンブシュアは崩れるし、だいいち、鋼鉄の肺と、並外れた持久力とが必要だ。それが出来るようになるには、楽器にもよるが、一般的には1年~1年半くらいはかかるといわれる。

 しかし新入生5人は、たった1か月で、みごとに「律花のフルート隊」に成長していた。
 不可能と思われたことが、実現された。
 伝統の襷は、見事につながった。

 彼女がどのような '魔法' を使ったのかは、知る由もない。

 しかし、彼女の喜びの大きさは、察するに余りある。ブラスエキスポの彼女は、だれよりも高くジャンプして演奏し、先導者としての矜持を示した。
 

 やがて...1年生が成長するのを見届けるや、そして彼女は、香しい余韻を残し、静かに退いていった。

 

 以上、彼女の、美しく清々しい青春記を、ここに書き留めておくものである。

 

 

吹コン, マーコン 閉ざされて

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

    新型コロナで、今年度の吹コンもマーコンも、中止になってしまった。
   律花吹部では3年生が、今後の活動方針を話し合っている。
   音楽室の湿度が高いのは、雨のせいだけではないだろう。


うちら、後輩の土台になるのんは、本望や。うちらやて、そうして代々の先輩の汗と涙の上に育てられてきたし。それが栄光の律花吹部の「伝統」ちゅうもんや思う。
せやけど、その前提となる、後輩を含めてみんなと一つ心で、なんかを戦うたゆう、強烈な体験 -------- 心から嬉しい、悔しいちゅうた、ともに分かち合える体験 -------- じゅうぶん、あったやろか。それがあらへん肥やしは、腐ってまう。

 

たしかに、今年度の全てのコンテスト閉ざされた3年生部員が、1年生新入部員のマンツーマン指導まわるちゅうは、来年のコンテストに向けての立ち上がりの早さちゅう点では、アドバンテージになるやもしれん。やけど、3年生は、まだ、団員や。コーチちがう。後輩とともに、成長していかなならんし、律花の魂を、後輩とともに盛り上げ、自身も高めていかんならん。後輩とおんなじ目線、おんなじ時間を共有して、ともに泣き、ともに笑う時間もなければならへんのや。それが、「伝統の礎」ちゃうやろか...。

 

他校の中には、今年度のコンテスト中止になったのをきっかけに、来年度の全国進出一本に目標を絞り、はっきりと、3年生はフォローにまわるゆう体制をとったとこも、あるやろ。9月から新体制に入るいうとこもあるようや。課題曲も一緒やし...。せやけど、それで、ええやろか。吹コン,マーコン閉ざされた3年生は、それだけでお荷物なんやろか。
律花は、ピラミッド型の指導体制やあらへん。これまで、みんなで助け合い、高めあい、やってきたやんか。それが、うちの伝統や。それに、仮に2年がかりで全国行ったとしても、もう、その次の年は続かへんで。

 

うん、そうや。律花の演奏演技の神髄は、コンテストなんか超えた感動演奏にあるのちゃうやろか。ほんで、こないな時やからこそ、元気いっぱいに、夢をみんなに与えられることこそが、律花らしいやんか。ある意味、律花の元気を爆発できる、またとないチャンスや。
ぶれへんで、これまでやってきたこと、続けよう。王道を行くんが、律花やあらへんか。
音作りと、感動演奏・感動演技で、みんなの心を明るうしよう。律花らしゅう、輝こう!


    それまで聞いていた顧問が、口を開く。

ありがとう。やっぱし、みんな、思うとった通りの律花吹部の魂、持っとった...。
約束しよう、他校が経験できひんような強烈な経験の舞台を用意したる。
それが、君たちの気概に対する、わたしからの感謝のしるしや。

 

絆は、固く結ばれた。


そのとき、雲間から、校庭に一条の光が差し込んだのだ。

誰からともなく、皆、頬を紅潮させ......そして


皆の思いは一つになり、輝く光の道を、天上に駆け上がっていくのだ...。

 

律花吹部に、幸いあれ!

 

 

 

多才な努力家

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 「府のソロコンで、本選出て銀もろたって?中3の時?すごいやん!!」

高3の部長さん、笑うてる顔は、こないなふうなんや...。

「吹コンの強力な即戦力が入ってきてくれはった。うれしいわあ。期待しとるで。」

部長は、満面の笑顔で言うた。

しかし、次の瞬間

「でもな、リン。すまへんのやけど...」

少し、表情を曇らせ

「パレードの時は...律花のパレードはな、他校と違うて、踊るやん。オーボエはリードが刺さってまう危険があるし、伝統的に、パーカス隊か、カラーガードやることになっとるんや。かんにんな...。」

「いえ、それ覚悟で律花に入ってきたし、オーボエとの二本立てで頑張ります!」

「そうか...それ聞いて、安心や。うん、うん。がんばってえな!」

部長は、ウチの左腕をポンポンと2回たたいた。


   *


パートごとに分かれた。

小学校からドラムをやってた同学年のミユと比べ、パーカスなんて、ウチは全くの初心者や。

パーカスのパートリーダーは、ウチを一目みるなり

「シンバル...やな。そんだけ線が細いんと、いきなりのバスドラは、ちょいかわいそうや..。うん、シンバル。」
「ところで、シンバルなんて、サルでもできる思うてへん?」

先輩たちは、ニヤニヤ笑っとる。

一応、首を横にふる。

リーダーは、それに構わず

「サルやと、できひんで。絶妙なタイミングで上下ずらしてたたかんと、いい音、出んのや...。」
「『絶妙なタイミング』って、わかるか?」

首を横に振る。とたん、

「返事!」

横のサブリーダーから、喝が飛ぶ。

「はいっ。」

リーダーは、少しも意に介さず、つづける。

「ええか。同時やと間に空気が入ってしもて「バフッ」と、情けのう音になる。ずれすぎると、今度は音が鳴らへんのやあ。」

(へー、奥が深いんやなあ...。あ、忘れとった。やば。)

「…はいいっ!」

「ほな、シンバル係、あと、基本練習、宜しう..」


 こんな具合に、私の練習初日は始まった。


   *


 結局、春先のブラスエキスポには出させてもらえず、えらい、悔し思いした。
 やっぱし、全国レベルの吹部やった。
 せやけど、それからパーカス楽器を色々やった。
 バスドラは重すぎて、はじめは背筋吊ったけど、がんばった。案外、体揺らしながら叩いたほうが、筋肉がほぐれることにも気づいた。
 グロッケンは、ピアノやっとったのが少しは役にたち、むちゃくちゃ練習した。やけど、ダンスしながら見ないで叩けるほどの先輩のレベルには、とうてい追いつくことなんか、できひんかった。神業や。
 ほんなこんなで、半年間、頑張ったころ、晴れて、律花吹部一員として、アメリカでのパレードいう大舞台に参加できたねん。
 
 もう、うれしうて、うれしうて...。パレードのカーブのところで、シンバル持って思い切りの大ジャンプになってん。


  *


 翌年、いきなり、ベテランのマーチングコーチから、呼び出されたんや。

「リン。いままで、ダンスの様子など、いろいろ見してもろたけど、カラーガードにぜったい、向いとる。」
「あんたの体の重心、他の子より高いとこにあるぶん、見栄えがするんや。体幹も柔らこう上半身と下半身フレキシブルにつながっとるんで、手足の所作泳がへん。自然、メリハリ生まれとるんやな。リズム感、運動神経もよい。こら、あんたが持って生まれたもんや。こんだけ恵まれた子は、めったにおらへん。今年から、カラーガードや。えーな。大いに期待しとるで。」

 こうして、ウチは、カラーガードへ移動になった。


   *


 カラーガードも、やっぱり、奥が深かった。

 フラッグの場合、何拍めに、どこの位置を、どないな状態で旗が通過するのか、覚えなあかんし、そのためには、1拍前の旗の形状、ポールの傾き具合等も、あらかじめ考えなあかん。屋外では、風向きもや。

 それだけちゃう。美しくダンスするバレエ的な素養も不可欠やった。

 バレエやってた子は、だからフラッグも優雅で、それでいてメリハリもあるんやわ。ウチと全然、違うやん。フラッグの風を切る音も、ウチとは違うんや。

 ウチも、フラッグを毎日、家に持ち帰って、夜遅うまで、その日の復習した。毎日、毎日の練習を、その日のうちに、体に覚えこませていったんや。
 それが実ったんか、上手なってくのと同時に、カラーガード隊の中での隊列の順位もだんだん前になっていった。

 高3になったばかりの春、ついに、バナーの真後ろになった。

 そうしてくれたんは、ウチん様子をずっとみてくれとった、親友のDMのカホや。

 DM権限で、カラーガードのフォーメーション動かせば、パレード正面から見たとき、バナーの向こうにDMがストレートに見えるようできるはずやのに、カホはそうせーへんかった。むしろ、ウチを、バナーの真後ろに据えたんや。

 これでは、どちらがパレードの花か、わからへんくなってまうやんか。

 で、カホに言うたんや。
「パレードの主役はDMや。ウチらガード隊は、花を添える役や。」

 したら、

「あ、あれな。うち、最初に、リンのオーボエ聞いたときに、ピンと来たんや。」
「こいつ、普通のヤツやない。」

「???」

「いつか吹いてた『白鳥の湖』な。あのオーボエ。あんだけ色んな情景が、目まぐるしく浮かんでは消え、浮かんでは消えしたんは、はじめてのことや。びっくりやったわ。いくつも超絶技巧あるはずやのに、それをいとも簡単に次々とこなしとる。」
「普通のひとなら、1つ飛び越えるにも大変なはずやのに、3つも4つもスイスイ飛び越えていける。それだけやなしに、人の頭ン中に、はっきり情景を描かせる...なんか魔法のようなもんを感じたんや。こいつは、たんなる器用やない、魔法使いやな..と。」

「はは...。誉めすぎや。」

「な。リンこそ、律花吹部の看板にふさわしいんや。」
「リンほど多才で、努力家で、いろいろな花を咲かせられる人はいーひん。」


 ウチに花があるかどうか、わからへん。正直、必死であがいてきただけや。やけど、カホが、そうまで言ってくれはるなら...、それで、ウチも腹を据えたねん。

 こうして、ウチ、パレードのときの、律花吹部のバナー真後ろになったんや。
 

 シンバル1つも満足に叩けず、高1の時はブラスエキスポの隊列に並ばせてもらえへんで、最後尾を、トボトボついていった、吹部の最下層部員やったウチ...。いろんな楽器をめぐってめぐって、あがいてあがいて...、で、結局、最後の最後にたどり着いた先が....

 なんか、わからへんもんやな。

 

 

後日譚-----------。

着ぐるみダンスも、カラーガードの仕事のうちや。

秋。 地区の運動会で、だれが着ぐるみを着るか、ひともめあった。

「頼む、リンちゃん。お願い。」

「カホの頼みでも、いやや。下級生にやらせたほうが、今後の経験になるし。」

「それが、踊りの輪からぬけだして、着替えて、ダンスに移るまでの時間が、短かすぎるんや。下級生には無理なんや。」

「うーん...。」

「わかった。うち、定演で、着ぐるみダンスやるから。」

「ええーっ!DMが、そんなこと、せーへんでも...。わかった、ウチん悪かった。ウチ、やる。」

こうして、ウチが着ぐるみやったんや。ほんま、ほんの数秒しか余裕がなくて、かつかつ間に合うた。確かに下級生には無理やったわ。


そして、定期演奏会

ステージに3匹並んだ着ぐるみ。真ん中で、ひときわ生き生きと、威勢よくダンスしている着ぐるみの、靴が、DMだった。

 

みんな、目を皿にしている。

なんや、結局、最後の最後で、カホがぜーんぶ、もってってもうたわ。

 

ま、それもええか...。あり余る友情返しや。

ごっつぉーさん。

 

 

自宅練習

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

ガシャーン!!

「キョウコ。何、やってんねーん!」

階下から、ママの叫びが聞こえる。
自宅の部屋ン中で、5分間、片足立ちの練習しとったけど、3分40秒でコケたんや。まだまだや。


うちは、この春から、律花高校吹奏楽部にあこがれて、入部する新入部員。
やけど、新型コロナで学校は休校で、当然、部活動も停止。顧問の先生や先輩たちにも、いまだ一回も会うとらん。
吹奏楽の練習なんて、「密閉」「密集」「密接」の最たるもんやから、仕方あらへん。
そのうち、吹奏楽部から連絡メール来た。そこには、限定公開の動画のURLが書かれとった。

グルグルのアカウントを設定し、ママと部員限定動画みた。

 

いきなり、律花の演奏演技の輝かしい名場面から始まった。それと、そこに至るまでの、部員の血のにじむような練習の数々の場面とが、折重なり合って流れてきた。もう、感動と涙なしには、見られへん。同時に、自分も、律花吹部の一員として、ユニフォーム着てデビューできるんやいう喜びの気持ちも高まってん。

次に、部長とDMからのあいさつ。
動画から想像しとったとおりの声質で、なんか、ほんわか優しそな先輩やわ。それに、チャーミングでクールや!かてて加えて、あのユニフォームやで。かわいさマックスや。ええなあ...。あこがれるわあ。

最後に、顧問の登場や。
美形や。となりで、いっしょに動画を見とったママも、おもわず「おおっ!」。映っただけで、保護者の心を鷲掴みやわ。

「16~18歳の3年間は、人格形成において最も大切な時期です。その大切な機会を、律花高校吹奏楽部に託してくださり、ほんまに心より感謝しております。」
「親御様のご協力あっての部活動です。まずは、お預かりしたお子さんの健康・安全を第一に...」
「この動画は、私が、編集いたしました。子供たちが、幾多の困難を乗り越え、青春を全速で駆け抜けていく様子は、本当に尊いものです。その純粋さ、一途な気持ちには、まばゆさ・神々しささえ感じられます。ぜひ、その成長の感動を、お子さん・親御様とともに分かち合うて参りたい思います。...」

ママは、いちいち、大きゅう、うなずいとる。パパとの会話で、こないな場面、あったかいな?

 

つづいて、休校時の自宅練習メニューが画面に出た。

 

5分間の片足立ち練習を毎日左右交互に2セットやること、自宅廊下などに5mの長さを測り、その間をM.M.=112のテンポで8歩で歩く練習を、毎日10回やること、歌えるように暗譜してくること、音出しが難しい環境の場合には、音は出さずに、指回しだけでもやってくること、等々。
さらに、今後、パートごとの振付の練習用動画を配信予定であること、また週2回、決められた時間に、スカイぺを使って、練習の進捗具合などをパート・リーダーとコミュニケーションをとることなども伝えられた。また、2、3年生には、ソルフェージュと楽典の教材を、メトロノームを使いCDを聞きながら、進めておくことが示された。

最後に、2月の尼崎マーチングフェスティバルの場面が映し出された。

圧巻や。次元が違いすぎる!!
憧れとともに、身が引き締まる思い。

はよう、技術を高めなあかん。ほんで、うちも、先輩といっしょに、あの輝きのステージに立つんや。


新型コロナとの戦いは、まだまだ、続く。
キョウコは、やがて訪れるハレの舞台を夢見、自宅練習に励むのだ。

 

 

 

<外伝> 寡黙なDM

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

  

律花のDMみたら、びっくりするで。
DMゆうたら、ふつう、大声張り上げて、団員に檄飛ばすやろ。
やけど、うちんDM、寡黙なんや。大声出すとこ、みたことあらへん。

はじめ、ようDMになれたって、だれもが思うた。
やけど、顧問、DM向きや、やってみなはれ言わはってん。
謎やった。

そのうち、その謎、だんだん解けてきた。
まず、目で話すんや。
音が5分の1ずれても、そのパートに、射すくめるような鋭い視線をなげかけてくる。
ハーモニーやリズム、振付揃わへんと悲しい目ぇし、原因になっとるパートだけでやるよう、ぼそっと言う。
それが、恐ろしいほど的確なんや。こないな具合や。

 

○○さん、あなたのフルート、周りとのハーモニー、気持ち悪くないんか。頭部管と胴部管の間、もう1ミリ、空けて。

トロンボーンの○○さん、Ges-durで半音ずつスラーで上げてって。...やっぱし、不均等やな...。もう一度繰り返して...。うん、ようなった。

 

みんなの前でやらされる部員は、毎回、冷や汗もんや。吊るしあげモンや思うた。

その様子を見とるパートリーダーの顔と言ったら...泣き出しそうや。
檄とばされるほうが、はるかに楽や。

せやけど、そのうち気づいたんねん。ほんまに、できひん子には、やらせへん。
やったら、すぐようなる子だけ、見極めとったんや。
ほんで、最後は、いつもみんな笑顔になるんや。ヤル気の加速アップや。もちろん、あとでパートリーダーが必死こいてフォローしとったけど。


なんでも、中学時代、全国管楽器ソロコンテストで、審査員賞とったらしい。
絶対音感もあって、クラシックバレエも3歳から習うとったやらで、リズム感・体幹も完璧なんや。
それが、なんで音高への推薦を断って、うちん律花に入ってきたんや?
それが、最大の謎や。


合宿中、ある事件がおきた。

皆、猛練習で、疲労の極限に達して、もうぶっ倒れる寸前のとき、『カンタベリー・コラール』を、最後にもういっぺん、通してみようってことになってん。
みんな、もう頭真っ白で、うちらの意志とは無関係に、勝手にふわーっと、全体の演奏進んでいく感じ。
ほんで、すーっと演奏し終えたとき、DMのおっきな瞳から、とつぜん、とめどなく、涙があふれでたんや。
まるで、涙に吸い取られるように、空間が、シーン...と静まり返ったんや。

うちら、最初、何起きたんか、わからへんかった。
ひょっとして、あんまりに下手な演奏で、がっかりして怒ってるんか思うた。
せやけど、そのうち、柔しい顔になって、幸せそうな表情になって、
「みんな、ありがと...。」
いうたんや。
そんなん言うんは、初めてのことやったから、びっくりや。
DMがいうたんやで。うちらも、もう、もらい泣きや。
こないな純粋なDMのためなら、なんべんでも、泣かせたれってことになった。
感動演奏が、うちらの、生きがいになったんや。
今にして思えば、そのとき、一本、通されたんやな...。

パートごとの細かな振付は、各パートリーダーに任せとったけど、所作ごとに体幹の重心変わるさかい、アンブシュアも工夫せなならんいうて、構成係やパートリーダーまじえて話し合いやっとった。たしかに、下向いた瞬間は高音出しづらいやろうし、激しい振付では、多少、音質落ちても替え指に変えよう、とか。それから、伴奏とオブリガートとはちゃうから、主旋律パート生かすために振付も変えへんと...やらやっとってん。
そのうち、みんなの前で、パートリーダー並ばせて、パートごとの振付の見本を見せるんや。
ふだん、同じパートの周りの動きしか目に入っとらんうちらにとっては、新鮮や。
パートリーダーだけあって、どや!って感じ。「おおーっ」て声上がる。リーダーたちも、まんざらやない様子。もっともっと工夫をいれるんやって。

そう、管理されとるっていうか、逆に、気づき与えられて、隠れとった能力が引き出されて、表現する場を与えられて、みんなで喜べる…そういう中心に、常にDMがおったんやな。檄なんて一言もあらへん。
そのうち一人一人、前向きな欲をもてる集団にかわって、コンクールが迫るにつれて加速がついてって、皆、目つきも座ってきたんや。

で、ようやく、みんな気づいたんや。
DMは天才や、真のリーダーやって。
それをはじめから見切ってはった顧問もすごいモンやし、バランス指導以外は、ほとんど黙ってみてたんも、すごい思うた。見直したで、顧問。

結局、その年は、マーコンで7年ぶりの全国金、吹コンでも関西金まで進出したんや。


いつか、DMに聞いたことがある。
なんで、律花へ来たんやと。
そしたら
「ソロコンテストでは、うちをはるかに超える才能は、全国、いくらでもおる。せやけど、コンテストに勝つための演奏と、感動演奏とは、別モンや。うち、感動演奏のハーモニーをみんなと作り上げていくんが夢やったんや。それができるんは、律花だけや。律花やないと、だめなんや。うちん夢、育ててくれはって、みんなには、ほんま、感謝しとる。」

いまから思えば、顧問は、この年度の吹部、そっくり、DMの才能に、くれたる覚悟やったんやろな...。

でもうちら、恨まへん。
キャッスルホールの緑じゅうたんの上で演技できたし、どうすれば、一人一人が輝きつつ、みんなで高めあっていくことができるんか、気づかせてくれはったしな。
そしてなにより、幸せづくりの天才に出会えたんやから。

 

 

Wish in bloom in the US

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 私が渡米したのは、19歳の秋。

 本場のマーチングを学びたかったことと、DCI(Drum Corps International)に出るには21歳までという年齢制限があったこと、そして、何よりROSEパレードで絶賛された、律花のマーチングを全米に広げたいという密かな願いからだった。今にしてみると、ずいぶん無謀だったけれど...。

     *

 離日前、吹部の同級生たちが壮行会を開いてくれた。

 高校時代、私のこと、ツイッターでさんざんいじりまわしてくれた親友のミユが「うち、家の都合で吹奏楽続けられへんくなってもうたけど、ミオのみる夢は、うちん夢やで。」と言ってくれた。
 あれにはこたえたわ...。これ以上のはなむけの言葉があるやろか。号泣もんや。

     *

 下宿先は、ROSEのときお世話になったホストファミリー。

 あの時ケナディー高校のホールでもらった小袋に添えられていたメッセージカードは、一生の宝物。

 『あなたが世界に雄飛するのが、私たちにとっても、夢です。あなたが大きなステップに向けて踏み出そうとするとき、再びあなたに会えると信じています。』

     *

 ホストファミリーとは3年ぶりの再会だった。

 ホストマザーとは、熱くハグした。

 ママは、微笑んで言った。

 「ミオ、やっぱり、また会えたわね。」

 「なぜ、わかったの。」

 「あなたのその目と、その笑顔よ。」

 そのときのママの満面の笑顔は、忘れられない。

     *

 バンド指導についての講義が続く。

...The band instruction has five important aims, that is, tone quality, pitch and intonation, rhythm, technique, and interpretation...

 最後に、教授は、こう言った。

You have submit some reports. A word error particularly the mistake of the technical term becomes the point zero. When three times of point zeros continue, you'll lose this required course. (レポートを提出してください。スペルミスは0点です。3回0点が続くと、この必修科目を落とします)

 えっ、落としたら、次の学期の必修まで待たなければならないの?その間のお金はどうなるの?

 翌日、オフィス・アワーに教授に会いに行った。単語ミスで0点って、どういうことか、聞こうと思って。

 初めて出会う教授は、寛容だった。

 「私に何がしてあげられるかな」

 しかし、私が自己紹介をしているうち、突然、遮って
「私の講座で、過去、パスした日本人はいない。君の、その程度の英語力では、ここは持たないだろう。とっとと、帰ったほうがいい。」

 容赦ない突然の言葉に、私は言葉を失った。頭をガーンと、ぶんなぐられた気分。何か言い返さないと...と思っても、次の言葉が出てこない。


 退室後、下宿までの道が、重く、長かった。

 帰ってくるなり、ベッドに倒れこんで泣いた。これ以上ないというくらい、泣いた。

 しばらくして...

 こんどは無性に、自分に腹が立ってきた。

 何もしないで、やられる一方か...。自分らしくないやんか。

 私の英語力では無理というのは理解できる。しかし、日本人には無理というのは、偏見だ。

 むかーっ、とした。絶対に、屈しない。あなたは間違っているぞ、と見返してやろうと思い、次回の講義の時は、一番前に陣取った。

 教授は、入室時に私の姿を認めると、目を丸くした。


 レポート1回目。人名のスペルミスで見事に0点。

 John Philip SousaをPhillipeにしてしまったのだ。


 2回目。

 ホストパパに頼んで、提出前にスペルチェックしてもらった。

 しかし、もともと隊列の専門用語のDress Rightとすべきところを、私が誤ってDress Lineと書いてしまったのだ。ホストパパに気づけるわけもなかった。

 またまた0点。

 リーチがかかる。


 次のオフィス・アワーに教授室へ行った。

 教授は私を見るなり、開口一番、「なぜ早く帰らないか。ここは、あなたのいるところではない。」

 私は微笑んでかわし、
 「エキストラ・クレジットの課題を与えてくれませんか」

 「そんなもの、考えたことがない...」
と、ごにょごにょ言っていたけれども、結局、私のしつこさに断念したのか、
 「じゃあ、君の2つの0のうち、1つを消してあげることはできる。ただし、君がどんなマーチングを考えているのか、3分で私を十分に納得させられれば、の話だがね。」

 「今、ですか。」

 「Go ahead.」

 「私の考えるマーチングとは、これです。」

  持っていた楽器を取り出し、その場で演奏しつつ、舞った。

 

 意識は、もう、どこまでも青く突き抜けるパサディナの空の下だった。

 大歓声とスタンディング・オベーションのなか、律花の仲間たちとともに、輝きの行進をしていくのだ…。


 気づくと、教授が目をつむっていた。

 (だめか...)

 そして、しばらくしてから、教授は口を開いた。

 「君は、現在のところ言葉の点では問題があるが、パフォーマンス能力とクリエイト能力は、卓越している。口先だけの指導者が多いなか、それらは、将来の指導者として、最も大切なものだ。私は才能ある逸材を、もう少しのところでつぶすところだった...。」

 「これからのマーチングは、伝統的な要素に加え、君のいうような要素も必要だとおもう。ところで、君はひょっとして、日本の律花シニアハイスクールの出かい?」

 「はい」

 教授は大きく頷き、
 「…わかった。君は、将来のためにもDCIを体験しておいたほうがいい。Johnに君のことを話しておくよ。彼は、本学における責任者だ。」

 「ありがとうございます…」

 「あ、言い忘れていた。今後、君は単純なスペルミスから解放される。」


 あとは涙で言葉にならなかった。吹部の仲間が救ってくれた...。

     *

 Johnに会ってからはトントン拍子で、World ChampionshipのFinalに出場した。言葉に慣れるにしたがって、多くの友人にも恵まれていった。

 卒業式の日、教授とハグをした。

 そのとき初めて、教授から、ホストパパとは高校時代からの友人だったことを明かされた。

 自分の様子が筒抜けだったのだ。

 

 下宿へ向かう道々にはカリフォルニアポピーが咲き乱れ、かぐわしいそよ風に揺れていた。

 一面のオレンジに包まれて、わたしは、律花吹部のみんなと進んでいくのだという確かな思いを抱いた。

 

     *

 

 今、私は、母校の大学で、マーチング演出とショウ・コーディネイトをしている。

 私が、学生たちに、いつも言っている言葉がある。

 「マーチングには揃える美しさは必要です。しかし、ぴったり揃うから美しいのではありません。
 つまり、人間の個性をなくし、全員を同じカラーに揃えるということではなく、個性の表現の仕方をどうそろえたら美しく見えるか、ということです。
 そして個性のハーモニーと演奏のハーモニーとを融合させるのです。」

 いま、律花流のマーチングと、本場伝統のマーチングの所作との融合した、新たなマーチングを提唱、指導している。

 私の脳裏には、つねに律花吹部の、あの仲間たちの笑顔がある。

 そして律花の魂は、異郷の地で、また新たな「生きる喜び」に満ち溢れた輝きを放つのだ。

 大輪の花が開くのも、もう、そう遠くはない。

 

 

 

100分の95

 

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

うち、何してたんやろ...。

全国行きを逃し、気づいたら、今、卒業式の会場に座っている。

卒業式の式次第は、壇上で滞りなく進んでいく。

それをぼーっと見ながら、ミオはマーコン前に行われた「合宿」で、自分がみんなに言った言葉を思い出していた。


「どこの学校も、勝つために死に物狂いや。鬼になって、練習してるんやで。」

「それに打ち勝つには、それを超える鬼にならなならんねん。」

「いまのみんなは、鬼以前や。座って泣いとる間があったら、動け!」

「疲れはてて、頭が真っ白になって、余計な力入らへんくなってからが、ほんまもんの練習や。」

「限界になってはじめて、体、黙っとっても、ベストの動きをしてくれるようになるんや。」

「泣きな(泣くな)!こないなの、まだまだ限界やあらへん!全国は、まだまだ、いくつも限界を乗り越えた先にあるんやで!」

檄を飛ばす。


だが、団員は、なかなか思うような動きをしてくれない。

転倒する者、へたり込む者。泣きながら動き回っている者も多い。

疲労は、わかる。でも、それを跳ね返す、腹の底から湧き上がる闘志が感じられない。目に生気がなく、危機感がみじんも感じられない。

みんな、去年の悲しみも、おととしの悲しみも、知っているはずやないか。マーコンで全国行きを逃した、涙にむせぶ、あの空間を...。

DMが、みんなの前ではじめて泣いた。

顧問も、目を真っ赤に腫らしていた。

みんな、覚えているはずやないか。

青春のすべてを捧げ、そして敗れ去った、あの深い悲しみを。

今年も、繰り返したいとでもいうんか...。


仲の良かった吹部内の同級生サラから言われた。

「ミオのこと、好きやけど、今のミオ、変や。」


空回り...。そう、全てが空回りに陥ったのだ。

ぶつかり合って、ぶつかり合って...それでも分かり合えないもどかしさ。

いったい、何が間違っていたのだろう。何が足りなかったのだろう。

マーチングコンテストは、覇道だ。全国大会に、行けるか、行けないか、しかない。

そして今年もーーーー負けたのだ。

覇道を突き進んだのが、どこが間違いだったのか...。

 

 壇上では、式次第が進んでいく。

「本年の全卒業生395名。諸君は...」

 

そのとき、ふいに、95という数字が、頭の中に入ってきた。

今の部員数だ。

春先100名いた部員が、年末に95名も残っていたのだ。

男子部員ですら泣き出すほどの激しい猛練習の吹部で、これだけの部員が退部せずに続けてこられたのは、他校では考えられないことだろう。

そう、みんな、自分の人柄を見抜いていたのだ。

覇道を突き進もうとする心の奥底には、友愛の精神が満ち満ちていることを。

でなければ、そんなに部員が辞めずに続けるわけがない。

じつは、自分はみんなに愛され、信頼され、逆に、生かされていたのだ。

部員にとっての喜びとは、まさに、自分が生き生きとしている姿を見せ続けることだったのだ。

なぜ、もっと早く、部員一人ひとりの、自分に向ける暖かい眼差しに気づけなかったのだろう...。


膝の上に、ぽとりと、しずくが落ちた。

たとえ覇道を極め、マーコン全国金を成し遂げたとしても、いや、むしろ成し遂げてしまったら、ピュアな心の結晶は、得られなかったかもしれない。

彼女の青春のすべてを捧げたフィナーレに、一粒のしずくはダイヤのように輝いた。

 

<外伝> 楽しいお弁当

昼休みの教室。吹部仲間で、お弁当を広げている。
隣のクラスの吹部員のコトネが入ってくる。

「ハロー!」

いつものように、教卓の前まで、きっかり8歩。しかも、いつもきまって、教室には、必ず左足から入ってくるのだ。

「コトネ、あんた、それで授業うけとったん?」

「あ、ネックストラップをつけたままやったわ...。朝練習のまま、午前中、授業を受けてもた。」

「先生に、何も言われへんかった?」

「そういえば...なんか、言われたなあ。授業おわってから『返事くらい、できひんの』って。うち、寝とったさかい…」

「そしたら?」

「で、うち、『ハイッ』て言うたら、『何で、ハイしか言わへんの?!』いわはるさかい、『ハイッ』ていうたら、...なんか、キレ気味に教室出ていかはったわ。」

「うちら、吹部員の宿命やな...」
みんなで、ため息。

一人で弁当を広げていた、すぐとなりの男子が、口に入れたものを噴き出すのを、必死にこらえている。


「さっきの英語の授業、笑うてもうた。」

「どないしたん?」

「『名誉』の「honor(オナー)ってあるやろ。」
「チューバのソウタさあ、『ホナー』って読むやん。」

「ほな、帰ろか」

「それ、しゃれ?」

「キャハハ..」

すぐとなりの男子が、お茶を噴き出すのを、必死にこらえている。吹部員の近くは危険と察知したか、席を移動。

ボーンのミキは、ペットボトルを、まるで口をマウスピースに押し付けるようにして飲んでいる。

オーボエのユイは、ストローをリード咥えるみたいにして飲んでいる。

さっきまで、すぐ隣にいた男子は、移動しながら、彼女たちの様子をちらっと見た。が、ちょっと癖のある飲み方に、見てはいけないものを見たかのように、あわてて顔をそらす。


「ねえ、怖いものってある?」

「後ろに、ボーン!」

「キャハハ、あるある。」

「ちょっと!何いうんや。」

「あと、1年生の楽譜。書き込みがカラフル過ぎて、逆に、わからへん。」

「すさまじいもんやしなあ。」

「でも、真っ黒けのうちらの楽譜も、それでもわかるいうんは、ある意味、コワイ。」

「でも、うち、この前、指がすべって、スライドすっ飛んでいきおったわ。」

 ちょうど、そのとき、ユリが箸でつまみそこねたエダマメが、向い合せに並べた机の上をコロコロ転がる。

「キャハハハハッ」

「...うん、たしかに、そら、ビジュアル的にインパクトがある....って、感心しとる場合か!」

「はは。」

「パーカスのメイも、よう、マレット飛ばすしな。危なかしゅうて...」

「あの子、破壊力ありそうやしな。こないだは、折って、飛ばしとったし...」

「うち、音、ミスったとき..」

「うんうん。とくに、チューバとか、ペットとか目立つしな...」

「そないな時って、楽譜見えてんのに、『うーん・・・?』って感じで、わざと楽譜に顔近づける。」

「そういう度胸も、ときに必要やな。」

「はは。あるある。」

「でも、落ち込んだあと、廊下でさらうと、うまく聞こえて、早く立ち直れる。」

「それって、たんに、幻聴やない?」

「やけど、いちばん怖いのんは、練習開始直後に、顧問から『一人ずつ吹いてみて』っていわれたときやな」

「うんうん。」
「開始直後に、やらせるか!」

「ははは...」


「あ、そろそろ時間や。」

昼休みの残り30分も、いつものように練習室に向かうのだ。

新生へのプレリュード

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

高文祭
例年、吹奏楽コンクールで府金賞を取っている律花さんが、吹奏楽部門のオオトリをやると聞いたので、一応、聞きに行った。もっとも、本学のほうは、昨年、府代表で関西大会にまで出場してはいるが。

CTスミスの「華麗なる舞曲」か...。
ずいぶん、欲張ったものだ。力量が、丸出しになってしまう選曲ではないか。

タクトが動く。
と、いきなり、天井から、ミサイルが落ちた。危うく椅子からずり落ちそうになる。
濁りのない、ピュアな雷鳴が、大音量で響き渡る。

ムッ。何ということだ。
本当に、律花か?

金管のハイトーン、木管の高速パッセージ...、申し分ない。リード楽器のタンギングも、まずまずだ。
ソロフルートも、なかなかの腕前。
一つ一つの音が紡ぎだす宝石のような輝き。バランスも良い。音が、前に飛んでくる。
ホルンパートの難所も乗り越え、さらにトロンボーングリッサンドも、申し分なし。フィナーレへ。


うーん...。

顧問のメリハリある指揮と、それでいて、迫力あるピュアな演奏。音圧もすばらしく、キレも良い。
音の美しさとハーモニー、ダイナミクス...、申し分ない。
この演奏に関しては、全国レベルや。いや、それができる能力こそ、見るべきだろう。

しかも、生徒の表情が違う。うちの吹部とは、根本的に違う。
あの真剣な眼差しは、単なる集中以上のものだ。
各自の頭の中では理想の音が鳴っていて、現実と常にフィードバックしつつ、指揮を見ている。
しかも、木管同士、金管同士、また、木管金管とのバランス、さらに、低音と高音とのバランス等々まで頭に入っており、各個人は、演奏しつつ、頭の中で鳴っている理想の音や奏法と、現実の周りのバランスとを、指揮を見ながら、瞬間、瞬間で微調整しているーーーーそういった、表情だ。譜面をめくるタイミングや、音に雑味がなく前に突き抜けてくることからもわかる。


これはーーーーー!!

この難曲に対し、だれでも教え込んでできることではない。理解してできることでもない。
生徒の資質の高さ、指導者の技量、相互の信頼関係、目的意識、もちろん、日々の修練等々、見事に合致しないと、あそこまでの演奏は、なしえないであろう。

しかも、演奏し終えた直後の謙虚さは何なのだ。
少しも、誇らしげなところがなく、照れもない。たんたんと起立している生徒たちは、全体が、見事に至福のオーラを放っている。!!


うーん、「空恐ろしさ」とは、こういうことなのか。
底知れぬ、ポテンシャル...。
どこまで伸びていくのだろう。
ライバル視する以前に、あまりの見事さに、興味を持った。

ウチも、うかうかしていられないが、来年度以降の律花の伸びも見てみたい。
おそらくは近い将来、全国に至るかもしれない、その道程を、後学のため、見ておきたい...
妙な欲望が、ふつふつと湧いてきた。

帰り際、顔を、やや、下に向け、自嘲気味に歩く、とある高校の総監督の姿があった。

わし、どこのファンなんや?


3か月後、その総監督は、尼崎ステージマーチングの会場にいた。
もちろん、自校の出演のためであるが、律花の演奏も覗いたのだ。

やはり、全体的に、音が前によく飛んでくる。日ごろから、音の雑味を徹底的になくし、バランスを意識しながら、適宜、奏法も変え、練習している証拠だ。
また、1年生だけのフルート・ソリの美しいしっとり感、そして、それを受け継ぐトランペット・ソロの音圧のある、艶やかな伸びのある音。クラリネット・ソロの美しく語り掛けるような音色、トロンボーンのアタック。4人ながら、音量・音質ともに良い。
さらには、パーカスも、音圧・リズム感ともすばらしく、安定しており、すでに職人芸。さらに創造性もある。
3年生が抜けたはずなのに、3か月前と比べ、さらに伸びている!
今にしておもえば、高文祭のあの「華麗なる舞曲」は、新生・律花誕生を高らかに宣言する、「プレリュード」だったのだ!


マーチングの演出面では、どうか。
いかにも律花らしい演出といえば、一言で片付くが、本質的な部分で、他校と違う。
まず、全員、一人ひとりが「楽しんでいる」。
格好良さ、かわいさの演出、ステップの連携により、個々の輝きが一層増している。
ドラムの激しいビートに、ホーンが鳴り響き、木管の暖かい音色が入り交じり、豊かな世界観に観客をいざなう。
トロンボーン、トランペットの畳みかけるような演奏と、激しいステップが、フィナーレに向けての高揚感をいっそう高める。

見まわせば、観客は、皆、律花の世界に酔いしれ、引き込まれ、ある者は、そのエネルギーにうたれたようにショックをうけ、またある者は、その感動の演奏演技に随喜の涙を浮かべている...。


総監督は、ホールの天井を仰ぎ、思った。
これまで律花は、マーコンで、ダンスをすることで音を不安定にし、自滅行為を繰り返してきたとばかり思っていた。なんと愚かな行為なのだろうと思っていた。
しかし、律花の新しい音と、目の前に繰り広げられている「夢の世界」とは、実は、一体・不可分なものだったことに気づかされた。彼女たちにとって、座奏のさいの見事なバランスやハーモニーへの集中・調整の連続は、皆でダンスを繰り広げるのと通じるところがあるやもしれぬ。どちらも一人ひとりの内的表現を上質なハーモニーに昇華させる作業だ。生徒たちは、それらを本当に楽しみながら演奏演技し、心の底から輝く世界を現出させている。見ていて「尊さ」すら感じさせられる...。

これまでの自分たちの考えは、ドリルソフトを使って設計した複雑なフォーメーションを精密に次々と展開し、美爆音を轟かせれば代表に近づくといったものだった。また部員同士を競争させつつ、規律第一に徹底して教え込む指導を行ってきた。
律花は、そういう自分たちとは、「棲む世界」が全く違う...。

舞台に目線をもどす。
相変わらず、きらめきくハーモニーを奏でながら、激しく、時には優雅に、生き生きとダンスを繰り広げる律花の部員たち...。

総監督は、律花の先にある光に満ちた世界を想起するや、急に、うつむき、小さく、小さく、ため息をついた。