律花高校吹奏楽部・短編小説集

これは青春のすべてを吹奏楽に捧げる者への賛歌である。

伝統の断絶

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 

「本番まで、あと1週間!
なんで、いまさらステップ、揃わへんねん。」
「気合、入ってるんか!」

DMはあせる。あせって、声が裏返る。
団員たちは、連日の猛練習の疲れから思考停止に陥り、衝突して楽器をぶつける者、滑って転倒する者、頓狂な音を出す者など、数えきれない。なかには、その場でへたり込む部員もいる。

「1ミリでも前進しようちゅう気迫、起こらへんのか!」

DMは檄を飛ばす。
檄を飛ばしながら、まったくの'暖簾に腕押し'なのに気づく。


皆に悪意はない。先輩たちとの技術力の差もないはずや。音質・音量だって、負けてはいない。
なのに、なぜ、ミスが頻発するんや...。
気合だけの問題やない...。


想えば、コロナで、自分たちには1回もパレード経験がない。
先輩たちの残した動画をみると、すぐにでも再現できるように思える。
なのに、なぜ、できない?


はじめ、原因を、合宿での練習メニューにあるのか考えた。
でも、先輩たちと同じ内容で、べつだん、足りない部分はない...。

 

あっ。

その時気づいた。

ここ、1、2年、有名私大受験コース生から吹奏楽部に入る者が増えてきた。
そこで親達が、コロナでイベントに参加できないのをチャンスとばかり、勉学の時間の確保を監督に要望してきたのだ。
それを受けて監督は、イベントに参加できないのなら、まずは吹奏楽の基本である座奏の練習時間を確保し、いつ参加できるかわからないパレードの練習時間の一部を、大学受験勉強時間に割愛してくれたのだ。
たしかに、推薦がもらえる一部の幹部団員を除いて、一般団員の大学受験は、困難を極めている。監督の恩情でもあろう。


だが、その結果、どうなったか。

時間が削られた分、監督は、たえず「どないしたらええ思う?」と聞いてくるが、その都度、最善の結論は、すでに用意されているのだ。納得―――で終わる。

たしかに他校との競争の中、時間がないのはわかるが、生徒サイドで、パートリーダーが中心となって気づきを与えながら、皆の考えを引き出しながらじっくり仕上げていく過程が、無くなってしまったのだ。

 

なるほど、完成形の視点から見ると、時間の浪費とも思われる'膨大な試行錯誤の時間'ではあるだろう。
しかし、その浪費とも思われる時間こそ、気づきによる様々な視点が互いにぶつかりあい、調整され、そして全体がバランスよく仕上げられていく、大切な過程なのだ。

この過程の経験なくして、団員一人ひとりの「内発的な創造力」は働かない。

全体像のなかでの、今、自分がやっていることの位置づけも分からない。

さらには、余分な部分を削ぎ落とした結果の「力の抜きどころ」もわからないのだ。

気づきのぶつかり合いの過程を知っているからこそ、力の抜きどころも分かるからだ。

その'遊び'を作り出せないことには、ダイナミズムも生まれてはこない。


こういった過程を、効率化の名のもと省略してしまうと、練習は、「調教」に陥る。

折しも、律花はいまや進学校となり、団員は勉学もできる優秀な生徒たちばかりとなった。呑み込みの早い、聡明な生徒たちばかり。だからこそ、その理解力が、かえって内発的な創造力の醸成を邪魔してしまう面もあるのだ。

結果、練習の激しさが、ある一線を越えると、疲労がたまり、無思考状態に陥り、ミスが頻発する...

 

先輩たちの動画と自分たちの演技との違い―――。
座奏でまねれば、遜色ない、と思う。
けれど、じっさいパレードしてみると、笑顔と、譜面には現れない'迫ってくるもの'が違うのだ。

自分たちが憧れて入ってきた、律花高校の先輩たちの、あの超感動のパレード――そのオーラが、隊列全体の息遣いが、再現できない。一滴の感動の涙すら催さない...

伝統の断絶―――。

 

「一から立て直すか...。うちらの代は、コロナ後の、復興の世代やな...」

DMはひとり小さく呟いた。

 

 

 

その目の輝きに

 

 

その目は、何を見てきた?
栄光、挫折、友情、苛立ち、賞賛、悔恨、歓喜......。
残像の断片が、うずまき、せめぎあい、 
カオスが、いま、溢れ出ようする


それなのに

ピュアで涼やかな
あなたの
その目の光。

手には目に見えぬ真白きバトン、
視線の先には未来。
無限の未来に向け、
いま、吹き出そうとしている
碧(あお)い光。

不確定な未来へ向けて
あなたは突き進む


なのに


そこには無謀さも
痛々しさも
狂気の光もない。


なぜ――


青春の全てを捧げ、
あらゆる深淵を覗き、
そして体当たりし、
'行進'を続けてきた、

だからこそ、

壮大な叙事詩は、これからも紡がれていくのだ。
過去から現在、そして未来へ。


叙事詩の中に生きる者の
「今」あることの
美しさよ!


未来はきっと貴女の掌中にある。

 

 

 

行雲流水

 

 

いつもご愛読、有難うございます。

このところ、新しいイメージが湧かず、新作発表が滞っています。折角、ご訪問くださった方に申し訳ないので、そこで今回は、これまで思うがまま書き綴った作品の中から、「作者の思い入れ作品」を何点か紹介させて頂きたく存じます。

 

まずは、現在(2021/06/21)人気第10位の「美しき継承」。

プロにはみられない、部活動の美学がここにはあります。
パートの技術や伝統、そして魂を見事に継承させた、主人公の資質や品性は、尊く、美しい。そしてフェードアウトしていく彼女の去り際には、純な、朗らかな、そして匂うが如き美しさがあります。

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つぎに「美しきマーチング」。

律花高校のダンシング・アンド・マーチングに惹きつけられる要因はどこなのか、あれこれ考えた末の、自分なりの結論を書いたものです。
当初、カタい文章なので如何なものか...と思っていましたが、一定の反響を頂けたようで、有難い限りです。
律花高校吹奏楽部のマネをしようとしても、そうそうできない内実が垣間見られるかもしれません。

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それから「義足の妖精」。

傍から見れば、これ以上ない苦難の中にあるはずなのに、主人公は、純粋・無垢な、若さで一心に理想を追い求めていく、その「尊さ」に我々は感動させられ、彼女から幸せや勇気をもらえるのです。また、彼女の静かなバイタリティーが、自身を取り巻く周りの環境をも変えていったのでしょう。それなのに、ご本人は「みんなにも支えてもらって、障がいがあることなんか忘れて、幸せな気持ちになれました」との弁。―――これ以上、惹きつけられる言葉はありますまい。

 

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「キング」は、律花吹部に憧れて、地方から出てきた部員さんを描いてほしいというリクエストに応えたものです。内実が全く分からず、冗長となってしまいましたが、中学~高校の成長の様子が多少とでも描かれていれば幸いです。

 

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その他、「新生へのプレリュード」は、実際、聞きに行かれた方のお話を下敷きにいたしました。

また1番人気の「香しき世界へ」は、定演で、すごく落ち込んでいる生徒さんを見て、はやく立ち直ってほしいとの願いを込めて創作したものです。

 

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また、3番人気の「<外伝> observers」は、とある吹部の前顧問のご著書を3回拝読し、イメージを膨らませたうえで創作したものです。あくまで創作ですが、多少なりとでも、教育者というものの姿勢のあり方に触れられていれば幸いです。

 

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「夢のなかへ」は、予想外の人気でした。京都弁が、ある程度、しっかり書けていたからかもしれません。あるいはOGたちの活躍か...

 

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「続・夢のなかへ」。運が開ける瞬間というのは、唐突にやってくるものなので、この種のサクセスストーリーに「取って付けた感」をなくし、説得力をどのように持たせるかに悩み、英文スピーチを後から挿入しました。これにより、多少のリアリティーは向上したとおもいますが、公園でのジェーンとの出会いの唐突感は、ご容赦の程。

 

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カンタベリーコラール」「音を追いかけて」の描写の一部は、ピアノをしている妻との会話がヒントになっています。

  

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 また、「Wish in bloom in the US」の終段部分は、とくに気に入っています。

脳裏にいつまでもありありと映像が残るような、余韻のある終わらせ方が好きです。

 

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その他、現在、リライトを考えている以下の作品もあります。

2020年代は、本作のような技術革新の年代になるような気がしてなりません。その一方で、変わらぬ普遍的価値の在りかも、改めて問われるようになるのではと思います。

 

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どうか旧作にも、今一度、お目を向けていただければ幸いです。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

 

 

 

 

 

続続・夢のなかへ

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 

それから数年後...

女子パラ・オレンジ組公演会場には、女子パラ・バッヂをつけたファンが押し寄せた。会場に入ってくる客たちは、まるで公認サポーターかパトロンであるかのような誇らしげな顔をしている。たんなるファンの群衆が押し寄せるのとは違って、歩き方にも、どこか不思議なゆとりのようなものが感じられる..。
当初、サポート額に応じてバッヂの色も変えようかという意見もあったが、自分たちを支え続けてくれるのは金額の多寡ではなく、ファン層の厚みだという声があがり、皆、同じ色のバッヂとなったのだ。この戦略が功を奏したのか、品のある、節度ある客が多く集まった。

女子パラは、いまや3チーム体制。

主としてホームタウンでの公演を行なうオレンジ組。ここは、高校からの一貫性と本家としての伝統を守りつづけ、ここで育った者が各地方チームの監督になっていく。
当初、出身校である律花高校の公演も抱き合わせで行ない、収入の半分は、後輩たちの活動費や奨学金に充てようか..などというアイディアもあったが、保安上の問題や、学校法人に対する税制上の問題などもあって、取りやめとなった。もっとも、最近では、律花吹部の公演日前後に、女子パラ公演を行うなどしているようだが..。

さて、地方公演を主に受け持つのが赤組,白組。
これは、律花高校卒業後の居住地域によって、おもに九州方面が赤組、関東方面在住のメンバーが白組となる。

赤組の特徴は、ダンスもさることながら、そのハーモニックな美しい音が売りだ。
金管楽器の音色は輝かしく、木管楽器の音色は表情豊かであるし、最弱音から最強音まで音に余裕があり、揃っており、濁りがない。音大在学中、または音大卒の優秀な団員を揃えただけあって、どのパートにも欠点がない。
このくらいでないと、耳の肥えた福岡の人たちは納得しないのだ。
そのうえで、ダンスしながらの超絶演奏もこなしてしまうのであるから、インパクト絶大である。
観客席には、セーラー服を着た地元の高校生たちも、多数見られる。

つぎに白組。
関東在住の若い団員が中心で、ヒップホップ系のダンスミュージックが得意。
耳に残るリズムバックトラック、その中毒性のある独特さや、人を虜にするようなビートの音楽、それからクールでほどよく甘く、スタイリッシュでノリが良い曲もあって、聞いている観客たちをノリノリにさせてしまう演奏スタイルだ。ファンの間では、ホワイト・マジックとよばれ、そして、'ホワイト沼'に嵌ってしまったコアなファンは、自らをホワイト・アディクトと自嘲する。
とまれ、海外公演のさいの盛り上げ役の中心となるのが、この白組である。


女子パラは、また、子供たちが音楽を通して成長できるための基金にも協賛している。
自分たちが現役時代、古い楽器を大切に使いつつ、いろいろな人に育ててもらった恩を忘れないためだという。
それが、女子パラのサポーターたちに、サポートする歓びとステータスとを与える一因にもなっているようだ。

 

さて、律花高校。
かつて高校を出てからは、公的機関のカラーガードなどに入り、細々と音楽活動を続けていたのだが、女子パラの出現により高校の位置づけは完全に逆転した。
大人気バンドの予備校と化したのだ。
全国から入学志願者が殺到し、とある歌劇団音楽学校よろしく、競争率数十倍という狭き門となった。優秀な部員も200名を超え、全国大会出場常連校となった。
生徒募集の観点からは、少子化のなか大変有難い話だが、他の進学クラスにも支障が出始めたため、律花では2、3年後をめどに、音楽科を増設予定である。

 

 

 

双輪の華

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 

カラーガードのAとBは、律花の歴代のカラーガード中、屈指の'華'のあるペアだ。

はじめに気づいたのは、ステージ中央に左右から出てくる時の'歩き方'だった。
通常の歩行とは違い、つま先がいくぶん外開き。これはバレリーナと同じく、脚の内側の筋肉が鍛えられているからなのだろう。だからどんなに激しい振付をしようとも、体幹は常に安定しているのだ。

また、歩いているときの胸の張り方が違う。鎖骨が腕の筋肉を優しく押し出し、胸骨は上目遣いで上を見上げているのだ。

さらに気づいたのは、二人の首筋の美しさだ。
彼女たちは、上半身から指先の先端に行き届くまでのラインの美しさを常に意識して、舞う。
首周りには余分な力が入っておらず、肢体の動きも柔らかく、呼吸法も整っているようである。
それらが、演技に'優雅さ'を生み出している。たんに手わざでフラグを振り回すのとは、根本的に違う。

じっさい、学園祭のとき、ステージ左右で踊っているのを見たことがあるが、はたして、それはバレエ経験者のものであった。熟達したバレリーナとおなじ、首から肩にかけてのラインの美しさが認められるのも、なるほどと思わされたのだ。


そして、これらに加え、彼女たちには、楽器も演奏できる強みがある。
そう、彼女たちは、カラーガードである以前に、演奏家でもあるのだ。
この点、とくに重要で、彼女たちが舞うのは、通常、バレエ音楽に合わせてではなく、マーチング曲などの場合が多い。
彼女たちは楽器の呼吸とリズム、音楽性をよく理解しているからこそ、それらと、バレエ的要素との融合ができるのだ。


さらに加えて、その演技には二人の育ちの良さも滲み出ている。

Aは、どこまでも優雅であり、いわば、「動」。
またBには、「静」のなかに「歓び」が込められており、安定した芯の強さがある。
二人は、互いに認め合い、生かし合っている。
こうした友情の美しさも、ガード全体の動きの優雅さをも生み出している。

 

あり余る'華'―――。


彼女たちの創り出す世界は美しく、尊く、それゆえ、律花バンド全体の華やかな夢の世界を一層引き立てるのだ。

 

 

 

 

続・夢のなかへ

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 


その後、「女子パラ(女子パラダイス・オーケストラ)」は、世界デビューを目指し、いろいろと試みた。


東京オリンピックの外国人観客が来るタイミングでショーを開こうとした。
しかし、コロナで外国人の訪日は禁止されてしまった。

大規模展示場で世界的規模のモーターショーが開かれるのを聞き、イベント出演を打診した。
しかし、想定される観客と、展示品の購買層との関連性が薄く、そもそも、まだ話題性すらないということで、断られた。

CM出演を、大手外資系会社に直接、打診したりもした。そのさい、高校時代のテレビ出演の実績なども話してみた。
だが、販売戦略を熟知している大手広告代理店を通してほしい旨、やんわり、断られた。
担当者いわく、「自己完結しすぎている」。

そうか...。
女子パラの完璧な演技は、自己完結しており、商品の購買動機へと結びつかないのだ。
平たく言えば、どちらが主体か、わからなくなってしまう..というわけだ。


そんなわけで、さしあたり、動画配信をチャンネルにして認知度を広げることとなった。

たしかに、動画配信により、ある程度の数のファンを惹きつけておくことは可能だ。
しかし、社会的ブーム、世界的ブームを引き起こすところまでは、至らないのだ。
起爆剤とは、なりにくい。


世界へ打って出たいが、具体的にどすればよいか、皆目、見当がつかない...。

女子パラは、しばらく、暗中模索の日々が続いた。


*


「女子パラ」メンバーのサヤカは、その設立に関わってのち、すぐに渡米した。本場マーチングを学ぶためである。
オーディションと何回かのキャンプを経て、21歳のとき、初めてDCI(Drum Corps International)に出場した。


その会場近くの公園で、自分より20cm以上も背が高い、見知らぬ白人女性から、声をかけられた。体重は90kgくらいありそうだ。

「以前、パサディナでお会いして以来ですね。」

 「???」

「5年前の12月、パサディナ・スタジアム...律花高校の後でマーチングした西部大学の関係者です。」

 「あっ、...あの時は、演奏が長引いてしまい、失礼しました。」

「そんなこと、いいのよ。ちょっとお話、いいかしら..」

 「もちろんです。」


木陰のベンチが涼しい。
心地よい風が、ほおを撫でる。


「時間がないから、単刀直入に話すわ。
あの時、あなたの高校の後で、お客さんにゴッソリ帰られたのは、ショックだった..。」

 「ごめんなさい。」

「いいえ、謝る必要はないわ。...けど、そのうち気付いたの。自分たちは、なんてラッキーだったのかしら..ってね。」

 「???」

「マーチング革命の、一方の当事者になれたのだから...。お客さんの反応をみれば、何が正しいかのが分かったの。」

 「わたしたちは、そのやり方しか、知らないので...」

「いいえ、立派だわ。それに、優勝賞金も、寄付したっていうじゃない。」

 「ありがとう。」

「あなたにお願いがあるの。西部大学の私たちのクラブに来て、1週間、指導してくれない?もちろん、DCIが終わってからでいいわ..」

 「...わかった。ディレクターに聞いてみる。」

「あなたとお話しできて、よかったわ。」

 「私も。」

「この紙に、私の連絡先が書いてある。また、会えるといいわね。」

二人は、軽く抱擁し、そして別れた。

 

話を聞いたバンド・ディレクターは、目を丸くした。

「そうやって、他校からお呼びがかかるようになるのが、良き指導者への第一歩だ。200人からいる部員の中で、他校からお呼びがかかるのは、ほんの一握り。しかも、全米トップバンドの西部大学からとは...。これは、驚いた!!教えるのではなく、教えてもらってこい。10日間、許可する。」

 「有難うございます。」

「戻ってきたら、報告するように。向こうのディレクターから、そろそろ連絡があるだろう...。私の方からも、連絡しておく。」


数日後。出発の前日―――。

サヤカは、ディレクターから呼び出された。

「君に話しかけてきた女性いただろ?」

 「はい。ジェーンです。」

「彼女は、サブ・ディレクターだ。」

 「ええっ!」

「いったい、君は、何者なのだ?日本で何をやってきたのだ?どうして、うちの一団員としているんだ?」

 「いえ..」

「本学バンドのアシスタント・サブ・ディレクターとして行くように..。でないと、名門・西部大学さんに対して、失礼になる。」

 「はい、ありがとうございます...。」

 

こうして、サヤカは、西部大学で1週間、指導をすることになった。

最初は、よほど幼く見えたのか、中学生に接するかのような、いくぶんの当惑、そして奇異の目線を感じた。

ジェーンが紹介する。

「…わたしが、なぜ、彼女を呼んだのか...。5年前のことは、チームにとっても、忘れられない経験よね。言葉より、まず、彼女の力量がどれほどのものか、見せてもらいましょう。サヤカ。OK?」

サヤカはにっこり微笑むと、楽器を演奏しつつ、舞った。

激しくダンスしているのに、その音色は、どこまでも美しく澄みわたり、座奏となんら変わらない。
辺りがオーラに包まれ、彼女の周囲10mがパーッと明るい。まるで宙で天使が舞っているかのようだ...。

それが、どれほどすごいことであるか、マーチングをする者なら、一瞬でわかる。
また、これなら、従来、不可能だと思われていた豊かな表現も、マーチングに大胆に取り入れることができるだろう、演出の革命を起こせるだろう、そして、誰にもまねできないような、輝きに満ちたマーチングになるだろう―――その可能性に、その場の誰もが、気づいたようだった。

 

演奏が終わった。

だが...

周りを取り囲んで見ていた300人からいる部員たちからは、一言も声が出ない...。
いや、出せないでいるのだ。

あまりの"劇薬"...

全米トップといわれた自分たちが、完膚なきまでに打ちのめされた、5年前の「悪夢」が再現された思いだ。

自分たちは、こんなグループと戦っていたのか...

 

サヤカは、にっこりと微笑み、そして口を開いた。

 

"For the last few years, all I've been thinking about is how to apologize to you.
We delayed the start of your marching with our performance at Pasadena Stadium.
But then I realized that it was out of respect for marching that you waited for our performance to end.
And that feeling turned into conviction when I met Jane.
I understood why you, regarded as the No.1 school in the US., had invited me. That is, you have a solid will to innovate marching without resting on your laurels.
Embarking on innovation may indeed cause anxiety.
However, the power to experience it as a meaningful step toward the future shines brilliantly in all of us.
It is friendship, it is love, and it is the glow of harmony and dynamism that lies deep within us.
Although it is a limited time, let me expose all of myself.
It is my respect for all of you who are honorable and courageous. It is also the love between those who seek to master marching together.
Thank you."

 

 (ここ数年、皆さんに、どう謝ろうかと、私はそればかりずっと考えてきました。パサディナ・スタジアムの演技で、皆さんのマーチングのスタートを遅らせてしまったからです。けれど、そのうち、皆さんが、私たちの演技終了を待ってくれていたのは、マーチングというものに対する敬意の気持ちからのものであったのだと、思い至りました。そして、その気持ちは、ジェーンに会ったことで、確信へと変わりました。全米No.1といわる御校から私が呼ばれたのは、名声に安住することなく、マーチングの革新をしていこうという強い意志を皆さんがお持ちなのだと、私は理解しました。
確かに、革新に乗り出すことは、不安があるでしょう。しかし、それを未来に向けての意味あるステップとして経験しようとする力は、皆の中に燦然と輝いています。また、それは、友情であり、愛であり、そして心の奥底にあるハーモニーとダイナミズムの輝きでもあります。
限られた期間ですが、私のすべてをさらけ出しましょう。それが、高潔で勇気ある皆さんに対する私のリスペクトであり、ともに、マーチングを極めようとする者同士の愛でもあります。ありがとう。)

 


とたんに、練習場は、割れんばかりの拍手と、熱狂の渦に包まれた。
この瞬間、名門・西部大学マーチング部に、律花流のマーチングが芽吹いたのであった。

こうして、予定をはるかに上回る、都合3か月間、サヤカは断続的に出向することとなった。
先方のディレクター、そして、なにより団員たちが、サヤカの人柄や能力を惜しみ、手放そうとしなかったからである。


西部大学のマーチングは、その後、伝統のテイストを保持しつつも、生き生きと、大きく変容し、人々を、あっといわせた。たんなる集団美でなく、空間美も活きるようになり、個々の団員から発せられる躍動感が、チーム全体の強烈なオーラとなって、会場全体を包み込むようになったのだ。

そして、この間の経緯がドキュメンタリー番組に編成され、サヤカの感動スピーチとともに、ケーブルテレビで、さらには3大テレビネットワークでも大きく取りあげられたのだった。

 

そうや、忘れとった...。

さっきまでアパートで談笑していた、気の置けない西部大学の仲間たちが帰った後、サヤカは、ふと、気づいた。

「女子パラ」が世界進出するんは、今やん!

サヤカは、日本に連絡した。

 

3か月後―――。

首都ワシントンのポトマック川畔にある大ホールで、出演している女子パラがいた。もちろん、その中にもサヤカも加わっている。
2400席のチケットは、たった5分で完売し、また5年前のホームステイでお世話になったホストファミリーとの感動的な再会の場面なども含め、全米に放映されたのだった。

それは、サヤカのマーチング指導者としての、華々しいデビューでもあった。

公演や指導依頼が、各地から続々と舞い込んでくるようになった。

 


ははは...。まるで、種まき係やな...。

やけど、全米に律花の花があちこち咲いてゆくんが楽しみや...


窓から、心地よい薫風が吹き込んできた。

どこからか、ほのかに花の香も漂ってくる。

 

サヤカは、高校時代の吹部の仲間たちの笑顔を思い出しながら、頬をほころばせた。

みんなと、いつも一緒や...

 

 

 

 

 

 

 

 

夢のなかへ

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 

先輩、お久しぶりです。

あ、久しぶり。元気やった?

おかげさまで..。あっ、先輩!ちょっと痩せはりました?

相変わらず、うまいなあ...。全然変わってへんで。

ハハハ..ありがとお..ハハハ...

 

  先輩の呼びかけで、高校時代の吹奏楽部の有志が再結集した。
  高校出てから2年ぶりに会うた先輩たちや同級生たちは、全然変ってへんかった。
  変わったと言えば、髪染めとることと、マニキュアと、あと不慣れな化粧くらい。

  ま、正直、激しい部活動が無くなって2年も経つと、ウチも含めて、少しむくッとした子もおったけど、中身は全然かわってへん。それが嬉しくってたまらへん...。

練習が始まった。
  始めは、久しぶりの練習で、うれしい気持ち、懐かしい気持ち、そして新鮮な気持ちが勝っていた。

  やけど、そのうち、気づいてん。
  みんなと合わせるときの、あるべきハーモニーのイメージが湧かへん。ダイナミズムなり全体の色なりの出しよう、方向性が、皆目、わからへん...。

  そうや、顧問の先生は、もういはらへんのや...。コーチも、おらんのや。

  皆、大学での授業があって、高校時代のように、毎日毎日、まとまった時間、練習時間が確保できるわけちゃうし。
  これからは、自分らだけで、自分らの音を築き上げていかなあかん。

  それができひんと、プロ集団としてのデビューすらかなわへん。

  久しぶりに合奏できた喜びは、ほどなく吹き飛び、危機感が露わになった。


  練習後、喫茶店の一隅に集まり、話し合いを持った。

 


個人で、技量を磨くことは当然のことやけど、全体の方向性が、湧かへんなあ。指導者呼ぼか..

でも、大学の学費以上に、親に負担かけたないし...。

正直言うて、うちらより演奏が上手い子は、ぎょうさん居る。やけど、うちらの演奏を喜んでくれはるお客さんもいっぱいおる。いったい、どこ、喜んでくれはるんやろな。

美人揃ってるしなあ...

ハハハ...

相変わらず、うまいなあ...。ま、ダンスしながらの演奏やろな。

うちら、ダンスしながらの演奏の技術は、体に沁みついてるし...。

いつか、プロスポーツの応援でコートでマーチングしたことあったやん。あん時のお客さんたち、びっくりもなんもしてへんかった..。そういう意味では、ダンスしながらの演奏が、どれほど凄いことか、感じさせる方法も、考えんへんと...。

そこやな。そこ解決せーへんと、マーケットをヒットできひんで。

そやな。あと、みんな、ちょびっとダイエットやな。

ちょびっと??

先輩、冗談ですってぇ…

ハハハ...

そやけど、その「色の出し方」、どうしよか。

現役生に比べれば、うちら、おばさんや。

ウチ、まだ、バリバリやけど。

まったーっ。ハハハ...

目の周りパンダや。

先輩、突っ込まんといてくださーい。

ハハハ...

...やから、若さだけやとあかんし、純粋に芸術的表現だけやとあかんなあ。いっそ、現役生にはできひん、荒削りの若さの爆発みたいなんどうやろ。意図的に...

そうやな。見てくれてはるお客さんが、うちらの演奏・演技で幸福になってもらえる...。

そうや、やっぱり笑顔の爆発が基本や!

「女子パラダイスオーケストラ」とかどやろ。しかも、どこのバンドもやったことのない、踊りながらの演奏で、お客さん乗せてみて..。

それ、ええなあ。

女子パラか..

うんうん。めっちゃ新しいやん!

うん、行けそー。

あと、夏の合宿もせーへん?

「合宿」かあ...なつかしい響きやなあ...。

プロのマーチング指導者にもスポットで来てもらおか...。

 


  ―――彼女たちの話は尽きないようである。

  それぞれが、大学の専門分野の習得や実社会での経験を通じ、自分が変容していくのを自覚しはじめた。
  だからこそ、今一度、変わらない自分の核の部分を見つめ直そうと集まったのだ。

  彼女たちは、ずーっと、美しい世界のまま、時を刻み続けていくのだろう...

 

 

 

始動!

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 

 吹奏楽部に入っている中2のユキナは、新生律花高校吹奏楽部のステージマーチングをネット動画で見た。
4か月前、ネット投票で全国ダントツ1位のマーチング演奏を残した3年生は、すでに引退し、もういない。
1,2年生だけの、初めてのお披露目演奏が、これから始まるのだ。観光協会からの依頼らしい。

 

ノリのよい、馴染みの曲の演奏が始まった。


始めの数秒で、ユキナは耳を、そして目を、疑った。
座奏ですら演奏できないような美しいハーモニーが聞こえてくるのに、ピョンピョン、激しい動きをしているのだ。信じられない。

こんなことがあっていいの?

アンブシュアはどうなってるの?肺活量はどうなってるの??

「うそやん..」

思わず、声が出た。

別録音やないの?

眼前に繰り広げられている、あまりの高次元のマーチングに、目と耳とを疑った。

指の動きを見ると、別録音ではない...。

ええーーっ!どうすれば、あんなこと、できるの???

 

ユキナは、今度は目を瞑(つむ)ってみた。

どう聞いても、座奏ですら、ここまでのハーモニーを出せそうにない。しっかりと縦が揃い、しかも、音には、リズムを超えた躍動感がある。それを、ピョンピョン動きながら演奏してしまっているのだから...。

たぶん、パートごとに振付をしながら数人で演奏したとしても、まるで、1人で演奏しているみたいに、音のうなりのない、ピュアな音になるだろうな...。

それに、演奏後の残響も、ものすごく美しい。
金管木管とか、金管同士・木管同士とかのバランスが、念入りに調整されているのが分かるし。

それから、この曲は、ノリのよさから、リズムが流れてしまいがちな曲だけれど、しっかりとしたメリハリと安定感とを生み出しているのは、バスドラの活躍みたい...。

 

2分余りの短いステージ動画だったが、ユキナは、半端ないすごさに圧倒された。

これが、全国レベル、やなくて、世界レベルのマーチングかあ...。

すごい!すごい!すごすぎる!!
わたしも、あの中で演奏して、みんなに感動を与えたい!!

4月からは自分も受験生。

勉強がんばって、ぜったい律花に入るぞ!

 

 

 

<外伝> observers

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 

 

評判は相変わらずだ。
とくに、「音が良くなった」「上品で、芸術的。新鮮な感動だ。」など、賛辞が尽きない。
だが、その一方、ごくごく少数だが、こんな声もある。

―――マーチングに、勢いが無くなった。笑顔が少なくなった。

 

はじめ、どうしようもないSNS掲示板の戯れ事で、気にも留めなかった。
このコロナ禍で、笑顔が少なくなるのは当然のことだ。

それに、限られた練習時間の配分を考えれば、まず、音の向上に時間を確保すべきなのだ。
音は、日々の積み立てで進化していくものだ。
振付のほうにかける時間は、基本ステップの維持程度でよい。もっとも、新しいマーチングに取り組む場合は別ではあるが。
しかし、その場合であっても、生徒の意見もある程度は取り入れはするものの、大人のコーチがプロの芸術作品として仕上げる。全国強豪校では、プロにコンテを任せるのは当たり前で、仕上げていくスケジュールづくりについても、生徒を一応噛ませるが、大局的にスピード感をもって行なっていくには、コーチが仕切るのは当然のことなのだ...。

―――と、こんなふうに考えていた。


部員たちは、皆、良い子たちばかり。
飲み込みが早く、なんでも卒なくこなしていく。
要領がよく、うまく運んでいく。
協力的だ。
そう、協力的だ。
今や、難関高校となった当校に入ってくるだけあって、皆、覚えが速く、頭が良い。
状況がよく見え、マーチング中も微笑を心がけている。

何も問題はない。
何も問題はない。

だが―――

 

そのうち、退部がチラホラ出始め、その事由が、はっきりしなくなってきていることに気づいた。

準備室にやってきた、役員の部員に聞く。

「○○から辞めたいと聞いたんやけど...」
 「しんどいとか、言うてました...」
「そんな根性無しやったんか?」
 「いえ...。勉強の方の成績が落ちてきた言うてました...」

こんなやり取り。結局、退部の事由は、本人のヤル気の低下、勉学重視に落ち着く...。


しかし、何か、変だ。
皆、憧れて入部してきたはずだ。
初めてユニフォームに袖を通したあの日。あの一人一人の輝くばかりの笑顔は、いったいどこへ行ってしまったのだ...

ひょっとしたら、こちらが気付かぬうちに、生徒に上手く管理されていたのでは...
生徒に観察されていたのは、こちら側だったのでは...

 

監督は、慄然とした。

生徒に、悪意はない。

しかし、生徒目線で見て、はたして、自分は分かりやすい存在であったろうか...。

生徒目線で寄り添い、ときには熱く語り、共に笑い、感動で揺さぶり、そして共に成長していく喜びを分かち合える...

たしかに自分は、熱情型ではないし、腹芸も得意でない、いや、できない。
だが、一芸術家として、独りよがりの求道者とはならず、カリスマにもならず、生徒第一で、これまでやってきたつもりだ。保護者や学校との対応、安全対策等々...

だがそれも、独りよがりか...

 

準備室にやってきた生徒に聞いてみた。

「練習、楽しいか?」

 「はい..」

卒ない返事だ。

「じゃあ...、もっと楽しくするには、どうしたらええ?」

 彼女はしばらく考え、そして口を開いた。

 「監督、お願いがあります。」

「何や?」

 「もっと笑ってください。」

「???」

 彼女はお辞儀をするなり、準備室を出ていった。


 明らかに、自分は生徒に観察され、日々、評価されていたのだ!

 「笑ってください」の真意を考えた時、はたして自分は、生徒が自分のところに飛び込んでくる「隙」を、意図的に作り出せていただろうか...


 現在の部の姿は、閉塞した自分の心の世界が具現化したものだった―――。

 

 それでもなお、団員たちは、もともと優秀な生徒たちであるから、指示通り、卒なくやってくれている。

 生徒の方が、余程、大人ではないか。

 しかし、「卒なく...」が、本来の魅力を減じてしまっていることに、世間は、もう薄々、気づき始めている...。


 そうか...。

 「周りを変える」のではなく、「自分が変わる」のだ。

 子ども目線のアンテナをもっと広げよう。意図的に、砕けたところを表現し、もっと隙をつくりだそう。

 そうか、ようやくわかった...九州の、とあるリーゼントに過激なTシャツの吹部監督の意図が..。
 彼が、たった一言生徒に声掛けし、ポンと背中を軽く押しただけで、生徒は感動でワッと泣き出してしまうほどなのだ。

 自分とは、生徒目線のアンテナの感度が違う...いや、そもそも、自分はそういうものを持ち合わせていただろうか...

 


コロナ明けのある日、監督は、久しぶりの野外マーチング会場に、引率で来ていた。

ファンとおぼしき男性が声をかけてきた。

「先生、どうもご苦労様です。」

 「あ、どうも...。」

「先生、ま、聴いてください。わたしら観客は、子供たちの超絶演技や名演奏を喜ぶのではありません。それも大事でしょうが、わたしら客が惹きつけられるのは、子どもたちの、心から幸せそうな表情と一体化できて、ともにその幸せを分かち合えるからです。...こんなバンド、世界中にありますか?」


 これまでだったら、一狂信的ファンの戯れ言として聞き流していた。
 しかし、数秒後、気づいた。
 どんなに管理を徹底させようとも、団員達の中にこそ、吹部の魂の灯が脈々と受け継がれていたのだ。

 そうか..。彼女たちがもっともっと輝けるような大舞台を、次々と用意しよう。座奏、マーチング問わず。そして、その大舞台という荒波にチャレンジしていく中で、生徒の自主性を、もう少し取り入れていこう。
それは、非効率的な行為ではなく、創造的な、将来への可能性を広げるための、必要時間なのだ。
伝統の魂が醸成していく様子を、忍耐強く見守ることにも、もう少し心がけよう...。

 

翌日、練習室に現れた監督―――

 いつものジャケットには、かわいいフェルト・マスコットが付いていた。

 

 

 

 

香しき世界へ

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 

 

『創部○○周年記念式典』の看板がステージ上にまぶしい。

学校関係者、部の関係者のあいさつが一通り終わり、小グループに分かれ、OGとの座談会になった。

 


「律花大から保健医療方面へ進む人が多いみたいですけど、先輩は今、大学で音楽療法を研究してはるんですか。」

 「うん。」

「病院でも、取り入れてはるとか..」

 「そやねん。音楽療法士..っていうねん。まあ今のところ、リハビリの一環やけど...。ただ、ウチが今研究してるんは『マーチング・ヒーリング』ってやつで」

「それ、何ですか?」

 「律花のマーチングあるやん。」

「はい...」

 「あの感動って、単なる振付の工夫だけちゃうと思うねん..。」

「たしかに..。エンターテイメント性だけなら、阪急乗って見に行けば、いくらでもスゴイの見られる。やけど、一高校の部活動が、全世界の老若男女のファンを取り込んでんのは、確かに謎ですねぇ...。」

 「そやろ。国内外問わず、重い病気になった人が、元気が出る、生きる活力が湧く、言うてる。洋の東西、老若男女問わず、感動する人がおる。涙を流す人さえいる。..絶対、なんか理由があるはずや。」

「先輩は、どう考えてはるんですか。」

 「専門的には、1/f揺らぎのリズムとか、脳のα波の喚起とか...色々あるみたいやけど、それだけちゃうと思う。それに、内部にいたから、逆に当たり前すぎて、分からへんくなってるんかもしれんし..。ま、メカニズム解明できたら、ノーベル賞モンやな、ははは..。それにしても、夏のマーコンはすごかったな。」

「ありがとうございます。」

 「7年ぶりか...。」

「やっと、全国金とれました。」

 「吹奏楽コンクールのほうも...」

「ここ2年連続、全国銀です。」

 「がんばったな。」

「先輩たちが積み上げてくれはった土台があったからです。先輩が卒業された次の代で、吹コンで関西代表になりました。マーコンの全国進出は、もう1年かかりましたけど。その土台をつくってくれはった、コロナの時の先輩たちのおかげです。」

 「あんときは、しんどかった...。」

「どんな感じやったんですか。」

 「ああ...」

 先輩は、遠くを見つめるように、ぼそぼそ、語りだした。

 「...しんどかった...」

「大変やったんですよね...」

 「...うちらの代だって、『先輩超えたる!』って誓っててん。やけど、コロナで登校禁止やし、仲間と練習もできひん...。コンテストも舞台もぜんぶ無くなった..。」

「辛かったでしょう...」

  「何が辛かったって、コロナで、親の経済的理由で、部員がどんどんいぃひんくなっていったことや...。こればかりは、どうしょうもない..。」

「…」

 「で、残った仲間と誓ってん。いつかくるコロナ明けの日、そして、その先の後輩たちの'栄光の日'のため、自分たちの代は、後輩たちの'肥やし'になろう――って...。」

「ほんまに、ありがとうございます...。」

 「いや、そう考えることしか、心の持ちよう、支えようがなかってん。輝くことも儘ならへんし、沈むことも儘ならへん。なんもできひんかった...。」

「すごい落ち込まはったんでしょう...」

 「やけど、そのうち気づいてん。うちらの前の代の先輩たちやって、顧問は変わる、コーチは変わる...本当に恵まれてはったんやろか...。むしろ、激動の中、あがき続けてはったんちゃうか...。」

「…」

 「過去の出来事は、変わらへん。けど、時間がたつうち、内面の成長とともに、捉え方が進化していくもんや。傷も、癒えていくもんなんや...。」

「...その...成長のカギ――となるんは...?」

 「うん、そうやな...。人とのつながり――やろな。」

「つながり?」

 「うん。ご飯、おいしいか?..笑顔で挨拶してるか?..素直に『ありがとう』って言えてるか?...一歩一歩、踏みしめながら、歩いてるか?」

「はい...」

 「ひとつひとつのつながりに有難さを感じられれば、感謝の気持ちが、心を安らかにする。『香しい香りの在りか』も見えて来るねん。」

「香しい...?」

 「そうや...。ま、仲間とともに、人を活かし、自分も活かされて、互いに高め合っていけるような場所――やな。」

「...なんか、分かったような、分からへんような...」

 「はは...。それで、ええねん。そのうちわかる。...ま、今となっては、コロナも肥やしになったってことや...。一曲、吹かせてな。」

先輩は、そう言うと、おもむろにトロンボーンを取り出し、律花のパレードの出だしの1曲目を吹き始めた。

 


先輩の原点には、仲間たちとの美しい行進の世界が、ずーっと生き続けてはるんやろな...。


そうや!

人それぞれの生き方の原点を美しく加工し直してくれるのが、先輩の言っとったマーチング・ヒーリングちゃうんかな...?

これまで生きてきた世界、そして、今生きとる世界を、幸せに満ちた香しき流れへと変えてくれる...

 


ひとしきり演奏し、それが終わると、先輩は、ゆっくりとマウスピースから口を離し、そして誰に言うともなく、呟いた。

「ありがとう...」

 


きっと脳裏には、自分を香しい世界へ導いてくれた仲間たちの笑顔が浮かんではったに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音をおいかけて

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

  

 

4月、市民会館でのコンサート。

「○○高校のコーチ、来てはるわ。」

「うち、△△高校の顧問の先生、見たわ。」

「2月の吹奏楽フェスティバル以降、強豪校の監督さん、うちらのコンサートに、よう来てくれはるよう、なったわ。」

「ファンが増えるのはいいことやん...。」

「あほ。偵察や。」

「はは..。冗談や。…そやけど、ライバルとして認めてもらえるようなったんは、手ごたえあってええわ。」

「そやな、包み隠さず、堂々、勝負や。律花の気概を見せたる。」

「オーッ!」

一斉に拳が挙がる。


*


ステージのライトに、書き込みで真っ黒になった譜面が浮かび上がる。

細かく書き込んだ文字は、読まずとも、すでに記号と化している。
呼吸法や奏法、高速トリルの使い方など、考えなくても自然とやってしまっているから、音符も含めて譜面全体が、すでに'美しい景色'と化しているのだ。模様の確認。


―――リナは、演奏しながら、練習場面を思い出していた。


そういえば、顧問に鍛えられたのは、奏法のみならず、音に関する感覚もや...。

純正律の響きを得るために三度を低めに取るかもしれんし、間の取り方、タンギング、呼吸法による音の違いもある。それから何小節単位でのまとまりもあるし、リフレインにしても、前後の展開を考えれば単純な繰り返しはない。ソリの部分では、パートとして、呼吸法やタンギングなどを統一させたうえでのハーモニーの豊かさ、そして、なにより、周りとのバランスを考える。次小節以降の展開を考えた上での終わらせ方の工夫も必要や...。


練習で、顧問のダイナミックな指揮に、うちらの技量が追いついてくると、信じられへんこと起きた...。

通しの演奏が終わった瞬間、スーッと胸に納まる...。

 (あれ、今の、うちらの演奏だった?)

 (ええっ?)

キョロキョロ、周りと顔を見合わせる。

 (え、今の、すごくなかった?)

そこで、ようやく、お互い、ニヤニヤしだす。

そんな日々が、続いた。

次第に、顧問の指揮の本当の意図も、よく分かるようになってきてきたし、進化に、スピードがついてきた。

そして、今、ここにおる...。


―――気づいたら、演奏は、もう終わっていた。


*


演奏後―――

しばらく、拍手がない..

 (えっ、やば...)

数秒おいて、万雷の拍手。

 (あ、よかった...伝わったんや。)

 

指揮を終えた顧問が、お客さんに背を向けて、胸元で小さく拍手をした。

 (ああ、今の、良かったんやな...)


*


彼女たちは、自分たちの迫真の演奏が、聴衆を飲み込んでしまったことに、まだ、気づいていない。

また、市民会館を出ていく、他校の監督らの'険しい顔'も、知る由もない。


コンテストの日まで、彼女たちは、いったい、いくつのステップを駆け上がり、演奏は、どれほど、その輝きを増し続けるだろう。


夏の終わりに―――。青春のきらめきは、音楽とともに、ひとつの頂点に達する。

 

 

 

 

 

カンタベリーコラール

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

 

昔、律花の演奏を聞いたことがあった。

偶々(たまたま)だったかもしれないが、縦がなかなか揃わない、あのくすんだサウンドは、いったい、何だったのか...。これから演奏されるこの曲には、じっくり聞かせられるだけの清澄な、そして柔らかなハーモニーが必要なのだ。以前とそのまま変わっていなければ、陰鬱なだけの「カンタベリーコラール」となってしまうだろう。

そこへもってきて、顧問の指揮は、金管楽器の華やかさ、豊かさが売りだったはず...。

それらを考え併せると、律花とカンタベリーコラールとは、どうもイメージ的に結び付かない―――と思っていた。

 

しかし、それが、どうだ。

見事に裏切られた!!

演奏が始まって、たった10秒で、その世界へ引きずり込まれ、感動の涙がとめどもなく出てきた。震えが止まらない。

 

女子中心の律花ならではの、柔らかい息遣い、洗練された響き、丁寧な音楽運び、よく練られた構成など、かなり繊細な音づくりがなされている。


針の穴に糸を通すような、雑味のない絶妙なバランスのピュアなハーモニーでありながら、終始ゆったりした、幅のある律花の演奏で、そこには美しさ、暖かさ、敬虔さが感じ取られる。とくに冒頭から提示される旋律は、高揚しても、どこまでも品位を失わない演奏を保持している。

ホルンとユーフォ、ソプラノとアルトサックスのアンサンブルで二度繰り返される変奏が見事であり、心にいつまでも残る。ハーモニアスなソリが、それぞれの音色を活かしあって、奥深さ、そして優雅さを描き出している。

最初のクライマックスは、ティンパニのロールに導かれる、輝かしいトロンボーンとユーフォのソリだ。
とくにトロンボーンの音色は、天使の啓示を彷彿とさせ、さらに天に向かって高まっていく。その律花の音色といったら...

そして最後は、ユーフォのふくよかなソリが、いつまでも深く、豊穣に満ちた余韻を残し、昇天していく...
律花の中音パートの底力をみた。


カンタベリー・コラールは、一見、容易そうな譜面に反して、ともすれば、地味で陰鬱な演奏に陥りがちな難曲だ。にもかかわらず、律花の演奏は、安定した、流麗な流れで、高揚感すら生み出している!

しかも、顧問の指揮は、心に高揚感が高まっていく波の、まさにその頂点に達する直前、瞬間の間(ま)を意図的に作り出している。それが、また、いっそうの豊饒感を、聴く者の心に重畳的に深く刻み組んでいくのだ。「間」に語らせている。

華やかさと豊かさが特徴だった顧問の音作りに、サウンドの渋みの魅力の創出も加わったようにも思える..。


もう、これは、生徒たちの内面の風景描写と化しており、演奏なんかではなく、荘厳かつ美麗な「歌」となっている。


そう、顧問の指揮とあいまって、吹部一体となった心の風景を歌いあげるように迫ってくるのだ!

よく、ここまで、内面と音とを磨き上げたものだ。

生徒たちも、素直に、顧問を慕い、自己変革を行っていかない限り、到底達することのできないレベルの演奏だ...

 

     *


演奏が、静かに終わる。

指揮台上の顧問は、そのまま...

(5秒)...(10秒)...

タクトを挙げたまま、動かない。

照明の陰影のなか、顧問の頬に一筋の雫が光る..


生徒たちの演奏が、初めて顧問を泣かせた!

定期演奏会で、卒業生にとって、これほどの「置き土産」があるだろうか...。

 

会場全体は、その神がかった演奏とともに、至福の歓びに包まれた。

数秒の静寂...


*


私は、鳥肌が立っていた。それでいて、うっとりとしたまま、幸福感に浸ってもいた...。


気付くと、周りは、割れんばかりの拍手に包まれていた。
そう、拍手をすることすら忘れさせてしまうほどの衝撃的な名演だった。



楽器片手に立っている生徒たちの、その輝くばかりの顔・顔・顔...

全体が、柔らかな金色のオーラを放っている。

吹奏楽の神様が微笑んでいる。


観客の誰もが、その'奇跡'を確信し、その奇跡に感謝し、それゆえ、誰も、さらなるアンコールを求めようとはしなかった。

これ以上、何が求められよう。

 

私は、この奇跡の場に居合わせ、最上級の豊饒の世界に身を委ねられた幸福に、感謝せずにはおられなかった。

 

 

 

 

 

 

美しきマーチング

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

  

律花は、その独自の、ダンス・アンド・マーチングで人気を博してきた。
あえて、バタ臭さ、荒削りの部分を一部取り入れることで、生徒たちの若さを爆発させる余地を残した。
そしてその躍動は、見る者に高揚感とエネルギーとを与え、会場全体を、生きる喜びで満たした。
だがその一方で、なかには律花の演奏演技自体を「奇矯な..」としか評価しない向きもあった、残念ながら..。


だが、新型コロナによる雌伏の時を経て、律花は、大きく生まれ変わった。

律花の新しい演奏演技には、より洗練された「美」が結実していたのだ。


華やかな金管の音色と音圧のある中低音との抜群のハーモニー、ダイナミクスのある豊かな演奏とあいまって、その振付は、丁寧で、清らかで、躍動感に溢れ、統率がとれ、潔さと誇りとが感じられ、そして、それらがすべて自然に受け容れられる域にまで達していたのだ。おまけに、終わった後の心地よい爽やかな余韻...。これを「美」と言わずして、何と言おう。

それらは、たしかに作られた美には違いない。

しかし、それらの演技に至るまでの過程に思いを馳せた時、愚直ともいえる鍛錬の日々が背後に感じられるのだ。
毎日丁寧に手間をかけ続けることで磨かれる美があることを私たちは知っている。そしてその姿勢の永続性に魅かれるのだ。

また一方で、儚い点、無常である点にも、日本的な美が感じられる。
彼らは3年間で燃え尽き、そして、年々、更新されていく。青春のすべてを捧げての、眩いほどの魂のきらめきーーーだからこそ、日々の鍛錬と相俟って、尊く、そして美しいのだ。律花の演奏演技を見て、感涙を催す人を何人も見た。

細かな所作についても、単なる一振付としての域を越えている。

仲間との連携による集団美や空間美の創出、緩急・間の取り方、楽器の扱いよう、さらに終わった後の余韻にいたるまで全てに気を配る、細やかな姿勢が行き届いている。

こういった所作は、一朝一夕で板につくものではない。

しかも、それらに全然、作意が感じられず、またある意味、細かく作りすぎているにも関わらず、少しも、うるさく見えない。

それは、日頃の鍛錬と習慣づくりにより育まれ、無駄な所作は淘汰され、日々、更新され続けている成果なのだろう。

こういった、いわば日本的な「道」の姿勢のなかの、個々の、そして組織としての『美しい心の持ちよう』が、具現化した結果、作為は無くなり、美のシンフォニーへ昇華したものと考える。ある意味、多くの団体にみられる作為から成り立っているマーチングドリルのなかにあって、美の本質とはかくあるべきという、対極を提示している、一種のアンチテーゼにすら思えてならない。


律花のすごいところは、たとえコンテストの場であろうが、自分たちの演奏演技を見る者聴く者に、究極の「美」の圧巻演技で迫り、内省させてしまうところにもある。だが、決して驕らない。そこが、奥ゆかしくもあり、美しくもあり、そして爽やかである。

律花は、これからも愛され続けるに違いない。

 

 

 

 

 

普遍的価値

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 

202x年、ICTとAIを応用した「コンテ生成ソフト」の出現により、マーチングは大幅に進化した。

個別認識技術と動体追跡技術とを応用し、マーチング映像から、団員一人ひとりの、譜面にあわせた動きが、詳細に解析できるようになった。

そう、全国金賞のドリルも、ある程度の俯瞰映像さえあれば、個々の団員のそれぞれのタブレットに、8等分された5m方眼の正方形の集合上に、動くコンテが示されるのだ。

もちろん、オリジナル・コンテの作成も可能。
団員を表すドットをくくって、行進、散開、回転、左30度後退などのパーツを組み合わせれば、ドロウイング・ソフトウェア感覚で、コンテが自動生成されるし、「花」、「星」、「楕円」、「歩く人」、「文字」など、作りたい形を選択すれば、形から形への81人全員の拍ごとの動線が示される。もちろん、弧やS字を描いた動線も可能であるし、部分的なマニュアル補正も可能。さらに、豊富なコンテ部品ライブラリーも付く。

こうして作成されたコンテは、各団員のタブレット上で、流れる曲と連動して、拍ごとの81の動点が楽器アイコンの動きで示される。自分の動点は常に点滅。さらに、俯瞰してドリル全体を見ることもできる。これで、まず、全体像を理解する。

さらに、バーチャルリアリティ技術を用いたゴーグル型モニターの装着も可能だ。こちらも、コンテに合わせてプログラムが自動生成される。
ゴーグルを装着すると、イヤホンからの曲に合わせ、まるで自分がドリルの演技中に放り込まれたような疑似体験映像が視界全体に広がり、動き出す。振り返ると、後ろにも動く世界が広がっている。
3Dレンダリングされた周りの団員も自分といっしょに動き、自分の目線からのライン合わせの目安やタイミングもわかる。自分の次の1歩の位置や、数歩先の動線まで映像中に示される。
これは主として、フロア練習のできない、自宅練習用。

また、オプションとして、天井に吊り下げられたプロジェクターからの投影により、コンテが識別記号付きの光の点でプロジェクション・マッピングで示される。実際のフロアの、やや、俯瞰した位置から繰り返し見ることで、体感的なイメージとしてとらえやすいし、また、その中に入って、実際に歩調などを確認することもできる。


こういった、技術革新により、これまで4か月以上かかっていたドリル練習が、わずか1か月足らずで仕上がるようになったのだ。ただし、ここまでの機能をフルで揃えるとなると、高級車を買うくらいの費用がかかるのだが...

そのため、どこの高校でも、ネット配信が有料になってしまったのは、無理からぬことであろう。

 


そんな時代の、律花吹部での、ある日の一コマ...


「マーコンで、どの出場校も超絶ドリルばかりで、差のうなると、結局、金賞もらえる主な基準は、あとは音だけやな。」

  「そうや。」

「音だけが勝敗基準なら、付属中学からの持ち上がりが大勢いる250人からいる大所帯のところには、かなわへんで。」

  「そやな...。うちら参加しとるマーコンは、芸術点は無いからな...。技術革新したのに、審査基準は変わっとらん...。結局、大手の高校に打ち勝って、全国進出するには、ドリルは行きつくところまで行ってもうた以上、あとは音に全エネルギーを集中するしかあらへんな...。」

「それって、単純に「楽しい」か?…うち、ひとりひとりが輝けるから、見てくれはるお客さんも感動してくれはるんや思うて、この吹部入ってきたんや。やけど、新システムになって、マーチングには、ゆらぎも、あそびも、のうなってもうた...。万事、スマートや。工程に沿って周りといっしょに仕上げてかならん。それができひんようだと、全国出場も無理や。ダンスを取り入れて...などという、一分の隙もあらへんやろ。結局、今後、全国金賞の常連校に進学希望者が集中してしまうで。お金もあるやろし。」

  「仕方あらへんやろ...。すごいドリル・すごいハーモニーちゅうた、団結の美しさづくりに、個人のエネルギーは昇華させるべきなんや。全員、音高に行った子に負けへんくらいの音を出せるレベルにまでならへんと。個人の青春エネルギーの爆発なんちゅう、そんな余裕はないことは、わかっておるやろ。」

「うーん。強いものは、より強うなるかあ...。ダンスしつつの演奏も、おしまいやろか...」

 

結局、ICTの革新と、旧態依然の選考基準に固執し続けるコンテストにより、強いところは、ますます強く、弱いところはますます弱くなり、格差が拡大した。強豪校には生徒が集まり、潤沢な活動費はICTを利用したマーチングの革新を可能とし、ますます演奏演技が強くなっていった。結果、この少子化のなか、優秀な生徒はますます強豪校へ集まってくる...というサイクルができつつあった。そう、2020年代は、ICTやAIの発展による貧富の差が急速に拡大した年代となったのだ。


律花はどのように生きていくのか...

 


その日、ナナは、地理の授業を受けていた。

世界遺産とは、顕著な普遍的価値を有する...」

ナナは、思った。
―――うーん、「普遍的価値」って、なんだろう。歴史、民族、性別、世代をこえて伝承されていくもの...やろか。

うちら吹部の先輩たちの動画のコメントを見る限り、国・人種・性別・宗教などを超えた、賞賛の嵐や。再生回数も2億回超え、日々、全世界からの様々な言語でのコメントが途切れることがない。こら、世界無形遺産並みの普遍的価値ちゅうものちゃうやろうか。

やけど、律花吹部がマーコンのゴールド金から離れて久しい。
強豪校へ進学した、中学の同級生が、全国金を取っているのを見ると、羨ましくも感じるし。

いったい、何が正しいんやろ..

 

 

翌日、ナナは職員室に顧問を訪ね、思いの丈をぶつけてみた。


「ははは、わしら、世界遺産やな...」

「顧問!ウチ、悩んでるんです。」

「すまん、すまん。ナナは、とてもいいところに気づいた。…そう、ちょうど、頃合いを見て、皆に話そうと思っておったところや。今日の練習後のミーティング時に、私の考えを述べよう。ありがとう。」

 

 

その日の練習は、少し早めに終わった。

「今日、ナナが私の所へ来て、大切なことを話してくれた。まずは、ナナに感謝や。ありがとう。」

顧問に褒められ、ナナはみんなの注目を浴び、顔を真っ赤にした。

「ところで、みんな。バッハの曲が初めて評価されたのは、いつか、分かるか。」

  「…」

「死後100年経ってからや。」

―――宮廷音楽家だったはずやから、最初から十分、評価されとったと思うた...ナナは思った。

「ええか。本物は時の流れのそげ落としを乗り越えて、後世に伝わり、何年経っても輝きを失うことはなく、いつまでも愛され続けるものなんや。」

―――そうや!普遍的価値をもつホンモノこそが、いつまでも輝き続けるものなんや。

「ホンモノになるには、どないしたらええか...それは、ひたすら高みを目指して演奏演技を磨き続けることや。そして、その一つ一つが、本当に美しく、尊い作業なんや。」
「既に、うちの吹部は、きみら先輩たちが築きあげてくれた評価が生きとる。大切なのは、そのポリシーを貫き通す強い意志と信念や。自分を信じる力、夢を信じる力や。」「マーコン、吹コンは、大切な基礎を高めるための重要手段であって、目標ではあらへん。」「君らの目標は、万人の心を震わせ、熱い感動を湧き起こすような、律花吹部らしい演技ができることや。」

  「はい!」

「単純に、言おう。―――先輩を超えろ!―――その努力の過程で、言葉ではなく、まず、心と体で、より高次元の気づきと喜びとが得られていくはずや。それが、芸術の継承というもんや。これからも、みんなが善き継承者であり続ける限り、律花吹部は、輝き続けるんや。」

  「はい!!」

「したがって、私が顧問である限り、音作りやドリル練習も大切だが、律花独自のダンス・アンド・マーチングの伝統も、進化、継承、そして発展させていくつもりだ。」
「いつの時代においても、技術進歩に飲みこまれてしもうては、大切なことを見失ってしまう。それは、代々の先輩たちが築き上げてきてくれた『律花の魂』や。ここにおることに安住することなく、まずは、より魅力的な自分になってほしい。そして、互いに影響しあい、たえず革新を続けていってほしいんや。その愚直さが尊さを生み、そして普遍的価値へとつながっていくんや。」

 

ナナは、感動で、胸のつっかえが、一気にスーッと晴れていくのが分かった。パーッと、視界が開けていくのを感じた。

気分は、澄んだ青空の彼方へと、どこまでもどこまでも広がっていった。

 

きっと、きっと、うちらの思いは、ずーっと遠い未来にまで届くはずや...

今を、仲間とともに大切に生きよう―――ナナは、そう思った。

 

 

 

 

 

 

<外伝> 安全装置

(以下は、フィクションであり、特定の個人、または団体を指すものではありません。)

 


梅雨時のどんよりした雲、黄ばんだ太陽。

コロナ禍で活動できないのが、なんとも、しんどい。ここ1,2ヶ月の間、大学受験準備のため、早期退部をする者が何人も出ている。どうにかしたいが、自分一人の力では何ともできない。この息苦しさ、やるせなさ。

生暖かい湿った風が肌にまとわりつく。

 


DMのリホは、自宅窓から梅雨空を恨めしく見ながら、去年の秋、前DMの先輩から申し伝えられた場面を思い出していた。
それは、パレーディング帰りの雑木林の小径を歩いていた時のことだった。

先輩は、問いかけてきた。

「…唐突やけどな、リホ。吹部、誤った方向へ進みだした時、だれが、最初、声を挙げるべきや思う?」

  「みんなで総監督に折衝に行って...」

「だめやろ。気付いたとき、もう、身動きできひんようになっとるやろ。」

  「ほな、部長が..」

「部長こそ、だめや。バランスと運営第一に考えてまうから...」

  「ほな、だれが、旗振り役を...」

先輩は、ウチの鼻先に、人差し指を向けた。

  「えっ..」

「そや。ジャンヌダルクになれるんはDMや。覚えときや。先頭きって、未来の部員のための、吹部の肥やしになれるんは、飾緒付けたDMの'特権'や。こら、大昔から代々のDMが、密かに申し伝えてきたことや。―――ま、討ち死にしいひんに、こしたことはあらへんけどな。DMは、そのくらいの気構えでおらなあかん、ちゅうこっちゃ。ははは…」

その先輩は、自身の大学受験も先送りし、最後の最後まで、吹部のために尽くし通した。ある意味、人生の一部を捧げたのだった。

 


コロナの休校明け、練習再開の初日。

今日の総監督は、いつもと違って、真っ赤なネクタイをつけている。

何やろ..。


総監督が集合をかけ、口を開いた。

「みんな、全国行きたいやろ!」

  「はいっ」

「わしも、や。…これまで、団結の名のもと、融和第一でやってきた。せやけど、それがどうや。全国大会いけへんくなってもうてから、もう何年経つんや。毎年毎年、コンテスト会場のホールのロビーの片隅で、延々と、泣き続けている。もう、たくさんや。ええかげん、目え覚すんや。ぬるま湯は、もう、止めや。コロナで大会のうのうたのを機会に、今年度から、競争原理を本格導入する。」

部員の顔色に、「えっ」という動揺が走る。

「まず、一人ひとりを細う評価する。具体的には、演奏技術、振付技術、部への貢献度などだ。吹コン、マーコン等の出場メンバーは、そないな個々の評定と、全体とのバランスを考えたうえで決める。学年は、関係あらへん。役職も関係あらへん。ちゅうか、同評定やったら、下級生のほうを選ぶことになるやろう。」

突然の発表に、部員の顔色が強張る。

「こら、運動部なら、常識や。うちは、仲良しクラブやあらへん。出場に漏れた者は、たとえ、相手下級生であろうと、選抜メンバーに対しては、心からの笑顔で、フォローにまわるんや。それが、部のためや。練習中は、悔しい気持ちは出してはいかん。ほんまに悔しいなら、陰で練習を積んどくんや。…ま、これからは、いわば、毎日毎日、瞬間瞬間が内部オーディションや。その意味では、瞬間、瞬間がチャンスでもあるんや。」

確かに、総監督は、間違えたことは言っていないし、げんに、全国金賞の高校では、当たり前だろう。
でも、今までの部の伝統とは、何かが違う...。

「頑張ることは、あたりまえ。言われてできるようになることも、当たり前。それが一定のスピードでクリアーしていけへん時点で、すでに他校に負けとる。いや、他校の全国進出に、むしろ協力しとる利他行為や。そやさかい、部全体の進化のスピードについてこれへん者は、即座に練習の場から外す。―――間違うとること言うとるか?言うとらへんやろ?こら強豪校、どこでもやっとることや。…ただし、聡明な君たちに対しては、わたしは、決して、野蛮に怒鳴ったりせえへんし、その意思もあらへん。風通しのええ吹奏楽部の伝統は、守るつもりや。」

でも、これも、なんか、変だ―――リホは思った。
怒鳴る、怒鳴らないではなく、生徒目線で共に汗をかき、共に泣き、そして共に笑う、という熱いハートが、少しも感じられないのだ。
たとえ、時に怒鳴ることがあっても、それは、苦労の末、一段高い段階にともに達することのできた感動と喜びとを生徒とともに分かち合おうという、指導者としての「真心」の表れのはずだ。だからこそ、怒鳴られた自分たちのほうとしても、その熱いハートが心に沁みて、いっそう互いに支え合い、みんなで工夫しあって克服していこうとする、内からのパワーが沸き起こるのだ。そして、その団結し合い、互いを信じあえる力が、演奏演技の輝きとなって表れているのが、うちの吹部の伝統だったはずやないか...。

それがどうだ。
生徒目線に下りず、一方的な指導と一方的な管理の強化により、心の醸成期間などという'非効率'は徹底排除し、個々の競争心を煽ろうというものだ。統率とスピードが命。冷たい、あまりに冷たい...。


周りに目を配る。

下級生の1、2年生は、たんたんと聴いている。

今度は3年生に目を向ける。

皆、目線を下にむけたまま.....。

だめや。

では、部長のナナは..

ニコニコしている!

みんな、なぜ気づかないんか!!


その刹那、カチッと、何かの封印が外れた。数か月前の先輩DMの言葉が蘇った。

―――ウチしか、おらん。

 


「総監督、質問があります。」

  「DM、何や?」

「ウチん部の輝きの源は、どこや思うとります?」

  「『輝き』って、何や?」

「すり替えないでください。生徒の内発的な心の輝きは、どっかから出てくると思われますか?」

  「そんなもン、幻想や。」


 聞いていた部長の笑顔が止まった。

 総監督は続ける。

  「心の輝きだけで全国金をとれるのなら、苦労などいらん。そないな幻想、甘えの温床となるんや。そんなん、ほかしてまえ。そやさかい、強豪校並みの管理が必要なんや。なんで、わからん。」

「総監督には、熱い思いは、ありませんか?そないに、泣くこと怖いですか?」

  「言うとる意味が、わからへん。熱いのなんの言うとる間に、突っ走らんかい。部の進化スピードを邪魔するのんは、利他行為いうたはずや。」

「総監督、わたしたちといっしょに、心から悦びながら、練習を積んでいくことができますか。」

  「それは、君たちの努力による。スピードアップして、上手くなっていってくれれば、私としても嬉しいが...。」

「総監督…。もう一度、伺います。『輝きの源』は、どう育まれていくとお考えですか...」

  「くどい。」 

部長はじめ、3年生の目つきが険しくなった。

「総監督、『生徒の団結』って、何ですか。」

  「…だから、評価項目に『部への貢献度』入れといたんや…。」


今度は部長のナナが、口を開いた。

「総監督、この吹部は、誰が生かしていますか。」

  「それは、君たちの心がけ次第や。」

「『心がけ』って?」

  「指導方針に従うて、努力を積み重ねていけば、すばらしい吹部になるはずや。君たちも全国の舞台に立てるようになるはずや…。」

 

気付くと、3年生は全員うなだれ、涙を流している。

それを見たのか、見ないのか、総監督は、こう言い放った。

  「来年度以降が勝負や。1、2年生、気張りや。」

DMは、こぶしを震わせながら言った。

「総監督、再考願えまへんか...?」

  「まだ、わからんか。甘えの旧体制を引きずられては困るんや...1週間、練習から外す。」

それを見ていた部長も

  「私も謹慎します。ありがとうございました。」

他の3年生たちも、全員、同時に、頭を下げた。


 コーチは、その様子を見ていて、慌てて総監督に近づき、何やらささやいた。
 二言、三言、小声でのやりとりがあり、総監督は数秒間、なにやら考えたのち、口を開いた。

「みんなの気持ちは、わかった。本日の話は、後日あらためる。…謹慎も無しや。」

 そういうなり、総監督は練習室を出ていった。

 

練習終了後の下校時。

DMのリホと部長のナナは連れ立って、駅へ向かう。
途中、ファーストフード店に入った。

「今日、ホンモノのDM見たわ。何も言えんかったウチ、部長として恥ずかしかったわ。」

「ううん、ウチも心臓バクバクもんやった。」

「で、どないすんの。」

「そやな...。うちらの代のことは二の次にして、まず、未来の吹部のことを考えようやん。」

「賛成や。」

 

二人が話し合っている隣の席で、コーヒーを飲んでいる老紳士がいた。

しばらく新聞を眼前に広げて読んでいたが、丁寧にたたむと、おもむろに二人に話しかけた。

「君ら、○○高校の吹奏楽部の部員はんたちかいな?」

「はい、そうですけど……あっ!松本先生!」

隣にいたのは、なんと、吹部創始者にして名誉総監督の松本先生だったのだ。


「悪いが、聴かせてもろうた。事情は、よう分かった。未来に生きる君ら部員、創部の精神を守ろうと腐心してくれとるのんは、じつに有難い。たまたま君たちの隣に居合わせたのも、これもなんかの導きに違いあらへん。…総監督には、わしから言うとく。安心して練習に専念したらええ。」

「おおきに、ほんま、おおきに。」
二人は席を立って何度も何度もお辞儀した。

「ところでDMの君。」

「はい。」

「先輩からの申し送り事項、忠実に守ったなあ。」

「え、何でそれを??」

創始者の仕掛けといた、'アンゼンソウチ' や。」


松本先生は、ニッと笑った。

 

その事件以降、総監督は、何事もなかったかのように、指導している。
相変わらず、音作りの指導はうるさいが、以前にも増して、生徒の自主性に任せる場面が多くなった。誉める場面も次第に増えていき、最近では、自分や部長がよく呼ばれ、生徒の状況や、指導に対する生徒目線からの感想を聞かれるようになった。部としても、以前より、まとまりが強くなったと思う。

リホは、それが良かったのかどうかは、わからない。

賞というものは、その時々の先輩たちの最高到達点であり、現役部員がはじめから持っている実力ではない。総監督の指導力に依存してしまい、魂をなくし、創造力を失ってしまうと、部員は、たんなるコマに陥る。…そう考えていくと、自分たちが、生徒として未来の吹部員に残せるレガシーは、演奏の工夫以上に、自分たちが体を張って守ろうとした、'部の魂'なのだ。

そう、魂の伝達―――部の歴史というのは、そうやって紡がれていくのだ...。

...えっ、ひょっとして、総監督は...

 

 

数日後、ファーストフード店に入っていく総監督の姿があった。

「やはり、先生、こちらにいらはりましたか。」

「その後、3年生の様子はどうなんやな。」

「はい、お陰様で、コロナ禍のショックは乗り越え、元気に卒業していけそうです。退部もストップし、全体も、より強うまとまりました。」

「よかった、よかった...。あんたはんも、少し、大仕掛けやりはったな...。」

「すんまへん、御心配おかけしてもうて…。これも先生のリフレッシュ・ボタンのおかげです。」

「いやいや…」

「ほかにもボタンはあるのですか。」

「フォッ、フォッ、フォッ…。…このハンバーグの隠し味は、うまおすなあ......あ、さっき、DMと部長に会うたから、ハンバーグ食べさせたったわい。」

「なんや、あいつら...」

「フォッ、フォッ…あの子たちは、部の宝や。部員が力強く、まっすぐに生きとるのは、部が健全な証拠や。心が健全なら、音も心地ようなる。あんたはんには、これからも、宜しゅう頼んだで。フォッ、フォッ、フォッ…。」

松本先生は満足げに店から出ていった...

総監督は、今の話を反芻し、ぼーっしている。

それから、ふと、何を思ったか、レジへと注文に向かった。

「わしにも、ハンバーグ、一つ。」