律花高校吹奏楽部・短編小説集

これは青春のすべてを吹奏楽に捧げる者への賛歌である。

続続・夢のなかへ

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 

それから数年後...

女子パラ・オレンジ組公演会場には、女子パラ・バッヂをつけたファンが押し寄せた。会場に入ってくる客たちは、まるで公認サポーターかパトロンであるかのような誇らしげな顔をしている。たんなるファンの群衆が押し寄せるのとは違って、歩き方にも、どこか不思議なゆとりのようなものが感じられる..。
当初、サポート額に応じてバッヂの色も変えようかという意見もあったが、自分たちを支え続けてくれるのは金額の多寡ではなく、ファン層の厚みだという声があがり、皆、同じ色のバッヂとなったのだ。この戦略が功を奏したのか、品のある、節度ある客が多く集まった。

女子パラは、いまや3チーム体制。

主としてホームタウンでの公演を行なうオレンジ組。ここは、高校からの一貫性と本家としての伝統を守りつづけ、ここで育った者が各地方チームの監督になっていく。
当初、出身校である律花高校の公演も抱き合わせで行ない、収入の半分は、後輩たちの活動費や奨学金に充てようか..などというアイディアもあったが、保安上の問題や、学校法人に対する税制上の問題などもあって、取りやめとなった。ただし、最近では、律花吹部の公演日前後に、女子パラ公演を行うなどしているようだが..。

さて、地方公演を主に受け持つのが赤組,白組。
これは、律花高校卒業後の居住地域によって、おもに九州方面が赤組、関東方面在住のメンバーが白組となる。

赤組の特徴は、ダンスもさることながら、そのハーモニックな美しい音が売りだ。
金管楽器の音色は輝かしく、木管楽器の音色は表情豊かであるし、最弱音から最強音まで音に余裕があり、揃っており、濁りがない。音大在学中、または音大卒の優秀な団員を揃えただけあって、どのパートにも欠点がない。
このくらいでないと、耳の肥えた福岡の人たちは納得しないのだ。
そのうえで、ダンスしながらの超絶演奏もこなしてしまうのであるから、インパクト絶大である。
観客席には、セーラー服を着た地元の高校生たちも、多数見られる。

つぎに白組。
関東在住の若い団員が中心で、ヒップホップ系のダンスミュージックが得意。
耳に残るリズムバックトラック、その中毒性のある独特さや、人を虜にするようなビートの音楽、それからクールでほどよく甘く、スタイリッシュでノリが良い曲もあって、聞いている観客たちをノリノリにさせてしまう演奏スタイルだ。ファンの間では、ホワイト・マジックとよばれ、そして、'ホワイト沼'に嵌ってしまったコアなファンは、自らをホワイト・アディクトと自嘲する。
とまれ、海外公演のさいの盛り上げ役の中心となるのが、この白組である。


女子パラは、また、子供たちが音楽を通して成長できるための基金にも協賛している。
自分たちが現役時代、古い楽器を大切に使いつつ、いろいろな人に育ててもらった恩を忘れないためだという。
それが、女子パラのサポーターたちに、サポートする歓びとステータスとを与える一因にもなっているようだ。

 

さて、律花高校。
かつて高校を出てからは、公的機関のカラーガードなどに入り、細々と音楽活動を続けていたのだが、女子パラの出現により高校の位置づけは完全に逆転した。
大人気バンドの予備校と化したのだ。
全国から入学志願者が殺到し、とある歌劇団音楽学校よろしく、競争率数十倍という狭き門となった。優秀な部員も200名を超え、全国大会出場常連校となった。
生徒募集の観点からは、少子化のなか大変有難い話だが、他の進学クラスにも支障が出始めたため、律花では2、3年後をめどに、音楽科を増設予定である。

 

 

 

双輪の華

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 

カラーガードのAとBは、律花の歴代のカラーガード中、屈指の'華'のあるペアだ。

はじめに気づいたのは、ステージ中央に左右から出てくる時の'歩き方'だった。
通常の歩行とは違い、つま先がいくぶん外開き。これはバレリーナと同じく、脚の内側の筋肉が鍛えられているからなのだろう。だからどんなに激しい振付をしようとも、体幹は常に安定しているのだ。

それから気づいたのは、二人の首筋の美しさだ。
彼女たちは、上半身から指先の先端に行き届くまでのラインの美しさを常に意識して、舞う。
首周りには余分な力が入っておらず、肢体の動きも柔らかく、呼吸法も整っているようである。
それらが、演技に'優雅さ'を生み出している。たんに手わざでフラグを振り回すのとは、根本的に違う。

また、学園祭のとき、ステージ左右で踊っているのを見たことがあるが、はたして、それはバレエ経験者のものであった。熟達したバレリーナとおなじ、首から肩にかけてのラインの美しさが認められるのも、なるほどと思わされたのだ。


そして、これらに加え、彼女たちには、楽器も演奏できる強みがある。
そう、彼女たちは、カラーガードである以前に、演奏家でもあるのだ。
この点、とくに重要で、彼女たちが舞うのは、通常、バレエ音楽に合わせてではなく、マーチング曲などの場合が多い。
彼女たちは楽器の呼吸とリズム、音楽性をよく理解しているからこそ、それらと、バレエ的要素との融合ができるのだ。


さらに加えて、その演技には二人の育ちの良さも滲み出ている。

Aは、どこまでも優雅であり、いわば、「動」。
またBには、「静」のなかに「歓び」が込められており、安定した芯の強さがある。
二人は、互いに認め合い、生かし合っている。
こうした友情の美しさも、ガード全体の動きの優雅さをも生み出している。

 

あり余る'華'―――。


彼女たちの創り出す世界は美しく、尊く、それゆえ、律花バンド全体の華やかな夢の世界を一層引き立てるのだ。

 

 

 

 

続・夢のなかへ

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 


その後、「女子パラ(女子パラダイス・オーケストラ)」は、世界デビューを目指し、いろいろと試みた。


東京オリンピックの外国人観客が来るタイミングでショーを開こうとした。
しかし、コロナで外国人の訪日は禁止されてしまった。

大規模展示場で世界的規模のモーターショーが開かれるのを聞き、イベント出演を打診した。
しかし、想定される観客と、展示品の購買層との関連性が薄く、そもそも、まだ話題性すらないということで、断られた。

CM出演を、大手外資系会社に直接、打診したりもした。そのさい、高校時代のテレビ出演の実績なども話してみた。
だが、販売戦略を熟知している大手広告代理店を通してほしい旨、やんわり、断られた。
担当者いわく、「自己完結しすぎている」。

そうか...。
女子パラの完璧な演技は、自己完結しており、商品の購買動機へと結びつかないのだ。
平たく言えば、どちらが主体か、わからなくなってしまう..というわけだ。


そんなわけで、さしあたり、動画配信をチャンネルにして認知度を広げることとなった。

たしかに、動画配信により、ある程度の数のファンを惹きつけておくことは可能だ。
しかし、社会的ブーム、世界的ブームを引き起こすところまでは、至らないのだ。
起爆剤とは、なりにくい。


世界へ打って出たいが、具体的にどすればよいか、皆目、見当がつかない...。

女子パラは、しばらく、暗中模索の日々が続いた。


*


「女子パラ」メンバーのサヤカは、その設立に関わってのち、すぐに渡米した。本場マーチングを学ぶためである。
オーディションと何回かのキャンプを経て、21歳のとき、初めてDCI(Drum Corps International)に出場した。


その会場近くの公園で、自分より20cm以上も背が高い、見知らぬ白人女性から、声をかけられた。体重は90kgくらいありそうだ。

「以前、パサディナでお会いして以来ですね。」

 「???」

「5年前の12月、パサディナ・スタジアム...律花高校の後でマーチングした西部大学の関係者です。」

 「あっ、...あの時は、演奏が長引いてしまい、失礼しました。」

「そんなこと、いいのよ。ちょっとお話、いいかしら..」

 「もちろんです。」


木陰のベンチが涼しい。
心地よい風が、ほおを撫でる。


「時間がないから、単刀直入に話すわ。
あの時、あなたの高校の後で、お客さんにゴッソリ帰られたのは、ショックだった..。」

 「ごめんなさい。」

「いいえ、謝る必要はないわ。...けど、そのうち気付いたの。自分たちは、なんてラッキーだったのかしら..ってね。」

 「???」

「マーチング革命の、一方の当事者になれたのだから...。お客さんの反応をみれば、何が正しいかのが分かったの。」

 「わたしたちは、そのやり方しか、知らないので...」

「いいえ、立派だわ。それに、優勝賞金も、寄付したっていうじゃない。」

 「ありがとう。」

「あなたにお願いがあるの。西部大学の私たちのクラブに来て、1週間、指導してくれない?もちろん、DCIが終わってからでいいわ..」

 「...わかった。ディレクターに聞いてみる。」

「あなたとお話しできて、よかったわ。」

 「私も。」

「この紙に、私の連絡先が書いてある。また、会えるといいわね。」

二人は、軽く抱擁し、そして別れた。

 

話を聞いたバンド・ディレクターは、目を丸くした。

「そうやって、他校からお呼びがかかるようになるのが、良き指導者への第一歩だ。200人からいる部員の中で、他校からお呼びがかかるのは、ほんの一握り。しかも、全米トップバンドの西部大学からとは...。これは、驚いた!!教えるのではなく、教えてもらってこい。10日間、許可する。」

 「有難うございます。」

「戻ってきたら、報告するように。向こうのディレクターから、そろそろ連絡があるだろう...。私の方からも、連絡しておく。」


数日後。出発の前日―――。

サヤカは、ディレクターから呼び出された。

「君に話しかけてきた女性いただろ?」

 「はい。ジェーンです。」

「彼女は、サブ・ディレクターだ。」

 「ええっ!」

「いったい、君は、何者なのだ?日本で何をやってきたのだ?どうして、うちの一団員としているんだ?」

 「いえ..」

「本学バンドのアシスタント・サブ・ディレクターとして行くように..。でないと、名門・西部大学さんに対して、失礼になる。」

 「はい、ありがとうございます...。」

 

こうして、サヤカは、西部大学で1週間、指導をすることになった。

最初は、よほど幼く見えたのか、中学生に接するかのような、いくぶんの当惑、そして奇異の目線を感じた。

ジェーンが紹介する。

「…わたしが、なぜ、彼女を呼んだのか...。5年前のことは、チームにとっても、忘れられない経験よね。言葉より、まず、彼女の力量がどれほどのものか、見せてもらいましょう。サヤカ。OK?」

サヤカはにっこり微笑むと、楽器を演奏しつつ、舞った。

激しくダンスしているのに、その音色は、どこまでも美しく澄みわたり、座奏となんら変わらない。
辺りがオーラに包まれ、彼女の周囲10mがパーッと明るい。まるで宙で天使が舞っているかのようだ...。

それが、どれほどすごいことであるか、マーチングをする者なら、一瞬でわかる。
また、これなら、従来、不可能だと思われていた豊かな表現も、マーチングに大胆に取り入れることができるだろう、演出の革命を起こせるだろう、そして、誰にもまねできないような、輝きに満ちたマーチングになるだろう―――その可能性に、その場の誰もが、気づいたようだった。

 

演奏が終わった。

だが...

周りを取り囲んで見ていた300人からいる部員たちからは、一言も声が出ない...。
いや、出せないでいるのだ。

あまりの"劇薬"...

全米トップといわれた自分たちが、完膚なきまでに打ちのめされた、5年前の「悪夢」が再現された思いだ。

自分たちは、こんなグループと戦っていたのか...

 

サヤカは、にっこりと微笑み、そして口を開いた。

 

"For the last few years, all I've been thinking about is how to apologize to you.
We delayed the start of your marching with our performance at Pasadena Stadium.
But then I realized that it was out of respect for marching that you waited for our performance to end.
And that feeling turned into conviction when I met Jane.
I understood why you, regarded as the No.1 school in the US., had invited me. That is, you have a solid will to innovate marching without resting on your laurels.
Embarking on innovation may indeed cause anxiety.
However, the power to experience it as a meaningful step toward the future shines brilliantly in all of us.
It is friendship, it is love, and it is the glow of harmony and dynamism that lies deep within us.
Although it is a limited time, let me expose all of myself.
It is my respect for all of you who are honorable and courageous. It is also the love between those who seek to master marching together.
Thank you."

 

 (ここ数年、皆さんに、どう謝ろうかと、私はそればかりずっと考えてきました。パサディナ・スタジアムの演技で、皆さんのマーチングのスタートを遅らせてしまったからです。けれど、そのうち、皆さんが、私たちの演技終了を待ってくれていたのは、マーチングというものに対する敬意の気持ちからのものであったのだと、思い至りました。そして、その気持ちは、ジェーンに会ったことで、確信へと変わりました。全米No.1といわる御校から私が呼ばれたのは、名声に安住することなく、マーチングの革新をしていこうという強い意志を皆さんがお持ちなのだと、私は理解しました。
確かに、革新に乗り出すことは、不安があるでしょう。しかし、それを未来に向けての意味あるステップとして経験しようとする力は、皆の中に燦然と輝いています。また、それは、友情であり、愛であり、そして心の奥底にあるハーモニーとダイナミズムの輝きでもあります。
限られた期間ですが、私のすべてをさらけ出しましょう。それが、高潔で勇気ある皆さんに対する私のリスペクトであり、ともに、マーチングを極めようとする者同士の愛でもあります。ありがとう。)

 


とたんに、練習場は、割れんばかりの拍手と、熱狂の渦に包まれた。
この瞬間、名門・西部大学マーチング部に、律花流のマーチングが芽吹いたのであった。

こうして、予定をはるかに上回る、都合3か月間、サヤカは断続的に出向することとなった。
先方のディレクター、そして、なにより団員たちが、サヤカの人柄や能力を惜しみ、手放そうとしなかったからである。


西部大学のマーチングは、その後、伝統のテイストを保持しつつも、生き生きと、大きく変容し、人々を、あっといわせた。たんなる集団美でなく、空間美も活きるようになり、個々の団員から発せられる躍動感が、チーム全体の強烈なオーラとなって、会場全体を包み込むようになったのだ。

そして、この間の経緯がドキュメンタリー番組に編成され、サヤカの感動スピーチとともに、ケーブルテレビで、さらには3大テレビネットワークでも大きく取りあげられたのだった。

 

そうや、忘れとった...。

さっきまでアパートで談笑していた、気の置けない西部大学の仲間たちが帰った後、サヤカは、ふと、気づいた。

「女子パラ」が世界進出するんは、今やん!

サヤカは、日本に連絡した。

 

3か月後―――。

首都ワシントンのポトマック川畔にある大ホールで、出演している女子パラがいた。もちろん、その中にもサヤカも加わっている。
2400席のチケットは、たった5分で完売し、また5年前のホームステイでお世話になったホストファミリーとの感動的な再会の場面なども含め、全米に放映されたのだった。

それは、サヤカのマーチング指導者としての、華々しいデビューでもあった。

公演や指導依頼が、各地から続々と舞い込んでくるようになった。

 


ははは...。まるで、種まき係やな...。

やけど、全米に律花の花があちこち咲いてゆくんが楽しみや...


窓から、心地よい薫風が吹き込んできた。

どこからか、ほのかに花の香も漂ってくる。

 

サヤカは、高校時代の吹部の仲間たちの笑顔を思い出しながら、頬をほころばせた。

 

 

 

 

 

夢のなかへ

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 

先輩、お久しぶりです。

あ、久しぶり。元気やった?

おかげさまで..。あっ、先輩!ちょっと痩せはりました?

相変わらず、うまいなあ...。全然変わってへんで。

ハハハ..ありがとお..ハハハ...

 

  先輩の呼びかけで、高校時代の吹奏楽部の有志が再結集した。
  高校出てから2年ぶりに会うた先輩たちや同級生たちは、全然変ってへんかった。
  変わったと言えば、髪染めてることと、マニキュアと、あと不慣れな化粧くらい。

  ま、正直、激しい部活動が無くなって2年も経つと、ウチも含めて、少しむくッとした子もおったけど、中身は全然かわってへん。それが嬉しくってたまらへん...。

練習が始まった。
  始めは、久しぶりの練習で、うれしい気持ち、懐かしい気持ち、そして新鮮な気持ちが勝っていた。

  やけど、そのうち、気づいてん。
  みんなと合わせるときの、あるべきハーモニーのイメージが湧かへん。ダイナミズムなり全体の色なりの出しよう、方向性が、皆目、わからへん...。

  そうや、顧問の先生は、もういはらへんのや...。コーチも、おらんのや。

  皆、大学での授業があって、高校時代のように、毎日毎日、まとまった時間、練習時間が確保できるわけちゃうし。
  これからは、自分らだけで、自分らの音を築き上げていかなあかん。

  それができひんと、プロ集団としてのデビューすらかなわへん。

  久しぶりに合奏できた喜びは、ほどなく吹き飛び、危機感が露わになった。


  練習後、喫茶店の一隅に集まり、話し合いを持った。

 


個人で、技量を磨くことは当然のことやけど、全体の方向性が、湧かへんなあ。指導者呼ぼか..

でも、大学の学費以上に、親に負担かけたないし...。

正直言うて、うちらより演奏が上手い子は、ぎょうさん居る。やけど、うちらの演奏を喜んでくれはるお客さんもいっぱいおる。いったい、どこ、喜んでくれはるんやろな。

美人揃ってるしなあ...

ハハハ...

相変わらず、うまいなあ...。ま、ダンスしながらの演奏やろな。

うちら、ダンスしながらの演奏の技術は、体に沁みついてるし...。

いつか、プロスポーツの応援でコートでマーチングしたことあったやん。あん時のお客さんたち、びっくりもなんもしてへんかった..。そういう意味では、ダンスしながらの演奏が、どれほど凄いことか、感じさせる方法も、考えんへんと...。

そこやな。そこ解決せーへんと、マーケットをヒットできひんで。

そやな。あと、みんな、ちょびっとダイエットやな。

ちょびっと??

先輩、冗談ですってぇ…

ハハハ...

そやけど、その「色の出し方」、どうしよか。

現役生に比べれば、うちら、おばさんや。

ウチ、まだ、バリバリやけど。

まったーっ。ハハハ...

目の周りパンダや。

先輩、突っ込まんといてくださーい。

ハハハ...

...やから、若さだけやとあかんし、純粋に芸術的表現だけやとあかんなあ。いっそ、現役生にはできひん、荒削りの若さの爆発みたいなんどうやろ。意図的に...

そうやな。見てくれてはるお客さんが、うちらの演奏・演技で幸福になってもらえる...。

そうや、やっぱり笑顔の爆発が基本や!

「女子パラダイスオーケストラ」とかどやろ。しかも、どこのバンドもやったことのない、踊りながらの演奏で、お客さん乗せてみて..。

それ、ええなあ。

女子パラか..

うんうん。めっちゃ新しいやん!

うん、行けそー。

あと、夏の合宿もせーへん?

「合宿」かあ...なつかしい響きやなあ...。

プロのマーチング指導者にもスポットで来てもらおか...。

 


  ―――彼女たちの話は尽きないようである。

  それぞれが、大学の専門分野の習得や実社会での経験を通じ、自分が変容していくのを自覚しはじめた。
  だからこそ、今一度、変わらない自分の核の部分を見つめ直そうと集まったのだ。

  彼女たちは、ずーっと、美しい世界のまま、時を刻み続けていくのだろう...

 

 

 

始動!

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 

 吹奏楽部に入っている中2のユキナは、新生律花高校吹奏楽部のステージマーチングをネット動画で見た。
4か月前、ネット投票で全国ダントツ1位のマーチング演奏を残した3年生は、すでに引退し、もういない。
1,2年生だけの、初めてのお披露目演奏が、これから始まるのだ。観光協会からの依頼らしい。

 

ノリのよい、馴染みの曲の演奏が始まった。


始めの数秒で、ユキナは耳を、そして目を、疑った。
座奏ですら演奏できないような美しいハーモニーが聞こえてくるのに、ピョンピョン、激しい動きをしているのだ。信じられない。

こんなことがあっていいの?

アンブシュアはどうなってるの?肺活量はどうなってるの??

「うそやん..」

思わず、声が出た。

別録音やないの?

眼前に繰り広げられている、あまりの高次元のマーチングに、目と耳とを疑った。

指の動きを見ると、別録音ではない...。

ええーーっ!どうすれば、あんなこと、できるの???

 

ユキナは、今度は目を瞑(つむ)ってみた。

どう聞いても、座奏ですら、ここまでのハーモニーを出せそうにない。しっかりと縦が揃い、しかも、音には、リズムを超えた躍動感がある。それを、ピョンピョン動きながら演奏してしまっているのだから...。

たぶん、パートごとに振付をしながら数人で演奏したとしても、まるで、1人で演奏しているみたいに、音のうなりのない、ピュアな音になるだろうな...。

それに、演奏後の残響も、ものすごく美しい。
金管木管とか、金管同士・木管同士とかのバランスが、念入りに調整されているのが分かるし。

それから、この曲は、ノリのよさから、リズムが流れてしまいがちな曲だけれど、しっかりとしたメリハリと安定感とを生み出しているのは、バスドラの活躍みたい...。

 

2分余りの短いステージ動画だったが、ユキナは、半端ないすごさに圧倒された。

これが、全国レベル、やなくて、世界レベルのマーチングかあ...。

すごい!すごい!すごすぎる!!
わたしも、あの中で演奏して、みんなに感動を与えたい!!

4月からは自分も受験生。

勉強がんばって、ぜったい律花に入るぞ!

 

 

 

<外伝> observers

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 

 

評判は相変わらずだ。
とくに、「音が良くなった」「上品で、芸術的。新鮮な感動だ。」など、賛辞が尽きない。
だが、その一方、ごくごく少数だが、こんな声もある。

―――マーチングに、勢いが無くなった。笑顔が少なくなった。

 

はじめ、どうしようもないSNS掲示板の戯れ事で、気にも留めなかった。
このコロナ禍で、笑顔が少なくなるのは当然のことだ。

それに、限られた練習時間の配分を考えれば、まず、音の向上に時間を確保すべきなのだ。
音は、日々の積み立てで進化していくものだ。
振付のほうにかける時間は、基本ステップの維持程度でよい。もっとも、新しいマーチングに取り組む場合は別ではあるが。
しかし、その場合であっても、生徒の意見もある程度は取り入れはするものの、大人のコーチがプロの芸術作品として仕上げる。全国強豪校では、プロにコンテを任せるのは当たり前で、仕上げていくスケジュールづくりについても、生徒を一応噛ませるが、大局的にスピード感をもって行なっていくには、コーチが仕切るのは当然のことなのだ...。

―――と、こんなふうに考えていた。


部員たちは、皆、良い子たちばかり。
飲み込みが早く、なんでも卒なくこなしていく。
要領がよく、うまく運んでいく。
協力的だ。
そう、協力的だ。
今や、難関高校となった当校に入ってくるだけあって、皆、覚えが速く、頭が良い。
状況がよく見え、マーチング中も微笑を心がけている。

何も問題はない。
何も問題はない。

だが―――

 

そのうち、退部がチラホラ出始め、その事由が、はっきりしなくなってきていることに気づいた。

準備室にやってきた、役員の部員に聞く。

「○○から辞めたいと聞いたんやけど...」
 「しんどいとか、言うてました...」
「そんな根性無しやったんか?」
 「いえ...。勉強の方の成績が落ちてきた言うてました...」

こんなやり取り。結局、退部の事由は、本人のヤル気の低下、勉学重視に落ち着く...。


しかし、何か、変だ。
皆、憧れて入部してきたはずだ。
初めてユニフォームに袖を通したあの日。あの一人一人の輝くばかりの笑顔は、いったいどこへ行ってしまったのだ...

ひょっとしたら、こちらが気付かぬうちに、生徒に上手く管理されていたのでは...
生徒に観察されていたのは、こちら側だったのでは...

 

監督は、慄然とした。

生徒に、悪意はない。

しかし、生徒目線で見て、はたして、自分は分かりやすい存在であったろうか...。

生徒目線で寄り添い、ときには熱く語り、共に笑い、感動で揺さぶり、そして共に成長していく喜びを分かち合える...

たしかに自分は、熱情型ではないし、腹芸も得意でない、いや、できない。
だが、一芸術家として、独りよがりの求道者とはならず、カリスマにもならず、生徒第一で、これまでやってきたつもりだ。保護者や学校との対応、安全対策等々...

だがそれも、独りよがりか...

 

準備室にやってきた生徒に聞いてみた。

「練習、楽しいか?」

 「はい..」

卒ない返事だ。

「じゃあ...、もっと楽しくするには、どうしたらええ?」

 彼女はしばらく考え、そして口を開いた。

 「監督、お願いがあります。」

「何や?」

 「もっと笑ってください。」

「???」

 彼女はお辞儀をするなり、準備室を出ていった。


 明らかに、自分は生徒に観察され、日々、評価されていたのだ!

 「笑ってください」の真意を考えた時、はたして自分は、生徒が自分のところに飛び込んでくる「隙」を、意図的に作り出せていただろうか...


 現在の部の姿は、閉塞した自分の心の世界が具現化したものだった―――。

 

 それでもなお、団員たちは、もともと優秀な生徒たちであるから、指示通り、卒なくやってくれている。

 生徒の方が、余程、大人ではないか。

 しかし、「卒なく...」が、本来の魅力を減じてしまっていることに、世間は、もう薄々、気づき始めている...。


 そうか...。

 「周りを変える」のではなく、「自分が変わる」のだ。

 子ども目線のアンテナをもっと広げよう。意図的に、砕けたところを表現し、もっと隙をつくりだそう。

 そうか、ようやくわかった...九州の、とあるリーゼントに過激なTシャツの吹部監督の意図が..。
 彼が、たった一言生徒に声掛けし、ポンと背中を軽く押しただけで、生徒は感動でワッと泣き出してしまうほどなのだ。

 自分とは、生徒目線のアンテナの感度が違う...いや、そもそも、自分はそういうものを持ち合わせていただろうか...

 


コロナ明けのある日、監督は、久しぶりの野外マーチング会場に、引率で来ていた。

ファンとおぼしき男性が声をかけてきた。

「先生、どうもご苦労様です。」

 「あ、どうも...。」

「先生、ま、聴いてください。わたしら観客は、子供たちの超絶演技や名演奏を喜ぶのではありません。それも大事でしょうが、わたしら客が惹きつけられるのは、子どもたちの、心から幸せそうな表情と一体化できて、ともにその幸せを分かち合えるからです。...こんなバンド、世界中にありますか?」


 これまでだったら、一狂信的ファンの戯れ言として聞き流していた。
 しかし、数秒後、気づいた。
 どんなに管理を徹底させようとも、団員達の中にこそ、吹部の魂の灯が脈々と受け継がれていたのだ。

 そうか..。彼女たちがもっともっと輝けるような大舞台を、次々と用意しよう。座奏、マーチング問わず。そして、その大舞台という荒波にチャレンジしていく中で、生徒の自主性を、もう少し取り入れていこう。
それは、非効率的な行為ではなく、創造的な、将来への可能性を広げるための、必要時間なのだ。
伝統の魂が醸成していく様子を、忍耐強く見守ることにも、もう少し心がけよう...。

 

翌日、練習室に現れた監督―――

 いつものジャケットには、かわいいフェルト・マスコットが付いていた。

 

 

 

 

香しき世界へ

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 

 

『創部○○周年記念式典』の看板がステージ上にまぶしい。

学校関係者、部の関係者のあいさつが一通り終わり、小グループに分かれ、OGとの座談会になった。

 


「律花大から保健医療方面へ進む人が多いみたいですけど、先輩は今、大学で音楽療法を研究してはるんですか。」

 「うん。」

「病院でも、取り入れてはるとか..」

 「そやねん。音楽療法士..っていうねん。まあ今のところ、リハビリの一環やけど...。ただ、ウチが今研究してるんは『マーチング・ヒーリング』ってやつで」

「それ、何ですか?」

 「律花のマーチングあるやん。」

「はい...」

 「あの感動って、単なる振付の工夫だけちゃうと思うねん..。」

「たしかに..。エンターテイメント性だけなら、阪急乗って見に行けば、いくらでもスゴイの見られる。やけど、一高校の部活動が、全世界の老若男女のファンを取り込んでんのは、確かに謎ですねぇ...。」

 「そやろ。国内外問わず、重い病気になった人が、元気が出る、生きる活力が湧く、言うてる。洋の東西、老若男女問わず、感動する人がおる。涙を流す人さえいる。..絶対、なんか理由があるはずや。」

「先輩は、どう考えてはるんですか。」

 「専門的には、1/f揺らぎのリズムとか、脳のα波の喚起とか...色々あるみたいやけど、それだけちゃうと思う。それに、内部にいたから、逆に当たり前すぎて、分からへんくなってるんかもしれんし..。ま、メカニズム解明できたら、ノーベル賞モンやな、ははは..。それにしても、夏のマーコンはすごかったな。」

「ありがとうございます。」

 「7年ぶりか...。」

「やっと、全国金とれました。」

 「吹奏楽コンクールのほうも...」

「ここ2年連続、全国銀です。」

 「がんばったな。」

「先輩たちが積み上げてくれはった土台があったからです。先輩が卒業された次の代で、吹コンで関西代表になりました。マーコンの全国進出は、もう1年かかりましたけど。その土台をつくってくれはった、コロナの時の先輩たちのおかげです。」

 「あんときは、しんどかった...。」

「どんな感じやったんですか。」

 「ああ...」

 先輩は、遠くを見つめるように、ぼそぼそ、語りだした。

 「...しんどかった...」

「大変やったんですよね...」

 「...うちらの代だって、『先輩超えたる!』って誓っててん。やけど、コロナで登校禁止やし、仲間と練習もできひん...。コンテストも舞台もぜんぶ無くなった..。」

「辛かったでしょう...」

  「何が辛かったって、コロナで、親の経済的理由で、部員がどんどんいぃひんくなっていったことや...。こればかりは、どうしょうもない..。」

「…」

 「で、残った仲間と誓ってん。いつかくるコロナ明けの日、そして、その先の後輩たちの'栄光の日'のため、自分たちの代は、後輩たちの'肥やし'になろう――って...。」

「ほんまに、ありがとうございます...。」

 「いや、そう考えることしか、心の持ちよう、支えようがなかってん。輝くことも儘ならへんし、沈むことも儘ならへん。なんもできひんかった...。」

「すごい落ち込まはったんでしょう...」

 「やけど、そのうち気づいてん。うちらの前の代の先輩たちやって、顧問は変わる、コーチは変わる...本当に恵まれてはったんやろか...。むしろ、激動の中、あがき続けてはったんちゃうか...。」

「…」

 「過去の出来事は、変わらへん。けど、時間がたつうち、内面の成長とともに、捉え方が進化していくもんや。傷も、癒えていくもんなんや...。」

「...その...成長のカギ――となるんは...?」

 「うん、そうやな...。人とのつながり――やろな。」

「つながり?」

 「うん。ご飯、おいしいか?..笑顔で挨拶してるか?..素直に『ありがとう』って言えてるか?...一歩一歩、踏みしめながら、歩いてるか?」

「はい...」

 「ひとつひとつのつながりに有難さを感じられれば、感謝の気持ちが、心を安らかにする。『香しい香りの在りか』も見えて来るねん。」

「香しい...?」

 「そうや...。ま、仲間とともに、人を活かし、自分も活かされて、互いに高め合っていけるような場所――やな。」

「...なんか、分かったような、分からへんような...」

 「はは...。それで、ええねん。そのうちわかる。...ま、今となっては、コロナも肥やしになったってことや...。一曲、吹かせてな。」

先輩は、そう言うと、おもむろにトロンボーンを取り出し、律花のパレードの出だしの1曲目を吹き始めた。

 


先輩の原点には、仲間たちとの美しい行進の世界が、ずーっと生き続けてはるんやろな...。


そうや!

人それぞれの生き方の原点を美しく加工し直してくれるのが、先輩の言っとったマーチング・ヒーリングちゃうんかな...?

これまで生きてきた世界、そして、今生きとる世界を、幸せに満ちた香しき流れへと変えてくれる...

 


ひとしきり演奏し、それが終わると、先輩は、ゆっくりとマウスピースから口を離し、そして誰に言うともなく、呟いた。

「ありがとう...」

 


きっと脳裏には、自分を香しい世界へ導いてくれた仲間たちの笑顔が浮かんではったに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音をおいかけて

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

  

 

4月、市民会館でのコンサート。

「○○高校のコーチ、来てはるわ。」

「うち、△△高校の顧問の先生、見たわ。」

「2月の吹奏楽フェスティバル以降、強豪校の監督さん、うちらのコンサートに、よう来てくれはるよう、なったわ。」

「ファンが増えるのはいいことやん...。」

「あほ。偵察や。」

「はは..。冗談や。…そやけど、ライバルとして認めてもらえるようなったんは、手ごたえあってええわ。」

「そやな、包み隠さず、堂々、勝負や。律花の気概を見せたる。」

「オーッ!」

一斉に拳が挙がる。


*


ステージのライトに、書き込みで真っ黒になった譜面が浮かび上がる。

細かく書き込んだ文字は、読まずとも、すでに記号と化している。
呼吸法や奏法、高速トリルの使い方など、考えなくても自然とやってしまっているから、音符も含めて譜面全体が、すでに'美しい景色'と化しているのだ。模様の確認。


―――リナは、演奏しながら、練習場面を思い出していた。


そういえば、顧問に鍛えられたのは、奏法のみならず、音に関する感覚もや...。

純正律の響きを得るために三度を低めに取るかもしれんし、間の取り方、タンギング、呼吸法による音の違いもある。それから何小節単位でのまとまりもあるし、リフレインにしても、前後の展開を考えれば単純な繰り返しはない。ソリの部分では、パートとして、呼吸法やタンギングなどを統一させたうえでのハーモニーの豊かさ、そして、なにより、周りとのバランスを考える。次小節以降の展開を考えた上での終わらせ方の工夫も必要や...。


練習で、顧問のダイナミックな指揮に、うちらの技量が追いついてくると、信じられへんこと起きた...。

通しの演奏が終わった瞬間、スーッと胸に納まる...。

 (あれ、今の、うちらの演奏だった?)

 (ええっ?)

キョロキョロ、周りと顔を見合わせる。

 (え、今の、すごくなかった?)

そこで、ようやく、お互い、ニヤニヤしだす。

そんな日々が、続いた。

次第に、顧問の指揮の本当の意図も、よく分かるようになってきてきたし、進化に、スピードがついてきた。

そして、今、ここにおる...。


―――気づいたら、演奏は、もう終わっていた。


*


演奏後―――

しばらく、拍手がない..

 (えっ、やば...)

数秒おいて、万雷の拍手。

 (あ、よかった...伝わったんや。)

 

指揮を終えた顧問が、お客さんに背を向けて、胸元で小さく拍手をした。

 (ああ、今の、良かったんやな...)


*


彼女たちは、自分たちの迫真の演奏が、聴衆を飲み込んでしまったことに、まだ、気づいていない。

また、市民会館を出ていく、他校の監督らの'険しい顔'も、知る由もない。


コンテストの日まで、彼女たちは、いったい、いくつのステップを駆け上がり、演奏は、どれほど、その輝きを増し続けるだろう。


夏の終わりに―――。青春のきらめきは、音楽とともに、ひとつの頂点に達する。

 

 

 

 

 

カンタベリーコラール

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 

昔、律花の演奏を聞いたことがあった。

偶々(たまたま)だったかもしれないが、縦がなかなか揃わない、あのくすんだサウンドは、いったい、何だったのか...。これから演奏されるこの曲には、じっくり聞かせられるだけの清澄な、そして柔らかなハーモニーが必要なのだ。以前とそのまま変わっていなければ、陰鬱なだけの「カンタベリーコラール」となってしまうだろう。

そこへもってきて、顧問の指揮は、金管楽器の華やかさ、豊かさが売りだったはず...。

それらを考え併せると、律花とカンタベリーコラールとは、どうもイメージ的に結び付かない―――と思っていた。

 

しかし、それが、どうだ。

見事に裏切られた!!

演奏が始まって、たった10秒で、その世界へ引きずり込まれ、感動の涙がとめどもなく出てきた。震えが止まらない。

 

女子中心の律花ならではの、柔らかい息遣い、洗練された響き、丁寧な音楽運び、よく練られた構成など、かなり繊細な音づくりがなされている。


針の穴に糸を通すような、雑味のない絶妙なバランスのピュアなハーモニーでありながら、終始ゆったりした、幅のある律花の演奏で、そこには美しさ、暖かさ、敬虔さが感じ取られる。とくに冒頭から提示される旋律は、高揚しても、どこまでも品位を失わない演奏を保持している。

ホルンとユーフォ、ソプラノとアルトサックスのアンサンブルで二度繰り返される変奏が見事であり、心にいつまでも残る。ハーモニアスなソリが、それぞれの音色を活かしあって、奥深さ、そして優雅さを描き出している。

最初のクライマックスは、ティンパニのロールに導かれる、輝かしいトロンボーンとユーフォのソリだ。
とくにトロンボーンの音色は、天使の啓示を彷彿とさせ、さらに天に向かって高まっていく。その律花の音色といったら...

そして最後は、ユーフォのふくよかなソリが、いつまでも深く、豊穣に満ちた余韻を残し、昇天していく...
律花の中音パートの底力をみた。


カンタベリー・コラールは、一見、容易そうな譜面に反して、ともすれば、地味で陰鬱な演奏に陥りがちな難曲だ。にもかかわらず、律花の演奏は、安定した、流麗な流れで、高揚感すら生み出している!

しかも、顧問の指揮は、心に高揚感が高まっていく波の、まさにその頂点に達する直前、瞬間の間(ま)を意図的に作り出している。それが、また、いっそうの豊饒感を、聴く者の心に重畳的に深く刻み組んでいくのだ。「間」に語らせている。

華やかさと豊かさが特徴だった顧問の音作りに、サウンドの渋みの魅力の創出も加わったようにも思える..。


もう、これは、生徒たちの内面の風景描写と化しており、演奏なんかではなく、荘厳かつ美麗な「歌」となっている。


そう、顧問の指揮とあいまって、吹部一体となった心の風景を歌いあげるように迫ってくるのだ!

よく、ここまで、内面と音とを磨き上げたものだ。

生徒たちも、素直に、顧問を慕い、自己変革を行っていかない限り、到底達することのできないレベルの演奏だ...

 

     *


演奏が、静かに終わる。

指揮台上の顧問は、そのまま...

(5秒)...(10秒)...

タクトを挙げたまま、動かない。

照明の陰影のなか、顧問の頬に一筋の雫が光る..


生徒たちの演奏が、初めて顧問を泣かせた!

定期演奏会で、卒業生にとって、これほどの「置き土産」があるだろうか...。

 

会場全体は、その神がかった演奏とともに、至福の歓びに包まれた。

数秒の静寂...


*


私は、鳥肌が立っていた。それでいて、うっとりとしたまま、幸福感に浸ってもいた...。


気付くと、周りは、割れんばかりの拍手に包まれていた。
そう、拍手をすることすら忘れさせてしまうほどの衝撃的な名演だった。



楽器片手に立っている生徒たちの、その輝くばかりの顔・顔・顔...

全体が、柔らかな金色のオーラを放っている。

吹奏楽の神様が微笑んでいる。


観客の誰もが、その'奇跡'を確信し、その奇跡に感謝し、それゆえ、誰も、さらなるアンコールを求めようとはしなかった。

これ以上、何が求められよう。

 

私は、この奇跡の場に居合わせ、最上級の豊饒の世界に身を委ねられた幸福に、感謝せずにはおられなかった。

 

 

 

 

 

 

美しきマーチング

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

  

律花は、その独自の、ダンス・アンド・マーチングで人気を博してきた。
あえて、バタ臭さ、荒削りの部分を一部取り入れることで、生徒たちの若さを爆発させる余地を残した。
そしてその躍動は、見る者に高揚感とエネルギーとを与え、会場全体を、生きる喜びで満たした。
だがその一方で、なかには律花の演奏演技自体を「奇矯な..」としか評価しない向きもあった、残念ながら..。


だが、新型コロナによる雌伏の時を経て、律花は、大きく生まれ変わった。

律花の新しい演奏演技には、より洗練された「美」が結実していたのだ。


華やかな金管の音色と音圧のある中低音との抜群のハーモニー、ダイナミクスのある豊かな演奏とあいまって、その振付は、丁寧で、清らかで、躍動感に溢れ、統率がとれ、潔さと誇りとが感じられ、そして、それらがすべて自然に受け容れられる域にまで達していたのだ。おまけに、終わった後の心地よい爽やかな余韻...。これを「美」と言わずして、何と言おう。

それらは、たしかに作られた美には違いない。

しかし、それらの演技に至るまでの過程に思いを馳せた時、愚直ともいえる鍛錬の日々が背後に感じられるのだ。
毎日丁寧に手間をかけ続けることで磨かれる美があることを私たちは知っている。そしてその姿勢の永続性に魅かれるのだ。

また一方で、儚い点、無常である点にも、日本的な美が感じられる。
彼らは3年間で燃え尽き、そして、年々、更新されていく。青春のすべてを捧げての、眩いほどの魂のきらめきーーーだからこそ、日々の鍛錬と相俟って、尊く、そして美しいのだ。律花の演奏演技を見て、感涙を催す人を何人も見た。

細かな所作についても、単なる一振付としての域を越えている。

仲間との連携による集団美や空間美の創出、緩急・間の取り方、楽器の扱いよう、さらに終わった後の余韻にいたるまで全てに気を配る、細やかな姿勢が行き届いている。

こういった所作は、一朝一夕で板につくものではない。

しかも、それらに全然、作意が感じられず、またある意味、細かく作りすぎているにも関わらず、少しも、うるさく見えない。

それは、日頃の鍛錬と習慣づくりにより育まれ、無駄な所作は淘汰され、日々、更新され続けている成果なのだろう。

こういった、いわば日本的な「道」の姿勢のなかの、個々の、そして組織としての『美しい心の持ちよう』が、具現化した結果、作為は無くなり、美のシンフォニーへ昇華したものと考える。ある意味、多くの団体にみられる作為から成り立っているマーチングドリルのなかにあって、美の本質とはかくあるべきという、対極を提示している、一種のアンチテーゼにすら思えてならない。


律花のすごいところは、たとえコンテストの場であろうが、自分たちの演奏演技を見る者聴く者に、究極の「美」の圧巻演技で迫り、内省させてしまうところにもある。だが、決して驕らない。そこが、奥ゆかしくもあり、美しくもあり、そして爽やかである。

律花は、これからも愛され続けるに違いない。

 

 

 

 

 

普遍的価値

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

202x年、ICTとAIを応用した「コンテ生成ソフト」の出現により、マーチングは大幅に進化した。

個別認識技術と動体追跡技術とを応用し、マーチング映像から、団員一人ひとりの、譜面にあわせた動きが、詳細に解析できるようになった。

そう、全国金賞のドリルも、ある程度の俯瞰映像さえあれば、個々の団員のそれぞれのタブレットに、8等分された5m方眼の正方形の集合上に、動くコンテが示されるのだ。

もちろん、オリジナル・コンテの作成も可能。
団員を表すドットをくくって、行進、散開、回転、左30度後退などのパーツを組み合わせれば、ドロウイング・ソフトウェア感覚で、コンテが自動生成されるし、「花」、「星」、「楕円」、「歩く人」、「文字」など、作りたい形を選択すれば、形から形への81人全員の拍ごとの動線が示される。もちろん、弧やS字を描いた動線も可能であるし、部分的なマニュアル補正も可能。さらに、豊富なコンテ部品ライブラリーも付く。

こうして作成されたコンテは、各団員のタブレット上で、流れる曲と連動して、拍ごとの81の動点が楽器アイコンの動きで示される。自分の動点は常に点滅。さらに、俯瞰してドリル全体を見ることもできる。これで、まず、全体像を理解する。

さらに、バーチャルリアリティ技術を用いたゴーグル型モニターの装着も可能だ。こちらも、コンテに合わせてプログラムが自動生成される。
ゴーグルを装着すると、イヤホンからの曲に合わせ、まるで自分がドリルの演技中に放り込まれたような疑似体験映像が視界全体に広がり、動き出す。振り返ると、後ろにも動く世界が広がっている。
3Dレンダリングされた周りの団員も自分といっしょに動き、自分の目線からのライン合わせの目安やタイミングもわかる。自分の次の1歩の位置や、数歩先の動線まで映像中に示される。
これは主として、フロア練習のできない、自宅練習用。

また、オプションとして、天井に吊り下げられたプロジェクターからの投影により、コンテが識別記号付きの光の点でプロジェクション・マッピングで示される。実際のフロアの、やや、俯瞰した位置から繰り返し見ることで、体感的なイメージとしてとらえやすいし、また、その中に入って、実際に歩調などを確認することもできる。


こういった、技術革新により、これまで4か月以上かかっていたドリル練習が、わずか1か月足らずで仕上がるようになったのだ。ただし、ここまでの機能をフルで揃えるとなると、高級車を買うくらいの費用がかかるのだが...

そのため、どこの高校でも、ネット配信が有料になってしまったのは、無理からぬことであろう。

 


そんな時代の、律花吹部での、ある日の一コマ...


「マーコンで、どの出場校も超絶ドリルばかりで、差のうなると、結局、金賞もらえる主な基準は、あとは音だけやな。」

  「そうや。」

「音だけが勝敗基準なら、付属中学からの持ち上がりが大勢いる250人からいる大所帯のところには、かなわへんで。」

  「そやな...。うちら参加しとるマーコンは、芸術点は無いからな...。技術革新したのに、審査基準は変わっとらん...。結局、大手の高校に打ち勝って、全国進出するには、ドリルは行きつくところまで行ってもうた以上、あとは音に全エネルギーを集中するしかあらへんな...。」

「それって、単純に「楽しい」か?…うち、ひとりひとりが輝けるから、見てくれはるお客さんも感動してくれはるんや思うて、この吹部入ってきたんや。やけど、新システムになって、マーチングには、ゆらぎも、あそびも、のうなってもうた...。万事、スマートや。工程に沿って周りといっしょに仕上げてかならん。それができひんようだと、全国出場も無理や。ダンスを取り入れて...などという、一分の隙もあらへんやろ。結局、今後、全国金賞の常連校に進学希望者が集中してしまうで。お金もあるやろし。」

  「仕方あらへんやろ...。すごいドリル・すごいハーモニーちゅうた、団結の美しさづくりに、個人のエネルギーは昇華させるべきなんや。全員、音高に行った子に負けへんくらいの音を出せるレベルにまでならへんと。個人の青春エネルギーの爆発なんちゅう、そんな余裕はないことは、わかっておるやろ。」

「うーん。強いものは、より強うなるかあ...。ダンスしつつの演奏も、おしまいやろか...」

 

結局、ICTの革新と、旧態依然の選考基準に固執し続けるコンテストにより、強いところは、ますます強く、弱いところはますます弱くなり、格差が拡大した。強豪校には生徒が集まり、潤沢な活動費はICTを利用したマーチングの革新を可能とし、ますます演奏演技が強くなっていった。結果、この少子化のなか、優秀な生徒はますます強豪校へ集まってくる...というサイクルができつつあった。そう、2020年代は、ICTやAIの発展による貧富の差が急速に拡大した年代となったのだ。


律花はどのように生きていくのか...

 


その日、ナナは、地理の授業を受けていた。

世界遺産とは、顕著な普遍的価値を有する...」

ナナは、思った。
―――うーん、「普遍的価値」って、なんだろう。歴史、民族、性別、世代をこえて伝承されていくもの...やろか。

うちら吹部の先輩たちの動画のコメントを見る限り、国・人種・性別・宗教などを超えた、賞賛の嵐や。再生回数も2億回超え、日々、全世界からの様々な言語でのコメントが途切れることがない。こら、世界無形遺産並みの普遍的価値ちゅうものちゃうやろうか。

やけど、律花吹部がマーコンのゴールド金から離れて久しい。
強豪校へ進学した、中学の同級生が、全国金を取っているのを見ると、羨ましくも感じるし。

いったい、何が正しいんやろ..

 

 

翌日、ナナは職員室に顧問を訪ね、思いの丈をぶつけてみた。


「ははは、わしら、世界遺産やな...」

「顧問!ウチ、悩んでるんです。」

「すまん、すまん。ナナは、とてもいいところに気づいた。…そう、ちょうど、頃合いを見て、皆に話そうと思っておったところや。今日の練習後のミーティング時に、私の考えを述べよう。ありがとう。」

 

 

その日の練習は、少し早めに終わった。

「今日、ナナが私の所へ来て、大切なことを話してくれた。まずは、ナナに感謝や。ありがとう。」

顧問に褒められ、ナナはみんなの注目を浴び、顔を真っ赤にした。

「ところで、みんな。バッハの曲が初めて評価されたのは、いつか、分かるか。」

  「…」

「死後100年経ってからや。」

―――宮廷音楽家だったはずやから、最初から十分、評価されとったと思うた...ナナは思った。

「ええか。本物は時の流れのそげ落としを乗り越えて、後世に伝わり、何年経っても輝きを失うことはなく、いつまでも愛され続けるものなんや。」

―――そうや!普遍的価値をもつホンモノこそが、いつまでも輝き続けるものなんや。

「ホンモノになるには、どないしたらええか...それは、ひたすら高みを目指して演奏演技を磨き続けることや。そして、その一つ一つが、本当に美しく、尊い作業なんや。」
「既に、うちの吹部は、きみら先輩たちが築きあげてくれた評価が生きとる。大切なのは、そのポリシーを貫き通す強い意志と信念や。自分を信じる力、夢を信じる力や。」「マーコン、吹コンは、大切な基礎を高めるための重要手段であって、目標ではあらへん。」「君らの目標は、万人の心を震わせ、熱い感動を湧き起こすような、律花吹部らしい演技ができることや。」

  「はい!」

「単純に、言おう。―――先輩を超えろ!―――その努力の過程で、言葉ではなく、まず、心と体で、より高次元の気づきと喜びとが得られていくはずや。それが、芸術の継承というもんや。これからも、みんなが善き継承者であり続ける限り、律花吹部は、輝き続けるんや。」

  「はい!!」

「したがって、私が顧問である限り、音作りやドリル練習も大切だが、律花独自のダンス・アンド・マーチングの伝統も、進化、継承、そして発展させていくつもりだ。」
「いつの時代においても、技術進歩に飲みこまれてしもうては、大切なことを見失ってしまう。それは、代々の先輩たちが築き上げてきてくれた『律花の魂』や。ここにおることに安住することなく、まずは、より魅力的な自分になってほしい。そして、互いに影響しあい、たえず革新を続けていってほしいんや。その愚直さが尊さを生み、そして普遍的価値へとつながっていくんや。」

 

ナナは、感動で、胸のつっかえが、一気にスーッと晴れていくのが分かった。パーッと、視界が開けていくのを感じた。

気分は、澄んだ青空の彼方へと、どこまでもどこまでも広がっていった。

 

きっと、きっと、うちらの思いは、ずーっと遠い未来にまで届くはずや...

今を、仲間とともに大切に生きよう―――ナナは、そう思った。

 

 

 

 

 

 

<外伝> 安全装置

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 


梅雨時のどんよりした雲、黄ばんだ太陽。

コロナ禍で活動できないのが、なんとも、しんどい。ここ1,2ヶ月の間、大学受験準備のため、早期退部をする者が何人も出ている。どうにかしたいが、自分一人の力では何ともできない。この息苦しさ、やるせなさ。

生暖かい湿った風が肌にまとわりつく。

 


DMのリホは、自宅窓から梅雨空を恨めしく見ながら、去年の秋、前DMの先輩から申し伝えられた場面を思い出していた。
それは、パレーディング帰りの雑木林の小径を歩いていた時のことだった。

先輩は、問いかけてきた。

「…唐突やけどな、リホ。吹部、誤った方向へ進みだした時、だれが、最初、声を挙げるべきや思う?」

  「みんなで総監督に折衝に行って...」

「だめやろ。気付いたとき、もう、身動きできひんようになっとるやろ。」

  「ほな、部長が..」

「部長こそ、だめや。バランスと運営第一に考えてまうから...」

  「ほな、だれが、旗振り役を...」

先輩は、ウチの鼻先に、人差し指を向けた。

  「えっ..」

「そや。ジャンヌダルクになれるんはDMや。覚えときや。先頭きって、未来の部員のための、吹部の肥やしになれるんは、飾緒付けたDMの'特権'や。こら、大昔から代々のDMが、密かに申し伝えてきたことや。―――ま、討ち死にしいひんに、こしたことはあらへんけどな。DMは、そのくらいの気構えでおらなあかん、ちゅうこっちゃ。ははは…」

その先輩は、自身の大学受験も先送りし、最後の最後まで、吹部のために尽くし通した。ある意味、人生の一部を捧げたのだった。

 


コロナの休校明け、練習再開の初日。

今日の総監督は、いつもと違って、真っ赤なネクタイをつけている。

何やろ..。


総監督が集合をかけ、口を開いた。

「みんな、全国行きたいやろ!」

  「はいっ」

「わしも、や。…これまで、団結の名のもと、融和第一でやってきた。せやけど、それがどうや。全国大会いけへんくなってもうてから、もう何年経つんや。毎年毎年、コンテスト会場のホールのロビーの片隅で、延々と、泣き続けている。もう、たくさんや。ええかげん、目え覚すんや。ぬるま湯は、もう、止めや。コロナで大会のうのうたのを機会に、今年度から、競争原理を本格導入する。」

部員の顔色に、「えっ」という動揺が走る。

「まず、一人ひとりを細う評価する。具体的には、演奏技術、振付技術、部への貢献度などだ。吹コン、マーコン等の出場メンバーは、そないな個々の評定と、全体とのバランスを考えたうえで決める。学年は、関係あらへん。役職も関係あらへん。ちゅうか、同評定やったら、下級生のほうを選ぶことになるやろう。」

突然の発表に、部員の顔色が強張る。

「こら、運動部なら、常識や。うちは、仲良しクラブやあらへん。出場に漏れた者は、たとえ、相手下級生であろうと、選抜メンバーに対しては、心からの笑顔で、フォローにまわるんや。それが、部のためや。練習中は、悔しい気持ちは出してはいかん。ほんまに悔しいなら、陰で練習を積んどくんや。…ま、これからは、いわば、毎日毎日、瞬間瞬間が内部オーディションや。その意味では、瞬間、瞬間がチャンスでもあるんや。」

確かに、総監督は、間違えたことは言っていないし、げんに、全国金賞の高校では、当たり前だろう。
でも、今までの部の伝統とは、何かが違う...。

「頑張ることは、あたりまえ。言われてできるようになることも、当たり前。それが一定のスピードでクリアーしていけへん時点で、すでに他校に負けとる。いや、他校の全国進出に、むしろ協力しとる利他行為や。そやさかい、部全体の進化のスピードについてこれへん者は、即座に練習の場から外す。―――間違うとること言うとるか?言うとらへんやろ?こら強豪校、どこでもやっとることや。…ただし、聡明な君たちに対しては、わたしは、決して、野蛮に怒鳴ったりせえへんし、その意思もあらへん。風通しのええ吹奏楽部の伝統は、守るつもりや。」

でも、これも、なんか、変だ―――リホは思った。
怒鳴る、怒鳴らないではなく、生徒目線で共に汗をかき、共に泣き、そして共に笑う、という熱いハートが、少しも感じられないのだ。
たとえ、時に怒鳴ることがあっても、それは、苦労の末、一段高い段階にともに達することのできた感動と喜びとを生徒とともに分かち合おうという、指導者としての「真心」の表れのはずだ。だからこそ、怒鳴られた自分たちのほうとしても、その熱いハートが心に沁みて、いっそう互いに支え合い、みんなで工夫しあって克服していこうとする、内からのパワーが沸き起こるのだ。そして、その団結し合い、互いを信じあえる力が、演奏演技の輝きとなって表れているのが、うちの吹部の伝統だったはずやないか...。

それがどうだ。
生徒目線に下りず、一方的な指導と一方的な管理の強化により、心の醸成期間などという'非効率'は徹底排除し、個々の競争心を煽ろうというものだ。統率とスピードが命。冷たい、あまりに冷たい...。


周りに目を配る。

下級生の1、2年生は、たんたんと聴いている。

今度は3年生に目を向ける。

皆、目線を下にむけたまま.....。

だめや。

では、部長のナナは..

ニコニコしている!

みんな、なぜ気づかないんか!!


その刹那、カチッと、何かの封印が外れた。数か月前の先輩DMの言葉が蘇った。

―――ウチしか、おらん。

 


「総監督、質問があります。」

  「DM、何や?」

「ウチん部の輝きの源は、どこや思うとります?」

  「『輝き』って、何や?」

「すり替えないでください。生徒の内発的な心の輝きは、どっかから出てくると思われますか?」

  「そんなもン、幻想や。」


 聞いていた部長の笑顔が止まった。

 総監督は続ける。

  「心の輝きだけで全国金をとれるのなら、苦労などいらん。そないな幻想、甘えの温床となるんや。そんなん、ほかしてまえ。そやさかい、強豪校並みの管理が必要なんや。なんで、わからん。」

「総監督には、熱い思いは、ありませんか?そないに、泣くこと怖いですか?」

  「言うとる意味が、わからへん。熱いのなんの言うとる間に、突っ走らんかい。部の進化スピードを邪魔するのんは、利他行為いうたはずや。」

「総監督、わたしたちといっしょに、心から悦びながら、練習を積んでいくことができますか。」

  「それは、君たちの努力による。スピードアップして、上手くなっていってくれれば、私としても嬉しいが...。」

「総監督…。もう一度、伺います。『輝きの源』は、どう育まれていくとお考えですか...」

  「くどい。」 

部長はじめ、3年生の目つきが険しくなった。

「総監督、『生徒の団結』って、何ですか。」

  「…だから、評価項目に『部への貢献度』入れといたんや…。」


今度は部長のナナが、口を開いた。

「総監督、この吹部は、誰が生かしていますか。」

  「それは、君たちの心がけ次第や。」

「『心がけ』って?」

  「指導方針に従うて、努力を積み重ねていけば、すばらしい吹部になるはずや。君たちも全国の舞台に立てるようになるはずや…。」

 

気付くと、3年生は全員うなだれ、涙を流している。

それを見たのか、見ないのか、総監督は、こう言い放った。

  「来年度以降が勝負や。1、2年生、気張りや。」

DMは、こぶしを震わせながら言った。

「総監督、再考願えまへんか...?」

  「まだ、わからんか。甘えの旧体制を引きずられては困るんや...1週間、練習から外す。」

それを見ていた部長も

  「私も謹慎します。ありがとうございました。」

他の3年生たちも、全員、同時に、頭を下げた。


 コーチは、その様子を見ていて、慌てて総監督に近づき、何やらささやいた。
 二言、三言、小声でのやりとりがあり、総監督は数秒間、なにやら考えたのち、口を開いた。

「みんなの気持ちは、わかった。本日の話は、後日あらためる。…謹慎も無しや。」

 そういうなり、総監督は練習室を出ていった。

 

練習終了後の下校時。

DMのリホと部長のナナは連れ立って、駅へ向かう。
途中、ファーストフード店に入った。

「今日、ホンモノのDM見たわ。何も言えんかったウチ、部長として恥ずかしかったわ。」

「ううん、ウチも心臓バクバクもんやった。」

「で、どないすんの。」

「そやな...。うちらの代のことは二の次にして、まず、未来の吹部のことを考えようやん。」

「賛成や。」

 

二人が話し合っている隣の席で、コーヒーを飲んでいる老紳士がいた。

しばらく新聞を眼前に広げて読んでいたが、丁寧にたたむと、おもむろに二人に話しかけた。

「君ら、○○高校の吹奏楽部の部員はんたちかいな?」

「はい、そうですけど……あっ!松本先生!」

隣にいたのは、なんと、吹部創始者にして名誉総監督の松本先生だったのだ。


「悪いが、聴かせてもろうた。事情は、よう分かった。未来に生きる君ら部員、創部の精神を守ろうと腐心してくれとるのんは、じつに有難い。たまたま君たちの隣に居合わせたのも、これもなんかの導きに違いあらへん。…総監督には、わしから言うとく。安心して練習に専念したらええ。」

「おおきに、ほんま、おおきに。」
二人は席を立って何度も何度もお辞儀した。

「ところでDMの君。」

「はい。」

「先輩からの申し送り事項、忠実に守ったなあ。」

「え、何でそれを??」

創始者の仕掛けといた、'アンゼンソウチ' や。」


松本先生は、ニッと笑った。

 

その事件以降、総監督は、何事もなかったかのように、指導している。
相変わらず、音作りの指導はうるさいが、以前にも増して、生徒の自主性に任せる場面が多くなった。誉める場面も次第に増えていき、最近では、自分や部長がよく呼ばれ、生徒の状況や、指導に対する生徒目線からの感想を聞かれるようになった。部としても、以前より、まとまりが強くなったと思う。

リホは、それが良かったのかどうかは、わからない。

賞というものは、その時々の先輩たちの最高到達点であり、現役部員がはじめから持っている実力ではない。総監督の指導力に依存してしまい、魂をなくし、創造力を失ってしまうと、部員は、たんなるコマに陥る。…そう考えていくと、自分たちが、生徒として未来の吹部員に残せるレガシーは、演奏の工夫以上に、自分たちが体を張って守ろうとした、'部の魂'なのだ。

そう、魂の伝達―――部の歴史というのは、そうやって紡がれていくのだ...。

...えっ、ひょっとして、総監督は...

 

 

数日後、ファーストフード店に入っていく総監督の姿があった。

「やはり、先生、こちらにいらはりましたか。」

「その後、3年生の様子はどうなんやな。」

「はい、お陰様で、コロナ禍のショックは乗り越え、元気に卒業していけそうです。退部もストップし、全体も、より強うまとまりました。」

「よかった、よかった...。あんたはんも、少し、大仕掛けやりはったな...。」

「すんまへん、御心配おかけしてもうて…。これも先生のリフレッシュ・ボタンのおかげです。」

「いやいや…」

「ほかにもボタンはあるのですか。」

「フォッ、フォッ、フォッ…。…このハンバーグの隠し味は、うまおすなあ......あ、さっき、DMと部長に会うたから、ハンバーグ食べさせたったわい。」

「なんや、あいつら...」

「フォッ、フォッ…あの子たちは、部の宝や。部員が力強く、まっすぐに生きとるのは、部が健全な証拠や。心が健全なら、音も心地ようなる。あんたはんには、これからも、宜しゅう頼んだで。フォッ、フォッ、フォッ…。」

松本先生は満足げに店から出ていった...

総監督は、今の話を反芻し、ぼーっしている。

それから、ふと、何を思ったか、レジへと注文に向かった。

「わしにも、ハンバーグ、一つ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アキ先生

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 

「4年生のみんな、吹奏楽部の見学にきてくれて、ありがとう。顧問の西山アキです。アキせんせって呼んでな。
わたしたち北小学校吹奏楽部は、音楽に夢中になれる、たのしいクラブです。
みんなも、好きなことに夢中になっとるとき、時間があっちゅう間に過ぎていくやろう?
そして、ああでもあらへん、こうでもあらへんと、いろいろと工夫を加えたってるうちに、気づいてみたら、えらいうまなっとったって、あるやん。
楽器演奏も、おんなじです。
最初から、うまなろうとしてはだめ。
いろんな楽しみ方を工夫していくうち、気づいてみたら、演奏がうまなる練習になっとった、ってわけです。
先生は、その楽しみ方の'案内係'をしてます...。
…はい、前置きはこれくらいにして...では、これから5、6年生の団員の皆さんが登場します。拍手~~!」

通学グループが同じからなのか、遠慮がちに小さく手を振りあう、団員と見学の4年生もいる。

「ありがとう。ほな、まず、団員のみなさん、いつもの練習。最初にやること...知っとるな。イチ・ニ・サンでやってもらうで。」
なぜか、ニヤニヤする団員もいる。
「はい、イチ・ニ・サン!」

とたんに、団員全員が、笑い始めた。
それを見ていた4年生は、はじめのうち、あっけにとられていたが、数秒後、つられて笑いだし、教室全体が、笑いに包まれた。


「はい、ありがとう、ありがとう…。これが、笑う練習。べつに、みんなを、むりやり楽しゅうさせようってわけやあらへんで。口の周りの筋肉をほぐすウォーミングアップです。...はい、少し、落ち着いたところで......今度は、楽器をふくときの口の形を安定させる準備運動を行ないます。ほな、始めよか。…せーのっ」

「あー、いー、うー、べ~~、あー、いー、うー、べ~~、あー、いー、うー、べ~~…」

とくに、全員で一斉に「べ~~」と舌を出すところが面白いらしく、またまた見学の4年生たちも笑い始める。なかにはまねして「ベー返し」をする者もいる。
一人の男子団員が、「べ~~」のところで、頭を横に傾げ、わざと寄り目をした。
教室は、またまた大爆笑に包まれる。
アキ先生は、そんな様子を見て、本当に楽しそうに、ニコニコ笑っている。

 

―――この指導法が、新卒2年目にして、いきなり吹奏楽の府大会での金賞か...

笑い声に惹きつけられて、音楽室入口ドアの窓から中を窺っていた校長は思った。

―――ここまで崩しておいて、ベテラン教師以上にまとめ上げられるのは、アキ先生の人柄が、まず、子ども本来の明るさと好奇心とを引き出しとるからやろな...

校長は、なにやら微笑みながら、そうっと音楽室から離れていった。


      *


アキ先生は、子供たちと楽しく音楽をしているとき、ふと、思い起こすことがある。
それは、律花高校の吹部時代のことだ。

 

当時、自分は、パートリーダーとして、DMとともに指導に当たっていた。
みんなができるところで、一人、できずに、足を引っ張っている1年生の新入部員がいた。Nといった。
Nは、体が硬い、運動神経が人並み以下、のみ込みも悪い、おまけに、泣き虫ときている。

「どうして、できひん!」

「ヒー、ヒー」

「泣いとる暇あったら、1回でも多う、練習したらどうや!1ミリでも前進しようと思わへんか。もういっぺん!」

当時、吹部は、全国大会出場を目指していた。そのあせりからか、語調が、つい、きつくなってしまう。

「ヒッ、ヒッ …はい、…ヒッ…」

Nは、何度も何度も、できないところの練習を、べそをかきながら繰り返すのだ。


Nは泣き虫だが、人並みのガッツはあった。だからこそ、切り捨てがたいのだ。支え合いが律花の伝統でもあるし...。
だが、そのいっぽう、全国行きという目標達成のための部全体の運営効率を考えると、焦りから、どうしても強い言葉が出てしまう...。


そんなNが、入部して1か月たったころ、練習中、初めて、一瞬、笑顔をのぞかせたことがあった。

「N、どないしたん?何かええこと、あったんか?」

「毎日、ラジオ体操やって、甘いもん控えとったら、体がよう動くようになってきたのに、今、気づいたんです。体重も4kg落ったんです。」

「えらい!ウチもうれしいわ。続けてえな!」

「はいっ!」

「ウチも見習おうかな...」

私の言葉に、Nは満面の笑みを浮かべた。

それからというもの、Nは、練習に夢中になり、加速度的に演奏技術が改善されていった。誉める機会も増え、他の新入部員の技量と遜色なくなった。
というより、むしろ、Nは自分が苦労しただけに、他の人の苦労もみえるようで、さかんに周りに声をかけるようになり、いつしか、周りから慕われる存在、ムードメーカーになっていた。

定期演奏会終了後、Nが1年生を代表して、DMに感謝の言葉を述べたことがあった。
内容は忘れてしまったが、最後に、Nは、こういった。

「DMの○○先輩に、お願いがあります。これは1年生の総意です。」

「なんや...?」

「元気いっぱいに、大笑いしてください!」

DMは、一瞬、絶句した様子だったが、すぐに柔和な顔に戻ると、突然、ぷっと吹き出し、笑い始めた。その笑いが、自分自身おかしかったと見え、一段と笑いのボルテージがあがった。

3年生はニヤニヤ見ていたが、1年生は、鬼のDMの大笑いに、はじめ、強張った表情を見せていたが、心の底からの笑いとわかると、自分たちも、なにやらおかしく感じはじめたようだった。

1分後、DMと涙を流しながら抱き合うNがいた。
「ありがとう..」
DMが言った。

そのNの様子を見ていて、アキは思った。
人というのは、こんなにも変われるものなんだ..。

 

今、振り返ると、自分たちの指導が正しかったのかどうかは、わからない。Nを苦しめてしまったことも、多々、あったろう。
けれど、Nは、いまだにOGとして、律花吹部の手伝いに行っているらしい。
それが、当時のうちらの指導に対する、彼女なりの評価なんやな...有難いことや...
Nには、指導のあり方を教えられた..。


                *


はい、4年生のみなさん、お待たせしました。では、5、6年生によるミニコンサートを始めます。


いきなり、ドカンと演奏が始まった。

先ほどまでのお笑いとは打って変わり、中学生の演奏を思わせるような、メリハリのある演奏。
4年生のつい、今しがたまで緩んでいた顔が、一瞬、強張る。
だが、次の瞬間、幸せそうな笑顔に変わり、やがて、ほわーっとした、憧れの色が顔に滲みだしてきた。
5、6年生の団員が、心から楽しみながら、美しいハーモニーを奏でている証拠だ。

見学の4年生は、演奏者の心の鏡。そして、演奏者は、ウチの心の鏡や...。

全国出場を狙って鍛え上げようとは、今は思わない。
もっと効率よく時間管理し、統率を強化すれば...、という気もしないではないが、音楽を通じての人格形成のほうが、今は、はるかに大事ではないか。そのための、刻む時間のテンポもあるのではないか。
だいいち、うち自身、人間的にも技量的にも熟していない。
やけど、今の方法は、地に足の着いた確かな方法だと信じている。もっともっと子どもたちをよく見て、彼らから進むべき方向を教えてもらおう...。


そう思いながら、アキ先生は、窓を全開にした。

心地よい薫風が音楽室に吹き込んできた。

 

 

<外伝> 復活への序曲

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

  

響子は、母親の運転する車で、音大の推薦入試に向かっていた。11月も下旬になるというのに、今日はいやに暖かい。楽器の演奏には、助かる。

車中、彼女は、顧問の中松先生の言葉を思い出していた。

「上手う吹こうとしたらあかん。試験官から見れば、ボーン始めて数年の腕前なんて、文字通り、児戯に等しい。県で個人1位なんて、邪魔モノ以外の何物でもあらへん。勝負は、始めの10秒が大切や。あとは聞かへんでも、将来輝く原石かどうか、試験官にはわかってまう。音符に遊ばれるな、心で吹け。その心で、聴く者のハートを、始めにギュッと、掴むんや!」

練習量積んできたから、あとは、自信と丁寧さやな...などと考えていた、その矢先、ドカンという衝撃が体全体を襲い、一瞬、体が宙に浮き、次の瞬間、「ガシャーン」という音が耳に入ってきた、気がした。

はじめ、何のことか、分からなかった。


数秒後。

視界に入ってきたのは、割れたフロントガラス、プラスチックの焼けた臭い、油の臭い...。
そして
運転席に座ったまま、動かない母親。

「お母さん!お母さん!!」と呼びかけた。
その声に、母親も、初めて我に返り、後部座席に乗っていた響子を振り返った。
次の瞬間、母親は、目を大きく見開き、驚愕の表情に変わった。

「響子、あなた...」

「えっ?」

その時、はじめて、制服の前に血が飛び散っているのに気づいた。
そして、口の周りがぬるぬる血だらけなのに気づいた。
とたんに、痛みが襲ってきた。

「ともかく、外に出ましょ。」


あとのことは、よく覚えていない。
気づくと、病院のベッドの上だった。

CTスキャンによる脳への異常はなかった。
しかし、衝突のさいの衝撃で、口輪筋が断裂し、前歯も3本飛んでいた。

ぶつかってきた相手側に10割の過失があった。

ショックの大きさから、漠然と(音大入れないのか...)という思いしか、起こらなかった。いや、起こせなかった。
そこから先のことは、思いを及ばすことすら怖かったのだ。
視界には、無機質な病室の薄ら明るい天井が広がるだけだった。

 

吹奏楽部顧問の中松は、知らせを受け、呆然とした。
よりによって、なんで響子が...。しかも、入試の大切な日に...


数秒後、我に返った中松は、慌てて音大に連絡を入れる。そして、翌日、改めて音大の入試責任者の教授と会った。

「特例を認め始めると、きりがありません。お気の毒ですが、再試験は行なっておりません。」

「こら、本人の不注意からのものやおまへん。」

「いくら不可抗力といっても、いろんな種類がある。際限がない..。」

「…これご覧になってくれへん。」

中松が内ポケットから大切そうに取り出したものは、丁寧にたたまれた紙。ゆっくり開く。と、中から土と血のついた前歯が1本出てきた。無残にも歯根の途中から折れている...。

中松は、その歯を見ながら

「昨夜、懐中電灯をたよりに、事故現場、這いつくばって、探しまわったんや...。もう2本あったはずやけど...3本の前歯が、一瞬にして失われてまいました...。彼女は、口から頬にかけ断裂......将来のプロを夢見とった彼女の無念さ考えると...ウッ」

ポトリと紙の上にしずくが落ちる。


「...わかりました...。しばらくお待ちください。」

教授は、いったん、応接室から出ていった。

(15分後)

「お待たせしてすいません。今回は特例として、これまでの実績を実技試験に勘案致します。」

「おおきに。ほんま、おおきに。」

中松は、何度も頭を下げた。

「いや...今、学部長・学長とも話してきたのですが、本学の建学の精神は、音楽を通じての人格形成にあります。この度、鈴木響子さんは、演奏家として大きなハンデを背負われてしまい、誠にお気の毒としか申し上げようがありませんが...、ある意味、普通の人には経験できないような、すばらしい人格形成の機会を得られたのかもしれません。...筆記試験の方は、大変、優秀な成績だったようです。今は、合否は申し上げられませんが、きっと、他の学生の範となってくれることでしょう。」

教授は、そういうと、にっこり微笑んだ。

中松は頭を下げたまま...
床には、ポトポトしずくが落ちた。

 

 

3か月後。

響子は学内で、久しぶりにトロンボーンを手にしてみた。

口には、まだ、痛みが残るが、なじんだ重さが、しっくりと、手に吸い付く。
忘れかけていた演奏の歓びが、ふつふつと沸き起こってくる。
なんだか、すぐにも、以前のように吹けそうだ。

???

なんや、この音?
イメージとは全く異なる音に、衝撃を受けた。
他人の音?これでは、中学生が吹部入りたての音だ。
何回もやってみた。
でも、どうあがいてみても、以前の音のカケラすら出てこない..。

事故のショック以上に、自分の音を失ってしまった衝撃による悲しみの方が、はるかに大きかった。
音こそ、自分の歩んできた人生のそのもの、生きてきた証し。それが、無残にも打ち砕かれてしまった...
あまりのショックに呆然とした。
ただただ、涙がとめどもなく流れ下る...。


1時間後。

涙が涸れ果て、頭が空っぽになった。
しばらくして、響子は、気づいた。

中松先生はじめ、自分に影響を与えて下さった先生方は、音作りの技術だけ教えて下さったのではないということを。
音楽を愛する心、音楽に対する情熱こそが、指導の核だったということを。

その核があったからこそ、どんなに厳しい指導にも愛がこもっていたし、また、人格形成とともに、音も向上していったようにも感じる...。

そう思い至ったとき、心は決まった。
自分も、中松先生と同じ、音楽指導者としての道を歩もうと。
次の世代の子たちに、これまで自分が受けてきた音楽への情熱の、恩返しをしよう、と。

いつの間にか、教室は、金色の夕陽で満たされていた。

こうして、響子は、指導者としての道を歩みはじめた。

 

 

教員採用枠は、欠員が常にあるわけではない。
ましてや高校音楽科の枠は少なく、今年、1名の募集枠に15名が受けた。
国立の音大出やら、浪人組も大勢おり、響子は、残念ながら、現役合格がかなわなかった。
しかし、有難いことに、とある公立高校の校長から、ぜひ、臨時任用教員に、とお呼びがかかった。


こうして響子の高校音楽教師、そして吹奏楽部顧問としての第一歩が始まった。

 


中松は、遠方からはるばる祝いに駆けつけてくれ、自分のことのように喜んでくれた。

「心配させやがって、アホヤロウ。」

「すんまへん..」

「いや、わし、嬉しいんや。お前、出来すぎや!」

「...ありがとうございます..」

「な、響子。このタクトはな、幸運のタクトや。全国金賞5回経験しとるタクトや。これ、やる。」

「そんな大切なものを...」

「アホ。このタクトで、ワシを返り討ちにしてみい。そのくらいの恩返しが出来へんで、どうする。」

「...本当に、ありがとうございます!」

 

10年後。

大阪キャッスルホールのアリーナ入口に、マーチング衣装につつまれた吹奏楽部員を引き連れた、響子がいた。

「先生、泣いとるの?」

1年生部員が、怪訝な表情で顔を覗き込む。

「あはは..。武者震いや。ちょい、フライング涙やったな。もう、前向いて、突っ走るしかあらへんで!」

「はい!!」

屈託ない生徒たちの、明るい声が響いた。

   

 

キング

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 


「うわあ、真っ白なお部屋。レースのカーテンもかわいーーー!いいなあ。あこがれちゃうなあ...あ、まっ白い電子オルガン!すっごーい!!」

うちのアップライト---それもママのお古---に比べれば、超立派!
中学の吹奏楽部でドラムをたたいているミユウの姿しか知らなかったので、意外。

「ミユウ、電子オルガンやるの?」

「うん、ちょっと...」

「スペースウォーズのテーマ弾けちゃったりして..」

「うん、まあ...」

「ええーっ、すごーい!弾いて、弾いて!!」

「じゃあ、リノンだけ、特別ね...。」

「わあ、有難う!!! めっちゃ、うれしー!!」

ミユウが電子オルガンに向かう。その姿勢からして、なんだか違った。
そして、数秒後...。

いきなりファンファーレが鳴り響き、ミユウの部屋が、グオーーーーッと、スペースウォーズの世界に変わった。
トランペット、ストリングス、ホルン音と続く、ドラマチックなオープニング。

続いて、キラキラ音にピッコロ音が小さく重なって、部屋は、今度は、星がきらめく果てしない宇宙空間になった。

それからストリングスが不気味なうねりをはじめて、ペダル鍵盤上を足が激しく動く。打楽器の連続音やブラス音が、反乱軍のテーマを高らかに奏でる。そしてティンパニが激しくリズムを刻むなか、今度はマイナーに転調。うー、なんか怖そう...。部屋に、いまにもダークベイザーが入って来そう。

そして弦楽器とティンパニが不安なリズムを刻むなか、今度はホルンとバイオリンが反乱軍のテーマを奏でる。マリンバやらブラスとかが、戦闘の激しさを表現する...


気づくと、演奏が終わっていた...。

リノンは、圧倒的な音の洪水の叙事詩に、しばらく放心状態だった。

頭が真っ白。言葉が出てこない。


「…リノン…、リノン…」

どこからか、自分を呼ぶ声が聞こえる。
腕を揺さぶられているのに、気づく。

「あっ..」

ようやく、はっと、我に返った。

「すっ、すごい!ミユウ、すごいじゃない。すごい、すごーーーい!」

「たいしたこと、ないよ...」

「ううん、ぜったい、すごーい。もう、めっちゃ感動!!ドラムなんかやってるの、もったいないよ!」

「私も、最初、そう思った。でも、ちがう..。」

「ちがうって...、何が...?」

「親友のリノンだから話すけど...、電子ピアノばかりやってきたから、一人でオーケストラできちゃうと思い込んでたの。でも、それって、ウソ。機械にバランスとか、メリハリとか、ぜーんぶ、助けられてるの。」

「それでも、すごいよ..。」

「ううん..。本当なら、いろんな楽器や演奏者の個性が互いにぶつかりあうところから生み出されるはずなのよ。それが、ホンモノなの。みんなで、色の出し方を探っていく中で、本当の感動演奏が生まれてくんじゃないかって....。そういうの、いい意味で、体験したくて、一部員として頑張ってるんだ...。」

「へえー。なんか、かっこいい。」

「それに、何より、みんな一緒に同じ方向に進んで、みんなで達成できたほうが、一人よりも、喜びが大きいしね。その喜びが、聞きに来てくれるお客さんも幸せにするって思うんだ。」

「うん、うん。100パーセント同意!」

 


自宅への帰り道、日野川の土手を歩きながら、リノンは、ミユウの言葉を反芻していた。

吹奏楽で大切なことって、何だろう...。
音作り、基礎体力づくり、暗譜、練習時間の確保...朝一で登校し、職員室に音楽室の鍵をもらいに行って...。
でも、そんなことは、みんな、ふつうにやってる。

まず、ちゃんとした技術があること。そして、心の動きを素直に表現した結果が、聞く人に感動を与えられれば、どんなに素晴らしいことだろう。美しいことだろう。

圧倒的なミユウの才能には、かなわない。でも、自分には、パーカッションだけは、だれにも負けないって気持ちがある。

頭で理解した音を叩くんではなくって、心の底から自然と沸き起こる感情の細やかな動きを、そのままリズムとして表現できる。当然、「揺らぎ」がある。「遊び」がある。譜面には表せない絶妙な「間」もある。そういったものが、自然と演奏に潜みこんでしまう...。

合奏の時は周りの空気に気をつけながら、その場その場で求められる適切な音、適切なバランスを考えて叩いてはいるけど、それでも時々、自分の色が頭をもたげてしまうことがある。ティンパニをたたいているときなんか、とくにそうだ。そんなとき、きまって指揮をしている顧問が、キッと視線を投げかけてくるのだ。

べつに、顧問の指揮と張り合う気持ちはないけど、自分の音の世界観と周りとが、本当にひとつになった演奏を一度でもいいからしてみたい。ミユウのような、圧倒的な音の世界を周りといっしょに作り出し、感動のオーラを広げたい...。

リノンは、そんなことを考えていた。

 


そんな折、勉強の合間にインターネット動画を見ていた時のことだった。
「おすすめ」で、律花高校の演奏を、偶然、目にした。というか、目に入れてしまったのだ。

そこには、個々の楽器の叫びの見事なハーモニーが現出されていた。
各パートごとの様々な個性が、いかんなく発揮され、そのうえで互いに影響しあって、感動演奏のハーモニーにまで高められていたのだ!

バランスの取れた"美しい"演奏のために個性を捨てる...という価値観が根底から覆され、そこでは、逆に、個性を出すことが、大感動を生み出していたのだ。リノンは、とめどもなく流れる涙をぬぐおうともせず、何十回と繰り返し見た。

リノンは、そこに、理想郷を見いだしていた。
団員たちは、皆、天国に住む、意志を持った妖精たちだ。
繰り返し繰り返しみるうちに、いつしか、意識では、自分も、妖精たちの中に入って演奏していた。

そして、互いに尊重しあって個性をぶつけ合い、より高次元のハーモニーにまで高めていける喜び!
聞きに来てくれた人を、感動のオーラで包み込んでしまう喜び!

もう、あとは、現実に、そこに身を置くことしか、見えなくなっていた。

 


ママは、現実的だった。

「そんな余裕、うちには、ないわよ。律花高校まで100km以上離れているし、朝練習も考えると、通学は無理ね。」

「どうしても、律花で吹奏楽続けたいの。律花でないと、私の青春をかけた吹奏楽が、死んだままで終わっちゃうの。律花でないと、だめなの。ママ、お願い!」

それまで、難しい顔をしていて聞いていたパパが
「リノンが言うのだから、本当だろう。ここまで真剣なリノン見るのは、初めてだし、リノンには並外れた才能があると思う。オレも高校の頃、捨ててしまった夢があったからなあ...。せめて、娘の思いは、かなえさせてあげたい...。俺、逆単身赴任でもいいからさ、ママ、どうだろう..。」

「…パパがそこまで言ってくれるんだったら...。わかった。あとはなんとかするから、受験勉強しときなさい。」

「リノン、良かったな...。」

「わああ、有難う。大好き!」

リノンは、満面の笑みを浮かべ、飛び込んでいった。

受け止めたのは、ママ。

その様子を、パパは目を細めながら見ていた。いくぶん、口をポカンと空けて...。

 


翌日、部室でミユウに声をかけられた。

「リノン、高校どうするの?」

「私、律花にしたの」

「ええーっ、親のOKもらえたの?」

「いいって。」

「いいなあ...。私がもし管楽器とかやってたら、リノンと同じことしてた...。」

「ミユウ、どうするの?」

「鍵盤でしょ。だから音高狙い。でも、たぶん、リノンと、目指すところは同じと思う。」

「気持ちよく演奏して、みんなといっしょに楽しくなりたい...」

「そうね。そうなのよ!見解の一致!さすが、大親友!!」

 

翌月、ママは、京都支店への転勤の辞令をもらってきてくれた。ちょうど欠員が出ていたのが幸いした。職場の上司に相談したさい、夫婦仲を心配されたと、笑いながら話していた。

ともあれ、こうして、京都での母子二人でのアパート暮らしがスタートした。

入試も無事、乗り越え、晴れて律花吹部のドアを叩いた。

 


「パーカス希望やて?中学の時、やってたン?」

「はい、やってました。」

「ほな経験者なら、この楽譜、叩いてみてくれへん?」

「はい。」

ドラムの16ビートの楽譜だ...。バリエーション・パターンもけっこうあるな。2・4拍目が崩れているところも。テンポに注意しなくちゃ..。
全体の構成は...前半は、バランスを考えて叩こう。後半のうちの半分は、自分の色がつけられそう...。そして最後の主旋律がもう一度出てきたあたりからは、もう一度、バランスに注意しつつ、歌うように叩こうか...。

「難しいか?」

「いえ。一部、裏拍とってもいいですか。」

「あ、自由にやってもろうて構わへんで。」

「はい、ありがとうございます。」

タカタカタカタカ...

......


演奏は終了した。自分としては、まずまずの出来だ。

「ご苦労さん。じゃあ、次。ホノカさん。」

え、何も言ってくれないの...??

 

ホノカが叩き始めた。

全くの譜面通り。一切、アドリブがない。それはそれで、すごい技術だ。

それでいて、よくはわからないが、なんとなく、まとまりを感じる。

「うん、よしよし。...ところで、リノンさん、いまの分かった?」

「正確に...ってことですか?」

「違う..。ホノカさん、今度はアドリブいっぱいいれて、叩いてみて。」

ホノカのスティックの持ち方が、変わった。

.........

超絶、超絶。
それでいて、バランスがよくて、まとまりごとの色が出ている。だいいち、一打ごとに、異なる色がある。
また聞き終わってからの、満たされた心地よさ...
そうか、楽譜の裏にある'気持ち'を、瞬間に理解してたんだ...。
すごーい!!

嫉妬心よりも、こんな素晴らしい人と、仲間としてやっていける喜びのほうが大きかった。
ミユウの電子オルガン以来の衝撃だ。
直感的に、ホノカとは親友になれそうな気がした。
京都まで出てきて、よかった...

ニコニコ笑顔のリノンが、そこにいた。

 

「何のために、京都まで出てきたのよ!あなた、悔しいと思わないの?」
夕飯時、興奮気味に嬉しそうに話すリノンに、ママはあきれた表情をみせた。

「いまは、悔しい気持ちと、嬉しい気持ちと、半分半分。親友になってくれそうな、すごい人がいる場所に来られたことが、私、まず、それがうれしいの。」

「...そっか...、そのくらいの度量も、まあ、必要ね...。ママ、信じているから。」

「ありがとう!私、頑張る。」

 

翌日。部室で。

「ホノカさん、すごいね。」

「リノンさん..ありがとう。わたし、久しぶりのライバル現れてくれて、うれしくて、うれしくて。ぜひ、友達になってくれへん?」

「こちらこそ。ありがとう。本当にうれしい!ホノカが親友になってくれるんじゃないかなって、なんとなく予感してたんだ...。お互い頑張って、吹部を盛り上げていこうね!」

ハイタッチの音が、部室に響いた。

 

1週間後。

「1年、集合!」
パートリーダーの声だ。

「1年生、いいか。何の楽器から始めるか、発表するで。」
「シンバルは、○○さん、△△さん、□□さん、シロフォンは...」
「ドラムはホノカさん。ホノカさんは、ドラマー専属で、ほぼ決まり。」
「最後にリノンさん。リノンさんには...じつは揉めたんやけど...一通りやってもらうで。」

「はい..。」

リノンは、ホノカとドラマーで競い合う夢が打ち砕かれ、暗然とした。しばらく、その場で立ったまま、動けない。
これで、ドラムともお別れか...
ショックのあまり、涙を流す余裕すらない。フェード・アウト...


「…リノンさん...」
どこからか、自分を呼ぶ声が耳に入ってきた。パーカスのパートリーダーだ。
「ちょっと、こっちへ...」

皆から離れたところへリノンは連れ出された。

「話が途中やったな...ほんとはな、『一通りパ―カス楽器をやってもらう』ちゅうんはな、将来のパートリーダーの指名の合図なんや。ウチも、1年の時、そう言われたねん。」

「…え?」

「ウチらも、ドラムで、リノンとホノカと切磋琢磨させようか考えた。やけど、1週間、様子を見ていて、リノンには、音楽性を含め、全体を見る力と、みんなを巻き込む力があると感じたんや。いろんなパーカス楽器やる中で、ひとりひとりの部員との絆を深め、一人一人の個性や生の感触を通して、演奏時のバランスや、ダイナミズムをどうすれば上手く生み出せるのかを、考えていって欲しいんや。」

「......ありがとうございます...」

あとは、大粒の涙が、とめどもなく溢れてきた。

個性のぶつかり合いから高次元のハーモニーに高める、まさに、そのコーディネイターとしての重責を任されるのだ。

ああ、やっぱり、ここは私の理想郷だった...。

神様は、確かにいる。

 


5月。新緑がまぶしい季節になった。

「ねえ、ホノカ。前々から聞きたかったんだけど...ホノカって、ドラム叩くとき、譜面の裏の気持ちわかるの?」

「スコア・リーディングのこと?中学時代、ドラムの先生から、いちばんやかましゅう言われてきたことやん。作曲家、なんで、その打楽器を選んだのか..そのフレーズでは、その打楽器でどないな気持ちを表現したかったのか、つねに考えたらええのにと...。」

「うん、わかる、わかる。私も言われた。リズム・キープも大事だけど、曲の背景や、場面ごとの効果考えろって。それは、テクニックの遊びではなくって、その効果をどうしても使わなければならなかった『必然性』があるんだから、それを見極めろって...」

「さすが、リノン!思うとった通りの人やった...。よかった...。ほな、正直に言うと...、うち、突っ走ってまうか、譜面通りにしか、どちらかしかできひんの。周りとのバランスの加減、自分では、なかなかわからへんの..。」

「ホノカ..。私、バスドラやってあげる。ホノカはスネアやって。バスドラで、曲のノリをコントロールしてあげる。」

「じゃ、うちはスネアで、曲のアクセントや表現、装飾をする。リノン、全体のコントロール、お願い。うちら、たとえていうなら、リノンがピアノの左手なら、うちは右手や。」

「二人で一心同体!!」

ふたりはニッと笑い、それぞれ右手と左手で、ハイタッチした。

この瞬間、律花吹部の演奏のダイナミズムの核が誕生したのだった。




2年生になった。

リノンはサブ・パートリーダーとして、活躍していた。

「ここは、後半に向け、盛り上げるところ。ただ、スーザやトランペットとのバランスで、シンバルだけが突出できないし、会場の残響も大きいから、その点、コントロールして叩いて。バスドラがリズム・キープする。」

「この部分はスネアの見せどころやから、その前は、少し抑え気味にしとこうか。直前の8小節の装飾音も、控えめに...。」


また、他パートに初めて声をかけたのは、スーザにだった。

「パーカスへの希望ってない?どうすれば音を乗せやすい?」

「正確にテンポを維持しさえしてもらえれば...」

「じゃあ、聞き方、変えるよ。メロディーラインを引っ張る管楽器が、スーザの存在感を感じているところって、どこ?たんに、音を増やしているだけ?」

「ちゃう思う...。」

「どこが?」

「......」

「作曲者が、スーザでなくちゃだめだ、って考えた、その理由を、トランペットの人も交えて考えてみようよ。」


つぎに、トランペットにも聞いた。

「トランペットにとってのパーカスやスーザって、何だろう?たんなる引き立て役?」

「そうちゃう。」

「どこが?」

「うーん......」

「一度、パーカスとスーザの人交えて、スコアー・リーディングしてみない?」


翌日、リノンのもとに、スーザとペットの各リーダー,サブリーダー、学生指揮者、ドラムメジャーが集まった。そこへ副顧問も顔を出した。

 

ペットのサブが口火を切った。
「…ある意味、自分の楽器の引き立て役となっとる楽器は、それが、当然のことと感じとるかもしれへんけど、ほんとうは、縁の下の力持ちのほうが、うまく調整してくれとる証拠かも..。」

「結局、ダイナミズムを積極的に生み出すには、どないしたらええか、やろな。」

「うん。すべてが強調・強調の連続やと、お客さん、飽きてまうやろ。クライマックスわからへんくなってまう。崩し方も大切やな。」

「そうや。緊張の高まったなかでの弛緩、たんたんとしたリズムの中での一閃、わざと小さな音を入れての静寂表現...いろいろあるわな..。」

「わたし、たたき台、作って来た。」
リノンが、書き込みのあるスコアーを配る。メロディーライン、オブリガード、裏拍、装飾音のそれぞれに囲みが加えられている。

リノンが続ける。
「3回目に出てきた主旋律部分。副旋律とのセットが崩れているけど、どう思う?演奏の仕方、同じでいいかな?」
「81小節目から88小節目にかけて、ユーフォニアムを目立たたせているのは、何の目的だろう?」
「出だしは、ペットとボーンが、パーンと入ってきて、そのあとの膨らませ方が...」
「チューナーに合わせて合奏するんじゃなくて、出ている周りの音に合わせてやっていかないと、とくに120小節目の転調するところからが...」
「普段あまり吹かない高音とか、使わないトリルとか、どうしてる?」

5時間が経過した。
はじめのうち、副顧問は何か言いたそうだったが、結局、黙って一言も発しなかった。

「じゃ、3日後、合わせて見ましょう!宜しくお願いします!」
リノンの言葉で閉会したころは、午後7時を回っていた。


3日後。

顧問は、初めて聞いて驚いた。
たぶん、グダグダな解釈で、聞くにも堪えないものだろう...と思っていたのが、見事に裏切られた。
音楽理論からすれば、やや、荒削りの部分もあるものの、逆に、瑞々しい解釈で、目から鱗が落ちた。
音大の学生では、かえってこういう解釈はできないだろう。
まして、副顧問が一切、発言しなかったいうのだから、驚きだ。
こんな能力が、彼女たちに隠されていたとは...
自分が与える指導に比べ、演奏者自身の'内発的な気づき'のほうが、どれだけ劇的変化をもたらすものか...。
そして、その'核融合'の中心には、リノンがいたという..。

うん、よし。これなら、全国、行ける!!!

顧問は、確信した。



2年生の1月になり、新体制に移行した。

パーカスのパートリーダーには、ホノカがなっていた。

そして、リノンは、100人からいる部員のNo.3、吹部の頭脳である学生指揮者になっていた。バスドラム出身の学生指揮者は、極めて異例だった。

そして、マーチング・コンテスト。
律花は、6年ぶりの全国金を受賞した。
その土台を作ったのがリノンであったことを、だれもが認め、敬意をこめ、皆、彼女のことを、こう呼んだ。

―――キング。


気づいたら、'理想郷'のキングとなっていた。

  


ここに、一枚の記念写真がある。全国金賞受賞時のものだ。
彼女はDMのすぐ横で、晴れ晴れした笑顔で写っている。
手放しで喜びを爆発させていないのは、それ以上に、きっと自分を育ててくれた、周り全てへの感謝の念でいっぱいだったからだろう。
そこには、とことん理想を追い求め、頂上を極めた者だけが満たされる「至福の静けさ」があった。